第5話 魔王はあいつかもしれない

 山の向こうに見える東の空がうっすらと白み始めた。


 村の門前に広がる涸れた綿畑のど真ん中。シュナは一人、山の麓を見据えていた。


 諜報師の情報によれば、群れをなす獣の魔物たちがやってくるまで残りわずか。


 シュナの手にした杖には魔力が充填され、薄闇の中でぼんやりと光っていた。


「本当に一人で戦うつもりだよ、シュナちゃん」


 すすけた物置小屋の陰から、リーシャが不安げな視線をシュナに向けた。


「ねえ、本当に手助けしないの」

「今はね」

「でも」

「ちょっと前に言ったろ。あいつが魔王かもしれない」


 語気を強めた俺の言葉に、リーシャは口をつぐんだ。

 そう。シュナの行動は、魔王がやりそうな行動に合致しすぎているのだ。


『魔物に立ち向かうふりをして、実は中枢から魔物に指示を出す可能性がある』


 シュナを疑う理由を何度も訊いてきたリーシャに、俺はそう答えた。


 魔王は魔物を操るシグナルを発する。しかし細かい指示は近くにいないと出せない。少なくとも前に戦ったときはそうだった。


 もし魔王が魔物を従えようとしているならば、一人でここに残ることほど都合のいいことはない。


 もしシュナが魔王だとすれば……魔物の群れと一人で戦うことを宣言し、俺とリーシャを遠ざけようとするはず。


 最初からそういう予想のもとで、俺はシュナとのやりとりを交わしていたのだ。


「もちろん断定をするわけじゃない。シュナの性格なら、一人で戦うってことも普通に言いそうだしな」

「だったら」

「それでもリスクは減らさないといけない。この時点であいつを信じ魔物との戦いに集中すれば、最悪の場合、不意打ちで二人ともやられる可能性がある。

 だから今は待つんだ。シュナがシュナであることを確信できるまで」


 確信できるまで待つ……。リーシャは呟くように言った。


「待つって、どのくらい?」

「――。来るぞ」


 貯水樽にはられた水面が、小さく波をうっていた。

 遠くから地鳴りが響く。それが徐々に大きくなる。


 奴らが、くる。


「結界」


 シュナの杖が空間に大きく弧を描くと、村の前方に巨大な結界が張られた。

 これで村に魔物が侵入するまでの時間が稼げる。


 同時にシュナの退路は断たれることになった。


「いくぞ、魔物ども」


 宣言の瞬間――シュナの足元から巨大な“爪”が、彼女の首めがけて伸びた。

 それを一足飛びでかわし、身構える。


 地中から顔を覗かせたのは巨大なモグラの魔物だった。


「はッ!」


 対峙するモグラに向けて杖を振り下ろすシュナ。リアルもぐらたたきの構図だ。

 モグラの魔物はすぐさま地中に顔を隠し、シュナの杖は土を叩いただけに終わった。


 モグラの動きに合わせて土が盛り上がり、それがシュナの周りを囲う。

 敵の位置は特定できるものの、杖は顔を出してなきゃ届かない。


「だったら……」


 シュナが詠唱を終えると、杖を雷が纏った。そしてそれを地面に突き刺す。


「魔法の攻撃は物理攻撃とは別。極めれば壁を貫通させることだってできる!

 轟けッ! 雷鳴!!」


 直後、地面に無数の光の筋が走った。それと同時に、高速で走っていた土の隆起が止まった。


 まず一匹。

 しかしまだ一匹だ。


 地面に刺さった杖を引き抜くと、シュナは空を仰いだ。


 頭上に迫っていた二匹の翼竜。こいつらが次の相手だ。


 ――魔物たちは群れをなしてやってくる。とはいえ到着はスピードの速い者順だから、同時に相手をすることにはならない。


 それでもシュナにとっては厳しい戦いであることに変わりはなかった。

 あいつの体力・魔力だって無尽蔵ではない。いずれは力尽き、そして敗ける。


「見てるよね、クード」


 拳を強く握り、リーシャが声を絞り出すように言った。


「シュナちゃんが必死で戦ってる姿、ちゃんと見えてるよね」


 一匹目の翼竜を仕留めたシュナが、二匹目の攻撃を紙一重で凌いでいる。いつあの嘴に貫かれても不思議ではない局面だ。


「ねえ、なんとか言ってよ」

「……」

「クードっ!」


 次々と迫る魔物たち。綱渡りのように猛攻をしのぎ、撃退するシュナ。


 徐々にパフォーマンスが低下している。

 限界は、そう遠くない。


「もう我慢できない! わたし助けにいくからね! クー――」


 そんなことをリーシャが叫んだとき、……俺はもうその場にはいなかった。


 シュナの戦いが演技じゃないことを認めたとか、そういう理屈なんかなくて。


 仲間のもとへ駆けつけたい。その一心で走り出していた。


「悪いリーシャ。俺、偉そうなこと言えねーわ」


 おあずけをくらわせた少女に背中で詫びながら、拳に力を込める。

 それから一気に助走をつけて、シュナの背後に迫ったヒグマみたいな魔物をぶっ飛ばした。


「! クード!? お前、どうして」


 杖を構えながら、背中合わせにシュナが訊く。「疑って悪かった!」魔物どもの雄叫びに掻き消されないように、俺は思いきり叫んだ。


「遅刻したけど助けに来た。俺たちで、こいつら全員ぶっ倒すぞ!!」


 今はそれ以上の言葉はいらないと思った。


 ああ、いくぞ。――シュナは目線で合図をして、ふたたび杖に雷を纏わせた。


 鋭さと重量を併せ持つヒグマの爪がシュナの身体に振り下ろされる。

 その攻撃を、俺の拳が弾き飛ばした。


「――お。魔物のくせに驚いた顔とかするのな。確かに人間が素手でお前の爪を防ぐのは、ふつう無理だ。

 けど俺は何でも屋だぜ。

 魔法のひとつやふたつ……使えねえとでも?」


 よろけた敵に向け、皮膚を金属で覆った拳を振りかぶる。


 身体の一部を金属化する“メタル化”の魔法。

 最大まで勢いを乗せて、腹の真ん中にパンチを突き出した。


「ふ……熊を素手で倒してしまった。これからは熊殺しのクードと呼んでくれ」

「なにをアホなことを言っている」


 呆れたような声とともに、電撃が放たれた。脇を見やると、いつのまにか迫っていたらしい四足獣が黒焦げの状態で横たわっていた。


「冗談を言っていられる場合か。私がいなかったらダメージを受けていたぞ」

「いいじゃん。ちょっとくらい」

「『熊殺しのクードと呼んでくれ』

 ――これが最後の言葉になってもいいのか」

「いえ、すみませんでした」


 さすがにそれはかっこ悪すぎる。アリアに末代までイジられそうだ。


「さあ、次は数が多いぞ。気を引き締めろ!」


 シュナの合図を受け、身構える。小型の魔物が一気にこちらへ向かってきた。

 向かってきたのだが。

 目の前のコットン畑がとつぜん爆発し、ほとんどの魔物が宙に吹き飛んだ。連鎖式の機雷爆弾だ。それもかなりの火薬が入っている。


「やりすぎだろ、リーシャ……」


 思わず呟いたが、それでもかなり戦いは楽になった。リーシャの張り巡らせた罠によって敵の攻め道は限定されている。


 俺とシュナはそれぞれの持ち味を噛みあわせ、あるいは弱みを補い合いながら、魔物たちを撃退していった。


 ――仲間と一緒なら俺たちはこんなにも強い。


 魔王を倒して以来忘れかけていた感覚を、思いだせた気がした。 


「さあ、ラストスパートだ。一気に片づけるぞ」


 合流したリーシャも加わり、三人で魔物たちを迎撃する。


 それから約10分後。

 俺たちはコットンヴィレッジに迫る魔物を相手に勝利を収めた。




 戦いが終わったころには、もう朝日が顔を出しはじめていた。


「ふう。これで傷そのものは完全にふさがった。けれど、しばらく無理は控えるんだぞ」


 シュナの呪文が終わると、俺の腕についたかすり傷がなくなっていた。少し痛みは残るものの、傍目には完治したようにしか見えないだろう。


「念のため包帯も巻いておく。自由にしておくと、クードは動かしてしまいそうだからな。

 ほら、巻いてあげるからじっとしていろ」


 手慣れた感じでシュナが俺の右手を固定してゆく。


「おお、器用だな。まるで女の子みたいだ」

「――女の子だが何か?」

「すみません。この口がまた余計なこと言いました」


 まかれた包帯が急に圧力を増したので、すかさず謝罪の言葉を述べる。「謝るなら最初から言うな」シュナは呆れた顔で言った。


「そういえばクードは、治癒魔法は全く使えないのか?」


 思いだしたようにシュナが尋ねてきた。

 そっか。シュナのやつは知らなかったっけ。


「俺、物理関係以外の魔法は得意じゃないんだ。養成所で基礎は習ったんだけどな。身につかなかった」

「養成所……魔法使いのか? クードの顔を見かけたことはない気がするが」


 不思議そうにしているシュナに「勇者さまの養成所だよ」と、リーシャが言葉を足した。


「何でも屋さんの前は勇者さまを目指してたんだよね。クードって」

「そうか。だから前衛型の魔法しか使わないのか」

「大昔の話だけどな」


 いい加減な返事に「まったく……」と、シュナはため息まじりの相槌をうった。


「勇者を目指してた割には、いろいろと適当だな。クードは」

「いやぁ、それほどでも」

「褒めていないぞ。まぁ、そういうところがお前らしいが」


 これでよし。そう言ってシュナは包帯の先っぽを縛った。


「勇者さまっていえば……」


 さっきまで朗らかに話に加わっていたリーシャが、少し影のあるトーンで呟いた。


「まだ会えてないのって、あとは勇者さまだけなんだよね。どうしてるのかな」


 あいつの身を案じる気持ち――もちろんそれもあるだろう。しかしリーシャの口ぶりからはまた別の不安が感じられた。


 そしてその不安は俺にも、きっとシュナの頭にもあるはずだ。


 俺たち3人に魔王が乗り移っていないのだとすれば、残るはたった1人。

 俺たちのリーダーにして最強の戦士、勇者ジェノブレイドの可能性が濃厚になったわけだ。


 勇者にして魔王。考えうる最悪の組み合わせ。


「想像するだけで恐ろしいものがあるな」

「そうだね……」

「というわけであんまり考えないことにしよう」

「え! いいのかそんなノリで!?」

「だって気にしたところでテンション下がるだけだろ」

「それはそうだが……」


 むむむ、と唸りながら腕を組むシュナ。マジメちゃんには少し難しい課題らしかった。


「ま、とにかく一度城に戻ろう。わかったことを姫様に報告しないとな。メシのついでに」

「報告のほうがついでなんだ……。あ、でも衛兵さんがいるよ? 通してくれるかな」

「大丈夫。俺あいつらと仲いいから」

「そうだったのか? 初めて知ったぞ」

「拳で語り合う仲だから」

「それ本当に仲いいのか!?」



 気の抜けたやりとりをしながら城への帰路につく。


 どんな結末が待っているかわからないけれど、こういう時間が少しでも長く続けばいい。


 柄にもなくそんなことを思う朝だった。

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