第2話 武器職人 リーシャ
「ついたよ。お客さん」
年老いた御者の声が、俺の意識を浅い眠りから覚ました。
目を擦りながら窓の外を見やる。真っ黒な木々が視界を埋め尽くしていた。
通称、黒の樹海。魔王の城に向かう者を阻む天然の迷宮だ。
「長いこと転送馬車の御者なんぞやっとるが、ここに客を連れてきたのは十数年ぶりだよ。
こんな辺鄙な場所になんの用だね」
雑談のようでありながら、御者の爺さんは俺のことを探っているようだった。
無理もない。顔をマントで隠し、事情もろくに離さない男が樹海に連れて行けというのだ。勘ぐらない方がおかしい。
「儂でよければ話を聞こう。なあに、人生はいずれ終わる。早まることはない」
「大丈夫だ。自殺願望があるわけじゃない」
「願望がなくとも、死ぬときは死ぬ。この先へ進むのなら、その可能性がきわめて高くなる。
進もうとするからには、腕に覚えがあるのだろう。それでもやめておきなさい。
生半可な実力(レベル)では通用しない。それこそ魔王を倒した勇者か、その仲間くらいの力がなければ……」
「忠告ありがとう。書状を飛ばすから、帰りもよろしく頼む」
金を置いて馬車を降りる。
身体を大事にな。爺さんは諦めたように言うと、転送馬車とともに亜空へと消えた。
さて、ここからは徒歩だ。前に4人で来たときは丸1日くらいでラスボスまでたどり着けたが、今日は俺一人だけ。
よし。今回も目標は片道1日でいこう。
それ以上は回復草の数も心もとなくなるし、何より食料が足りない。
俺もあのときよりレベルが上がっている(はず)! やってやるぜ!
意気揚々と森に足を踏み入れた。キャア、キャアと、怪鳥の鳴き声がくすんだ空に響いていた。
結局それから2日かかった。
この道、遠すぎ。複雑すぎ。敵多すぎ。恨み節を吐きながら、ようやくたどり着いた魔王の城を見上げる。
あの時は敵の大半を勇者が倒してくれたし、回復はシュナが速攻でやってくれたし、何よりリーシャの発明品が最短の道を示してくれていた。
実際に独りになると、仲間のありがたみがしみじみ感じられた。
……。いや、寂しがっている場合じゃない。とにかくやることはやらないと。
「とりあえず座標石を埋めておこう」
これさえ埋めておけばシュナに会えた時、魔法でまたここに戻ってこられる。
本当は魔王に挑む前にも勇者がここに座標石を埋めたのだが、もう戻る予定もなかったので、帰りに回収してしまっていた。貴重品なのでそれも仕方のないことだった。
埋めた座標石に軽く砂をかぶせ、門をくぐる。
威圧感のある扉が俺を迎えた。
「誰かいますように」
できればそいつが食料を持ってますようにッ!
願望を込めて扉に力を加える。その瞬間。
ぷちん、と糸が切れるような音を耳が拾った。
普通ならば聞き流してしまいそうなほど微かな環境音。ただ俺はそれを聞いた瞬間、血の気がひくのを感じた。
――あいつの罠(トラップ)だ!
バネの縮むような音と同時に、四方から風切り音が鳴った。
見えた範囲だけで小型の矢が8本。ひとまず身体を捻り、数本を躱す。避けきれない分はナイフで弾き飛ばした。
さて次は。
頭上に注意を向ける。金属の網が樹上からこちらに向かって落下してきていた。
どう見てもナイフでは切れない材質。網の有効半径から逃れられなければ終わりだ。
網の形を観察し、最短で逃れられそうだった右前方へと走った。不意を突かれたが、なんとかぎりぎりで回避できそうだ。
――いや、これを逃れても油断はならない。
回避できる道が一つだけ残されていた。ということは、そこにも必ず手を打ってくる。
あいつなら、必ず。
網が獲物を外して地面に落ちた瞬間、破裂音のようなものが響いた。同時にゼリー状の弾が俺に向かって放たれていた。
予想できてなかったらやられてたな。
爪先で落ちた網を蹴り上げる。弾は網に当たると、粘液のようなものをまき散らして、その場に落ちた。
「来てたんだな、リーシャ」
「その声……クード?」
草の陰から、少女の声が届いた。草をかき分けると、緑色に光る石が振動しながら音を発していた。声紋石だ。
「どうしてわたしだってわかったの?」
「こんな物騒なトラップはリーシャしか作らないだろ」
荒れに荒れた門前を見渡しながら、俺は寒気をこらえた。
「っていうかよ。声紋石なんか使わないで出て来いよ。直接話そうぜ」
「うん! ……あ、いや、今はダメ!」
何だよ。歯切れの悪い。文句言ってやろうとすると、リーシャは「ごめんね」と前置きをして続けた。
「私は扉の先にいるよ。でもこれ以上近づかないで。
そこが、ちょうど30メートルなの」
ちょうど30メートル。それは転生が及ぶ最大範囲。
殺し合いになったとき、魔王が相手の身体を乗っ取ることのできる有効半径だ。
「クードもわたしと同じで、ここを調べに来たんだよね」
「ああ。リーシャと一緒なら心強い」
「ありがとう。本当はわたしも、クードと一緒なら心強いよ。でも今は一緒に居たらだめだよ、わたしたち」
気持ちを押し殺すかのような声が届いた。
相手が魔王かもしれないという恐怖。自分が魔王ではないと証明するすべがないことのもどかしさ。いろんな感情が、リーシャの口ぶりから伝わってくる。
けど疑い合ったところで話は進まない。
「言っとくけど俺は魔王じゃないぞ。それに話した感じ、リーシャの方も魔王に乗っ取られてるとは思えないな」
歩み寄るつもりで言ったが、リーシャは「わたしもそう思いたいけど」と前置きをして答えた。
「魔王が記憶まで乗っ取ることができたとしたら、簡単には見破れないよ」
おぉ! さすがは技術者。合理的な考えだ。
――いやいや、感心してどうするよ。相手の出方をもっと探っていかないと。
リーシャが魔王でないのなら手を組む。
魔王なら戦って倒せば……あれ? それでいいのか?
魔王を殺せば自分が魔王になる。そもそも魔王かどうかわからん相手と安直には戦えない。
それじゃ何も解決しねーぞ?
戸惑いかけたところで、散らばった罠の数々が目に入った。
金属の網に粘着弾。矢も小型で、よほど当たりどころが悪くなければ殺傷能力はないとみていい。
「この罠……殺すつもりで仕掛けてないな」
尋ねると、少しだけ間を置いて「うん」と返事があった。
「仮に俺や勇者、シュナの誰かが魔王だとしても、傷つけることができないからだな」
「当たり前だよ。だって」
「だって?」
「――仲間だもん」
届いた声は震えていて、今にも風の音に消え入りそうだった。
判断するのはそれで充分だった。
リーシャが、魔王のはずはないと。
「これからそっちへ向かう」
「え? ……え!? だ、だめ!」
制止の声を無視して、俺は城内に足を踏み入れた。
「俺はリーシャが魔王じゃないって、いま、勝手に決めつけた。
あとはリーシャ。俺が魔王かどうかは、お前が直接判断してくれ」
ホールに足を踏み入れる。迎えたのはリーシャじゃなく、仕掛けられた無数の銃口だった。
トリガーに糸の通った麻酔銃が、足元めがけて一斉に放たれる。俺は弾幕を一気に駆け抜けた。
ホールに身を隠せる場所はさほどない。隠れられるとしても、柱の影が関の山だ。
俺がリーシャを見つけるのが先か。罠が俺を捉えるのが先か。
『あなたは少し腕が錆びたかしら?』
――錆びてねーとこ、見せてやるよ。
弾丸、ガス弾、ピアノ線。入り乱れる拘束具を掻い潜り、柱を一本一本覗いて回る。
残像すら捉えさせない速度を保ち、身に迫る罠を封殺して走る。
4本目に向かおうとしたところで、ちらりとスカートのすそが柱の陰に見えた。
「リーシャ! スカート見えてるぞ!」
「え!? うそ、やだっ! 変態!」
いや、うろたえ方が間違ってる。
というかスカートが見えるのはエロくもなんともないだろ。
「詰めが甘いっての」
柱に手をつき、リーシャの逃げ道を塞ぐ。そして足元を見下ろす。
ひざを抱えた少女が、潤んだ瞳で俺を見上げていた。
「やっと顔を合わせられた。
久々に会ってみて、どうだ。俺は魔王に見えるか?」
上がった息をなんとかおしこめながら、笑顔を作って見せる。
リーシャは薄い唇を結んで、それでもまじまじと俺のうさんくさい笑顔を見つめていた。
そして。
「ここまで近づけば、クードはかんたんにわたしを捕まえられるはず。
そうしないのは……クードがわたしを魔王じゃないと信じてくれたから、だよね」
やっぱり彼女らしい理屈で、リーシャは呟くように言った。
「何だよ、かわいくねーの。ま、いいや。信じてもらえれば」
そう返したら、リーシャもやっと笑顔を見せた。
張りつめていた緊張感が、やっと身体を解放してくれた気がした。
「ふう、やっと力が抜けた……って、あれ?」
柱についた右手が離れない。
「あ、念のために仕掛けておいた粘着テープだ。牛とかも捕まえられる超強力なやつ。
えへへ、忘れてた」
「嘘だろ!?」
押しても引いてもテープはびくともしない。
勝利フラグから一転。俺は壁ドン状態で柱に拘束された。
詰めが甘いんじゃなくて?
――アリアのそんな声が聞こえた気がした。
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