第3話 魔王の城の考察

「どうだ、とれそうか」


 瓶からしたたり落ちる緑色の液体を見つめながら、俺はリーシャに尋ねた。


「固まったゴムが溶けるのにちょっと時間がかかるかも。もう少し強力な酸を使えばすぐなんだけど……つかう?」

「いや大丈夫。気長にやろう」


 ポシェットから取り出された小瓶を見て、俺はすぐさま返事をした。液体の表面から立ち上る紫の煙と、ラベルに描かれたドクロマーク。


 薬とかに詳しいわけじゃないけど、さすがにあれはやばいやつだとわかった。


「つーかそんな危ないもん持ち歩くなよ。女の子だろ」

「え、変かな」

「少なくとも一般的ではないよな」


 薬品がぎっしり詰まったポシェット。小柄な体に似つかわしくない、無骨なフォルムの工具が無数に収められるベルト。


 リーシャが職人であることを知らなければ、何もかもがミスマッチに見えて仕方がないと思う。


「で、でもこの上着なんかおしゃれでしょ? 内側にポケットがたくさんついてるんだよ。それぞれ別に調合した火薬をしまえるの」

「……」

「な、なにか言ってよう」


 無言で目をそらすと、リーシャは涙目になっていた。

 魔王の件が片付いたら、ふつうの女の子としての振る舞いを教えなければなるまい。


「うぅ……便利なのに」


 リーシャは機能美がどうとかぶつぶつ言いながらも、薄い酸をしみこませた布で接着面を拭ってくれていた。


 そんな雑談に相槌をうちながら、ホールを見渡してみる。


 魔王との決戦が繰り広げられたこのホール。魔王が勇者の手で絶命させられたのがだいたい部屋の中央。


 30メートルならホールがすっぽり有効半径に収まってしまう。


 俺たち4人のうち誰か一人でも容疑者から外れてくれればと期待したが、そう信じるのはちょっと難しそうだった。


「どっちが……じゃなかった。誰が魔王なんだろうね」


 俺とリーシャが“違う”なら、残る可能性は勇者かシュナに限られる。


 けれど決めつけるのが嫌だったのだろう。リーシャはわざわざ言葉を選んだ。あるいは、本当は俺たちの中に魔王なんていないと信じたいのかもしれない。


「誰が魔王なのかは、いまのところ判断がつかない。けれどそれを確かめるためにも、早く残りの二人を見つけないとな」

「うん」


 リーシャはこくりと頷いた。


「しかし勇者とシュナはどこに向かったかな。できればシュナの方を先に知りたい」

「シュナちゃんの方を? どうして?」

「これ仮の話な。もし魔王に身体を乗っ取られていても、シュナの方がまだなんとかなる。けど勇者の方はそうもいかないだろ」


 リーシャは何も言わず、黙って息をのんだ。


 そう。相性はよくないが、シュナが相手なら勝算はある。


 けれど魔王が勇者の身体と技を乗っ取っていたら、俺とリーシャの二人じゃまず間違いなく勝てない。


 若干18歳で“勇者”の称号を手にした最強の戦士、ジェノブレイド。

 あいつに会う算段をつけるには、まだ準備も情報も足らなすぎる。


「そうだね。大勢で挑んだとしても、どんな準備をしたとしても、勇者さまと互角以上の勝負に持ち込むのは簡単じゃないよね」

「ああ。あいつがめっちゃ疲れてて、めっちゃ油断してるタイミングを狙うしかないだろうな」

「そんな都合よくいかないよ」


 思わず笑いがこぼれた。あの勇者が疲れてる上に隙だらけ?

 確かにそれなら勝てるだろうけど、そんな偶然……。


「って、あれ?」


 冗談のつもりで笑っていたが、ふと、小さなひっかかりを覚えた。


 限界まで疲れている。なおかつ油断している。


 なかったか? そんな瞬間。


「? どうしたの、クード」


 リーシャが小首を傾げている。「魔王と戦ったあの日……」俺は頭の中を整理しながら、思い浮かんだ光景を言葉に変えた。


「俺たちって魔王と3時間くらい戦ってたよな」

「うん、たぶんいちばん長い戦いだったね。あれは疲れたよ」


「あいつもそうだった。さすがに勇者も珍しく息をきらせてた。そりゃそうだろ。いちばん前線で戦ってたのはあいつなんだから。

 そんで魔王を倒したその後。珍しく勇者が、俺たちと一緒に舞い上がっていたの……覚えてないか」

「もちろん覚えてるよ。力をあわせてやっと魔王をやっつけたんだもん。へとへとだったけど、わたしたちみんな浮かれて……」


 言いかけて、リーシャの口が開いたまま固まった。


 そうだ。魔王を倒したその直後。俺たち4人はみんな“疲れていたし油断していた”

 あの瞬間ならば、勇者でさえも簡単に倒すことができたはずだ。つまり。


 ちょっと工夫すれば俺たち全員をまとめて葬ることも難しくはなかっただろう。


 ――そうなると、ひとつ不可解な疑問が生じる。

 あのときすでに誰かの身体に乗り移っていた魔王は、どうして油断している残りの3人を殺さなかった?


「どういう……ことなのかな」


 リーシャも同じ疑問に行き着いたらしく、難しい顔で俺を見上げた。


「魔王が誰かの身体を乗っ取ったなら、あのチャンスを逃すはずない。

 何かあったんだ。俺たちに手出しできなかった理由が」

「理由って」

「わからない。けどその理由は、誰が魔王なのかを特定する手がかりになるような気がする」


 うーん。首をひねり、二人して唸り声をあげる。

 それからしばらく唸ってはみたものの、どうもこれ以上は予測が立ちそうになかった。


「ま、わからんものは仕方ないな」

「え、かるっ!」

「軽いとは失礼な。俺は軽い発言をしたことなんて一度もないぞ」

「ほんとにっ!!!!!!!!!!!!!??」

「――びっくりマークの量が気になるとこだけど、ひとまず考えを戻すことにしよう。

 今やることは、シュナの居どころをつきとめることだ。それは変わらないだろ」


 疑問は残ったままだが、どこにいるのかわからなければ話にならない。リーシャも納得したようで、ひとつ大きく頷いて返した。


「そうだね。まず会わなきゃ、だよね。絶対とは言えないけど、シュナちゃんのことだからきっと……」


 どうやらリーシャのほうはシュナの行きそうな場所が思い浮かんだらしい。


「だったらさっそく出発するか。こうしているうちにも魔物の被害はでかくなるし」


 気合を入れるつもりで、俺は肩をぐるりと回した。


「ひっついた手もとれたことだしな」


◆◆


 ――その頃。


「魔物の大群が村に迫っておる」


 ここは黒の樹海から30kmほど離れたとある村。村人たちはテーブルを囲み、険しい顔を突き合わせていた。


「我々だけではとても太刀打ちできまい。逃げるのなら今夜だ」

「生まれ育った村を捨てられるか。戦うのだ!」

「ではこの中に魔物の群れと戦う実力の伴った者が、一人でもいるか」


 静かな村長の言葉で、会議は水をうったように静まった。


「覚悟だけではどうにもならん現実がある。勇者とその一団が魔王に乗り移られたとされる今、王宮の衛兵たちもそちらの対応で手一杯。

 頼れる者などどこにもおらんのだ。悔しいが、敗北を受け入れるほかは」


 苦悶の息遣いだけが室内を満たした。そんな静けさに混じって、ふと、戸を叩く音が狭い室内に響いた。


 誰だ、こんなときに。


 白い息を吐いて、会議に参加していた若者が戸口に立った。


「どなただね」


 そう言って訪問者を迎えた。


 立っていたのは、紺のローブにとんがり帽子をかぶった女だった。


「夜分遅くに失礼」


 そう言うと、女は帽子をとってそれを胸に当てた。


「私は勇者ジェノブレイド一団の魔法使い、シュナ=アークライド。

 この村に魔物の群れが迫っていると聞いた。あなたたちの村を助けに参った」


 燃えるような赤い瞳に見据えられ、若者の表情は驚きの色に染まった。

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