第9話 ――あなた、勇者にならない?

 アリアの部屋に向かうと、入口の前で衛兵たちがすでに眠っていた。


 夕食はみんなで集まってとることになっている。先に来たリーシャかシュナを止めようとしてこうなったのだろう。


「いつもお勤めご苦労様です」


 地面に突っ伏してる隊長に会釈をして、アリアの部屋をノックする。

「どうぞ」の声と、温かいスープの香りが俺を迎えた。


 エプロンをつけたアリアが給仕をしている。そんな姫の姿を見ながら、リーシャとシュナはそわそわしていた。


「姫さま、わたしたちもお手伝いを」

「いいのよ、リーシャ。座っていて」


 どうやら今日はもてなしてくれるらしい。好意に甘えることにして、俺も食卓についた。


 4人でアリアの手料理を囲む。内容はスープにサラダ、ソテーにパンなど簡単なものだが美味かった。


「姫様って姫様の割に料理が上手いのな」

「なにかしら。藪から棒に」


 口元に微笑みをたたえて、アリアはナフキンを口許に当てた。


「いや、城の食事は専属のコックが作るだろ。練習する機会なんてないんじゃないのか」

「ときどき厨房を借りて練習させてもらっているの。何もかも頼りっきりじゃ、何もできないまま育ってしまうものね」

「そうなのか。いや、誰かさんみたいに壊滅的な料理を出してくることも覚悟してたからさ」


 もう一口、ソテーを口に運んだ。バターの甘みとレモンの酸味が口いっぱいに広がった。


「誰かさんって誰だろうな? リーシャ」

「――ダレだろねシュナちゃん」


 どうしてカタコトなんだ? 目を逸らすリーシャを怪訝な顔で見ながら、シュナはスープをすすった。


「そういえば、前から思っていたんだが」


 アリアとやりとりをする俺を見ながら、シュナはスプーンを置いた。


「少し……いや、少しじゃないな。クードはアリア姫にくだけた態度をとりすぎではないか?」

「悪いな。前世のジョブは無礼者なんだ」


 そんなジョブはないだろう。と、いちおう突っ込んでシュナが続ける。


「無礼者というよりは、やけに親しみをもって接しているように感じる」

「やきもちか?」

「違うわッ!」


 話が進まないだろう! とむくれるシュナ。いつものことだろ。と笑い飛ばす俺。

 そんなやりとりをアリアは澄ました顔で見守っていた。


「私が言いたいのは、少し立場を弁えて接したほうがよいのではないかということだ。ほら、ジェノブレイド様とのこともあるだろう」


 ただ聞き流しているようにも見える。しかし、アリアの少しだけ表情が動いたのは確かだった。


 ジェノブレイド様とのこと。それはつまり、姫と勇者の関係だ。


 あくまで慣例だが、この国の姫は勇者に選ばれた男と婚姻を結んできた歴史がある。


 今回の事件さえなければ、アリアと勇者ジェノブレイドの婚礼を進める予定が国王の頭にもあったのだという。


「あんまり仲良くすると勇者が嫉妬する、ってか」

「そんな個人的な感情で留まる話じゃないだろう。国家の関わる問題だぞ」

「……。あの勇者が『俺の女に手を出すな!!』とか怒ってきたら笑えるよな」

「――なぜ冗談で誤魔化そうとする。私はお前のことも考えて」

「まーまー、おふたりさん」


 話が嫌な方向へ行きそうなのを察してか、リーシャが話に割って入った


「最終的には姫さまと勇者さまのおふたりが考えることだよ。ね、姫さま」

「――。そうね」


 ほほえみこそ残していたが、少し遠慮がちにアリアは口を開いた。


「けれど今は浮ついた話で盛り上がれる事態でもないわ。

 クードの話し方については気にしないから、仲良くなさい。明日は大事な日でしょう?」


 そんな仲裁が入ると、シュナはばつが悪そうに口をつぐんだ。


「すまない。お節介だったな、クード」

「いいってことよ」


 俺が軽い感じで返すと、逆にほっとした様子でシュナは食事を再開した。


 ほっとしていたのは俺のほうだったが、なんとか悟られずに済んだようだった。


 アリアとのことをつっこまれるとどうにもばつが悪い。それはシュナや周りの言っていることは正しいからこそだ。


 いくら幼いころからの付き合いとはいえ、俺もアリアももう子供ではない。本当なら線引きができていなければならないはずなんだ。


 俺が勇者になるのを諦めたときから。あるいはアリアが王族に生まれ、俺が従者の家に生まれたそのときから。


「ごちそうさま」


 そう言って席を立つ俺に「もういいの?」とアリアが訊く。「ああ」そっけなく答えると、アリアもまた「そう」と、そっけなく言った。


 俺はアリアの顔を見ないようにして部屋の外に出たけれど、アリアはそんな俺を最後まで見ていた。そんな気がした。


 明日は勇者との戦い。まともに言葉を交わせるのは今日が最後になるかもしれないのに。


「バカだ、俺は」


 鬱屈とした気分を吐き出すようにため息をついたが、何も変わらなかった。


 ――食後の運動でもすりゃ気も晴れるかな。


 無理やりに言い聞かせて窓を開ける。夜の風がいつもより冷たく感じた。





 それから城下町をジョギングしてきたが、いまいち気分は変わらないまま気づいたら20kmくらい走っていた。


 気分転換のつもりだったのに、いつのまにかハーフマラソンを走りきっていたのは初めての経験だった。


 さすがに少し汗をかいた。寝る前に着替えたほうがいいだろう。


 手拭いを首から下げて部屋に戻る。すると俺の部屋の前の廊下で、パジャマを着たアリアが窓から星を見上げているのを見つけた。


「あらクード。おかえりなさい」

「――ん。ただいま、姫様」

「少しお疲れのようね。ハーフマラソンでも走りきったかのような顔をしているわ」


 見ていたかのように言い放つアリア。このお姫様はまじでエスパーなのだろうか。


「相変わらず勘がいいのな」

「長い付き合いだもの。大抵のことは想像がつくでしょう」


 走ってきた距離まで言い当てるのは想像のレベルを超えている気がする。


 しかしそんなやり取りも慣れたものだ。「さすが幼馴染。以心伝心だな」軽口に乗っかってやると「私の考えていることも分かる?」と悪戯っぽく微笑んだ。


 アリアが夜中にわざわざ部屋まで来た理由か。


「――夜這い?」

「ふふふ。おもしろーい」

「すみませんでした」


 スベった上に辛辣な視線が飛んできたので、俺はすかさず謝った。謝るスピードにはちょっと自信が出てきた。

 それからすぐに頭を切り替える。


「優しい姫様のことだ。俺に激を飛ばしにきてくれたんだろ」


 今度はまともに答えると「分かっているじゃない」とアリアは呆れぎみに言った。


「明日はジェノブレイドと戦うことになりそうだけれど、勝つ見込みはありそう?」

「まともにやったら、ほぼ0%かな」

「いい見立てね」


 ふふ。と笑うアリア。励ましにきたんじゃなかったんかい。


 しかし現実、今までになく厳しい戦いになりそうなことは間違いないだろう。敵はあの勇者ジェノブレイド。しかも魔王に身体を乗っ取られているかもっていうオマケ付きだ。


「逃げたいとは思わないの」


 俺の目をじっと見つめて問うアリアに、俺は素直に頷いた。


 あいつは強いし、ともに旅をしてきた仲間だ。戦わずに済むならそれに越したことはない。


「――けど逃げるわけにはいかないだろ。確かに厳しい戦いだけど、だからこそ戦う意味がある」

「意味?」

「“顔のない魔王”の正体を見つけること」


 自分に釘を刺す意味で、最終的な目標を改めて口にした。


 この戦いは勇者との戦いじゃない。魔王を特定し、倒すための戦いだ。そこを忘れてはならない。


「敵は巧妙に潜んでいる。もはや誰が魔王なのか判断がつかない。

 けどギリギリの戦いになれば、魔王も必然的に追い込まれることになる。どこかで不自然な言動や行動を見せてもおかしくはない。


 今のところ魔王は勇者の可能性が高く見えてるけど、それでも100%じゃないしな。


 全員が命を賭けてこの戦いに臨む。魔王も含めて。どこかでボロを出すはずだ。そのチャンスを逃すわけにはいかない。


 これ以上……魔王の脅威を野放しにできないからな」


 話しながら勇者との旅で見た光景を思い返した。


 魔物たちの侵略で焼け野原になった村の光景が浮かんだ。虐げられ、悲しみに暮れる人々の顔が浮かんだ。


 薄暗い地下の一室で閉じ込められていたアリアの姿が浮かんだ。


 二度とあんな思いはさせない。


「もう一回だけ世界の平和のために戦ってやるさ。次はもうゴメンだけどな」


 堅苦しい決意表明なんて柄じゃない。だから茶化すように言ってみた。


 けれどアリアは真剣な表情のまま


「それでもまた私がさらわれたら、クードは助けに来てくれるでしょう」


 そんな風に言った。


 アリアの青い瞳が月光に照らされて輝く。静かな物言いとは裏腹に、憂いを帯びた感情が見え隠れしていた。


「あなたはいつだって自分よりも人のことを大切にしようとする。子供の頃からなにも変わってない」

「なんだよ。今日はやけに絡むな」

「もっと自分を大事に考えてもいいじゃない。あなたが傷つけば、悲しむ人だっているのに」


 いつも通りの落ち着いた口調、落ち着いた声。それでも今日はなんだか違って聞こえた。

 不安に潰されそうな声に聞こえた。


「――小さいころ、私がクードに『勇者を目指しなさい』って言ったの、覚えてる?」

「ああ」


 忘れたことはない。俺が勇者を目指すきっかけになった一言だ。


 悪ガキだった俺のバカげた悪戯に大人たちは手を焼いていた。あいつはなんとかならんのかと散々な言われようだった。まあ完全な自業自得なんだろうけれど。


 しかしアリアだけは違ったことを俺に言った。


『その知恵と体力は他の男の子にはないちからね。

 ――あなた、勇者にならない?』


 疎まれてばかりだった俺が、初めて誰かに認められた気がした。


 そのときの気持ちは今でも残っている。だからアリアの問いかけにもすぐに頷くことができた。


 忘れるはずがないだろ、と。


「あのときのあなたは私にこう言ったわ。『しょーがねーな。アリアがそんなに言うなら、勇者になって世界のひとつも救ってやるよ』って。

『約束する?』ってしつこく聞く私に『任せとけよ』って」


「その発言……いま思うとだいぶ恥ずかしいな。結局は勇者になれなかったわけだし」


「けれどもう一つの約束は守ってくれた。クードは実際に世界を救ったんだもの。

 役目は十分に果たしたはずだわ。だから――むぐ」


 身を乗り出したアリアの口を俺の掌が覆った。これ以上は言わせちゃいけない。


 アリアは姫君だ。国の命運と従者の運命を天秤にかけていいはずがない。国の為に死ね。本当ならそのくらい言えなきゃダメなんだ。


 けれどアリアはまだ心を徹しきれていない。だから俺は


「大丈夫だ。俺は勝つ」


 それだけ言ってアリアの口許から手を離した。


 きゅっと唇を結んで、少し泣きそうな顔で、アリアは俺を見上げていた。


「信じていいの……?」

「不安か? だったら命令してくれ。あのときみたいに」


『勇者を目指しなさい』――そう言ったあのときみたいに。

 それが今の俺の力になる。


 アリアは俺の目をじっと見つめると、小さく頷いて俺の頬に両手を添えた。


「生きて戻りなさい。必ずよ、クード」

「かしこまりました。姫様」


 静かに頷いて、俺はアリアの前に跪いた。

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