第4話 亜紀の就職

 おばあちゃんが買い物を終えて、一緒に家に入ろうとする亜紀親子を、祐子は止めた。

「これからあの施設も廻るけど。あの施設ね部屋が結構空いてるの、泊めてくれるかどうか頼んであげる」

「どうする?」

 亜紀は美咲の貌に尋いた。美咲はおばあちゃんの顔色を窺うように見ていた。気疲れしそうな子ね、と裕子が美咲を見た。

「その方が良いかもしれんね。なんせあそこだとふかふかのベッドと布団やからね、ばあちゃんとこは、もう何年も前に亡くなったじいちゃんの押し入れに入ってる布団だからね。それに向こうは個室だから美咲ちゃんはゆっくり寝られるわよ。まあ無理なら又ここまで帰ってくれば良いわよ」

 おばあちゃんはどっちでも好きにすればと言ってくれた。元々此の集落に残った連中は町では暮らせない人ばかりだ。此処のみんなはお迎えが来るまで、気ままに気楽に余生を送りたい人たちだった。だから連れ添いが亡くなっても村に居続けられた。別に強靱きょうじんな精神でも何でも無い。敢えて街中の雑踏が耳障りなだけだった。

「おばあちゃんがそこまで言ってくれるのなら美咲、行って見る」

 美咲がウンと頷くと、移動スーパーに乗せて貰った。

「あたしも後三十年すればあんな心境になれるのだろうか」

 裕子の独り言に「世捨て人か」と亜紀も反応した。

「あんたは後四十年以上はあるでしょう」

 裕子はちょっとトゲのある物言いで返した。

「ヨステビトってなあーに」

 美咲に訊かれても、二人はお互い顔を見合わせて、ちょっと眉を寄せていた。 

「処でそこはどんなところなの?」

 亜紀が尋いた。

 戦前は海軍病院だった。でも障害が残る人は除隊されるが、それ以外の負傷者の機能回復が目的だった。中には五体満足なのに施設に居た人は、何でも戦場で心の病に掛かって、大抵は仮病なのだけれども。中にはどうしょうも無くてこのままだと部隊が彼一人の為に全滅する、と分かって此処へ連れてこられた人も居たらしいの。殆どの人がひと月、遅くても半年で回復して又前線へ送られたらしい、と此処のお年寄りから聞かされた。不思議なのは施設の人たちは、そんなもの一切知らない。此の集落の古老たちが知っていて、住んでいる人は知らないのだから可怪おかしいって謂うの。だってみんなが知らないならそれも良いけれど、此の集落の古老たちは知っているのだから変でしょう。それも時間の問題でかなり風化されて、今ではあたしがそんな話を取り次いでいると裕子は笑っていた。

 施設への通り道でもう一か所、四世帯が集まる地区へ寄った。

 六人のお年寄りが買い物にやって来た。そこで美咲を見付けると「あらまあ、可愛い、まあ小さいお手て、お幾つ?」とみんなで頭を撫でられて揉みくちゃに可愛がられた。別におねだりもしないのにドーナツや煎餅などお菓子を買って持たしてくれた。亜紀も馴れないままに売り上げを手伝って、そこを離れて施設に向かった。 

 美咲は助手席に座る亜紀の膝の上に載せられた。

「お年寄りには内の美咲が大人気ね」

「だってあんな小さい子なんて滅多に見ないからもう可愛くてしょうが無いのよ」

 施設には若い介護士やヘルパーもいるからそうでも無いけれど。でも美咲ちゃんほどの子供は居ないから、結構向こうでもお年寄りに、もみくちゃにされるかも知れないけれど。でも良く懐く子だからみんな余計に可愛らしい。

 美咲はいつもお一人さま暮らしで、愉しんで遊んでいるから、こんな多くの人に囲まれて呆気にとられて、なすがままにされていた。

 美咲ったら、それでも泣かないなんて。我慢強いのか、今の立場を心得ているのか。もし後者なら、孤独の中で身に付けたのかしら。それならあたしより美咲は偉い。 

 此処で美咲の思いも掛けない耐え忍ぶ行動に、亜紀は刺激された。そんな想いに耽るあたしの膝で、走る車の行き先をあどけなく見詰める美咲には学ばされた。 

 やがて、此の風景から飛び抜けたように、溶け込むことを拒否した建物が見えて来た。それは旧軍の病院跡地から生まれ変わり、脱皮して新たに利用した建物だった。

 遠くから見えた建物は、こうして目の前で見ると、意外に大きくて古さを感じさせない。遠目には木造に見えたが、外壁には木質のサイディングに替わっていた。

「でも中は元は病院だから洋室で、今はもっと入れ替わってホテル並みで良いわよ」

「中へ入った事はあるんですか」

「此処で一人じゃあ持ちきれない買い物をされたときなんかスタッフの応援で部屋まで運んだことがあるの」 

 玄関前の広場へ横付けすると、早速荷台の三方向に有る扉を上下に開けて、奥の商品を亜紀と一緒に引っ張り出して並べた。従業員とホームのお年寄りに混じって、所長も顔を見せた。

 所長は三十半ばだから、祐子より五つほど若い。裕子は話してみるからと移動スーパーを亜紀に任して所長に歩み寄った。

 その所長の第一声が「何だ今日一緒に来たのは娘さんか?」だった。がその目は笑って真実を伝えていない。

「バッカー、妹よ」

「ほんとんかー」

「うっそよー」

 年季の掛かったやり取りの後に祐子は、所長に一緒に乗せて来た亜紀を、旅行者なんだけど間違って此処の駅で降りちゃったのよ、と言って。今晩泊めて貰えるように頼んだ。

 当ての無い旅か、そりゃあ旅行者と云うより、漂流者みたいだなあ。そう言いながらも、此処は旅館じゃあ無いんだ。老人と機能障害の保養施設なんだ、と勿体ぶっていた。これに裕子が切れてしまって、じゃあ良いわと、言い切らぬうちに所長が慌てた。

 宿泊代わりに手伝ってくれれば有り難い。なんせ此処は、安らぎを求める者の保養には良い環境だが、娯楽を求める地元の働く者には不向きで、遠方から来て貰っていて凌いでも、慢性的な人手不足なんだ。だから住み込みなら大歓迎と所長は言った。

「それはそっちの勝手だろう、それに、ただかよ」

 畳みかける裕子に押された。

「長く居てくれればちゃんと払うよ」

 その間にも此処でも、ホームのお年寄りたちに、美咲はマスコットみたいになっていた。それでもさっきよりは馴れたもので、今度は上手に相手をしていた。これには亜紀も、五歳の即応能力は大したもんだと感心した。でも本人はどうなんだろう、と母親としては気掛かりだった。

 買い物を終えた者たちが、レジ袋を持ってうろうろし始めた。それを見て裕子は此処が潮時と見極めた。

「じゃああとは直接話せば良いでしょう」

 売り込みの手伝いを任された亜紀を、祐子は手招きした。

「泊めてくれるそうよ」

 他に当てが無ければ此処は、条件次第では当分はお邪魔できそう、と思った亜紀を見透かして、でも下手に出ちゃあダメと念を押した。

 祐子は荒木所長に柳原亜紀を紹介した。

 亜紀は住み込みで、当分此処に身を寄せることにした。その頃には三々五々買い物を終えた者たちが、特にお年寄りたちは、美咲をマスコットのように撫でて帰って行った。

「此処に暫く居られることになって詳しい事は所長室でこれから伺うの」

 亜紀と美咲はお礼かたがた、移動スーパーの後片付けを手伝い始めた。

「そう良かったわね」

 あの所長はまあ性格は悪くないけれど、バツイチの独身だから気をつけなさいよ、とアドバイスしてくれた。何でも東京方面から赴任して五年になるらしい。

 裕子は、ここの施設に居る人たちの知る限り説明した。

 入居者全員が、いっぺんには来なくても、顔ぶれは違ったりするけれど、毎回半分ぐらいは買い物する。まず従業員は二十歳前後の若い人が大半で、後は亜紀さんより年上が多い。若い人はそれだけ入れ代わりが多いらしい。

 若者たちには、此処は退屈すぎるのよ。それでも居座るのは、余程の暇人か、施設の居住者同様に、完全に世間から隔離された処が性に合っているらしい。いちいち訊いていないけれど、此処の住人を長く観察した結果だと報告をした。 

 亜紀は浅井祐子を見送って、改めて面談してあてがわれた部屋は、ビジネスホテルのシングルの洋室より広めだった。


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