第7話 死者に口なし

 現場となった地下牢はカビ臭さに混じって、微かに血の匂いがした。


 湿気が強いせいだろうか。牢にぶちまけられた血痕は、まだ少しぬめりを帯びた状態で残っている。


「どうやって殺された」


 簡単な質問に、「毒殺ね」とアリアもまた簡単に答えた。


「胃袋から毒薬の欠片が検出されたわ。周りの血液は、絶命する直前に魔物が吐いたものよ」


 あと少しのところで、唯一の手がかりの口が封じられたか。くそ。

 さすがに笑い飛ばせる事態じゃなくなってきたな。


「調査局は今のところジェノブレイドを疑っているわ。私のところにやってきたついでに、魔物の口を封じにきたとも考えられるものね」

「――ん? 考えられる? ここの門番はジェノブレイドの姿を見てないのか」


 入口にいつも最低2人はついていたはずだが。ちなみに今回、その2人はアリアの命令でここを離れている。


「見ていないそうよ。ちなみに気絶させられてもいなかったわ」

「じゃあどうやって魔王はここに入った」

「これが牢から見つかったわ」


 ハンカチを開くアリアの手から白い光が漏れた。

 これは……ワープの出口に使う石。座標石か。


「なるほど。少なくとも魔王はワープの使い手ってことか」

「ええ。ジェノブレイドなら座標石をここに仕込むチャンスがあったものね。

 ただ彼はワープが使えたかしら」

「使えないはずだけど、当てにはならないな。あいつは底が見えない」


 それに魔王がもともと持っていた能力を転生後も持ち越せるなら、乗り移られた奴がワープを使えたかどうかなんて関係なくなる。


 というか使える可能性が高い。だって魔物を操る力は残っているんだから。

 そのあたりも確認したかったが、こうなってしまっては後の祭りだ。


「クード、どう思う?」

「少なくとも勇者のやり口じゃないな」


 即答すると、アリアはその言葉を待っていたかのように頷いた。


「ええ。彼の武力があれば毒殺なんてまどろっこしい手は使わないでしょう。

 毒は格下が格上を落とすために使う手。それこそ私のような、武力をもたない者の手口じゃないかしら」

「もしくは奇襲を得意とする奴の仕業か……」


 ――。それにしても、毒か。


「どういう毒かはわかってるのか」

「それはまだ調査中ね。わかったら教えればいい?」

「頼む」


 それからしばらく歩き回ったが、調査局が調べた以上の収穫は得らなかった。見張りを交代し、リーシャとシュナも現場を見たが結果は同じだった。


 わかったことは、せいぜい30メートルルールに嘘はないということくらいか。あの証言が正しいからこそ、魔王は証言者の口を封じたんだ。


 それは確かになったが、しかし先手を打たれたことに変わりはない。

 苛立ちを誤魔化すように、俺は頭を掻いた。





 塔に戻ったときには衛兵たちが目を覚ましていた。アリアが連れ出されたことに随分と慌てていた彼らだが


『今日のところは見なかったことにしなさい。そうしたら賊の侵入を許したことも、父には黙っておいてあげる』


というアリアの一言で片がついた。


 それで片がつくのなら最初から言ってくれればいいものを。文句を言うと『それじゃあの子たちが育たないでしょう』と一蹴された。


 単なるどSじゃねーか。


「何か言った?」

「だから人の頭の中を読むなと」


 そんないきさつを経て、今は再びアリアの部屋に集まっている。


「それで、これからどうしましょうか。アリア姫」


 血を見てから少し落ち着かない様子のシュナが、話し合いの口火を切った。


「重要な手がかりがなくなってしまいました。これではもう、ジェノブレイド様と会う以外に考えを深めようがありません」


 的を射た意見に、俺たち3人も黙って頷いた。


「そうだな。危険な橋を渡ることになるが、それしかないだろうな」


 言った途端、つい腹の底からためいきを吐いてしまった。


 だってあいつ超強いもの。魔王にしろそうじゃないにしろ、できることなら真正面からの殴り合いは避けたい。


 隣ではリーシャがガッチガチになって震えていた。気持ちは痛いほどわかる。


「そうはいっても……どうすればジェノブレイド様にお会いできるだろうか」

「まだコットンヴィレッジにいらっしゃるとは限らないもんね」


 そんなシュナとリーシャのやりとりに


「連絡ならとれるわ」


 そう言ってアリアが割って入り、さっきのとはまた別の石を取り出した。

 緑色の光を放っている。魔力を込めると会話ができる石。声紋石か。


「ここを去るとき、ジェノブレイドにはこれに対応する声紋石をもたせたの。相手が応じれば、あなたたちが話すことも可能よ」

「おぉ、さすが姫様。いい仕事をしてくれた!」


 呼び出しが可能となれば、有利な条件はいくらでも整えることができる。


 戦いの場所にリーシャの罠をしこたま仕掛けておくとか、シュナの結界でぐるんぐるんに巻いてやるとか、いろんなアイディアが浮かぶ。


「というわけで頑張れ。リーシャ、シュナ」

「え、なんでひとごとっぽいの?」

「戦いとなればクードが先陣だろう」


 ですよね。女性陣に白い目を向けられ、俺はいやいや腹をくくった。


「じゃさっそくかけますか?」

「えっ!」

「お、おい!」


 声紋石に手を伸ばす俺の腕を、シュナとリーシャは本気で掴んだ。


「そ、それはさすがにいきなりすぎるんじゃないかな?」

「心の準備というものがあるだろう!?」

「冗談冗談。さすがに俺だって……」


 そのとき、机に置かれた石が強い光を放ちはじめた。それをぽかんと見つめる俺たち4人。

 通信が接続された合図だ。


 ちなみに俺は石に魔力を込めてなどいない。ということは、勇者が向こうから連絡をよこしたということだ。


「心臓が止まるかと思った……。ゆ、勇者おまえ空気読めよなッ!」

『――。その声はクードか』


 あ。しまった。

 顔を上げたら完全に硬直したシュナとリーシャが目に入った。

 アリアに至っては満面の笑みを浮かべている。呆れを完全に通り越したときの顔だ。


 人生最大の失敗をしたかもしれない。


『いつからそこにいる』

「――ま、いいじゃねーの細かいことは。それよりお前に訊きたいことがあるんだ」


 喋ってしまった以上は仕方がない。半ばやけくそな勢いで、俺は勇者を相手に駆け引きをもちかけた。


「地下牢に捕えていた魔物の件は聞いたか」

『なんの話だ』

「暗殺された。お前がここを訪れた晩の話だ」

『牢の入り口には門番がいたはずだ。彼らは何をしていた』


 驚くでもなく、怒りを覗かせるわけでもなく、勇者はよどみなく言葉を返してきた。

 冷静すぎる受け答えだ。逆にあいつらしい。


「座標石だよ。それが牢の敷石に隠してあった。

 ところで勇者さま。あんたはワープの魔法が使えたかな」

『色々と探っているようだが』


 俺の狙いは伝わったらしいが、勇者の声色はまるで変わらなかった。


『今の私が何を言おうが、お前は馬鹿正直に信じたりしないだろう』

「だな。お前もそうだろ?」

『承知の上で、こちらも尋ねたいことがある』


 緊張が一気に高まった。アリアたちも固唾を呑んで勇者の声に集中している。


『リーシャとシュナの居所は知っているか』


 不意に名前を出された二人は動揺の表情を見せたが、俺みたいに声を出したりはしなかった。


「さあな。それを訊いてどうする」

『私は魔王ではない。ならば、魔王はお前たち3人のうちの誰かだ』


 きっぱりと言い放たれた勇者の言葉に、今度はアリアの表情までもが固まった。


『30メートルの制約に嘘はない。私が身体に“訊いた”から間違いはないし、嘘がないからこそ証言者は暗殺されたのだろう。


 証言から2週間。私が調べたところでも、転生というものが御伽噺の類でないことは裏付けられた。


 ならば一刻も早く容疑者は捕えなくてはならない。被害がこれ以上大きくなる前に』


「――成程な。しかし捕えてどうする気だ? 仮に魔王に乗っ取られているとしても、仲間だぜ」

『妙なことを訊くのだな』


 静かで、平然とした声。底冷えするような冷たい声だった。


『魔王だとわかれば始末するだけ。それが私に与えられた使命だ。

 30mの外から絶命させれば、転生のしようもないだろう』


 ……。

 気がつくと、つい正面のシュナとリーシャに視線を向けてしまった。


 俯いた二人の顔。恐怖よりも、寂しさの勝った表情をしていた。

 可愛い顔をこんなにさせやがって。この野郎。


「相変わらず情けも容赦もないのな。こんなこと言うのもなんけどさ。かつて一緒に旅をした仲間として、信頼とか絆とか、そういうもんは芽生えなかったか?」

『芽生えたさ。だが絆などという不確かなものに、数百万人の命を賭けることはできない』


「さすがは公共の福祉を重んじる勇者様。ご立派な考えをしていらっしゃる。

 ――半分は俺たちの責任だ。お前がそうなっちまったのは、今でも俺のせいだと思ってる。


 けどな。

 だとすれば昔のお前に戻してやるのも俺の仕事だろ。

 ツラを出せや、ジェノブレイド。性根を叩きなおしてやるよ」

『――』


 その言葉が予想外だったせいなのか、あるいは他の想いがあったのかはわからない。しかし勇者は初めて何かを考えるような沈黙を置いた。


『二日後にはそちらに着く。闘場で会おう』


 ジェノブレイドは短く言い残すと、向こうから通信を切断してきた。


 ……。二日後にはあいつがここにやってくる。ただの話し合いでは終わらないだろう。

 またやっちまった。


「あなたはジェノブレイドのことが絡むと少し落ち着きを失う。それも相変わらずなのね」

「――悪い、アリア。みんな」


 あいつと会うのはまだ早い。わかっていたはずなのに、勝算の薄い勝負を持ちかけてしまった。


 仲間の身も危険に晒すことになる。今の俺は感情に流された愚か者でしかない。

 それなのに。


「いいや。よく言ったぞ、クード」


 仲間たちは非難の色など微塵も宿さず、俺に温かい視線を向けていた。


「私たちもお前と同じ気持ちだ。なぁ? リーシャ」

「そうだね、シュナちゃん」


 歯を見せて笑うシュナに、リーシャも両手の拳を握って言った。


「勇者さまには今までたくさん、たくさん助けてもらったもん。今度はわたしたちが勇者さまを助ける番だよ。

 魔王に乗り移られちゃったのかはわからないけれど、もしそうなら止めてあげなくちゃ。

 最後はみんなが笑って終わりたいから」


 ――。いいやつすぎだろお前たちッ!


 なんて軽口が、今は声になってくれなかった。

 何も言えないまま小さく頭を下げることしかできなかった。


「そうと決まれば時間がもったいないよ! さっそく準備しないとね。

 基本的には勇者さまを拘束すれば、とりあえずわたしたちの勝ち……でいいんだよね?」


「そうだな。魔王の魂を分離する方法はその後で考えたらいい。

 私はジェノブレイド様の不意を突ける魔法の組み合わせを探ってみる。まともに戦ったのでは勝負にすらならないからな。

 行こう、リーシャ」

「うん!」


 気合満々で部屋を出ていこうとする2人。


「がんばろうね、クード」


 去り際に、リーシャが俺を振り返って小さく言い残した。


「仲間に恵まれたわね」


 音もなく閉じた扉を見つめるアリアが穏やかに言った。


 俺はまた何も言葉にできなかったが、それでも笑顔を返すことはできた。

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