#9 イオニアのギルド事情
「ズズッ……ごめん、これでもいい歳だからね。涙もろくなったものだよ。君がここに来るまで、どれほど大変だったのだろうか。それを想像しちゃって」
デュリオは鼻をすすって、目の周りと鼻を赤くして私の顔を見た。
「いえ、こちらこそすみません。今までのことをありのまま話すつもりが、つい感情的になってしまいました」
「構わないよ。新教の、それも大聖堂の実力者にも人の血が流れていると分かったからね。勿論、僕は信じていたよ。でも狂信的なイオ教徒達が君達新教徒のことをなんて言っているか知っているかい? 血も涙もない冷血教だってさ。聖イグナチオは慈母神イオを捨てた親不孝者なんだと」
「噂には聞いたことがありますが……私自身は、ここに来た時からずっとイオ教の方々には手厚い歓迎を受けていましたので、にわかには信じられない話ですね」
「ま、僕もイオ教徒って訳じゃないし、そこら辺の事情はどこかで変わったんでしょう。とにかく、本当に申し訳なかった。折角頼ってきてくれたこのイオニアのギルドで、また君を見捨てるところだったよ」
そう言って深々とデュリオは頭を下げる。
「会長にはつい先月着任したばかりでね。この書類の山、ひどいもんだろう? 前会長がそれは薄汚いヤツで、ギルドの不祥事を裏金を受け取って有耶無耶にしてたんだ。その処理をするのに、この書類に全部目を通さないといけない」
ため息をつきながら、書類の山を見上げる。
最近、彼がギルドに顔を出さないというのはとどのつまり、ギルドの前会長の尻ぬぐいをさせられているということか。
「そうだったんですか……着任早々、それは大変だったと言いますか。でも、会長職には誰かから推薦されたのですか? こんなにもやらなきゃいけないことが文字通り山積みだと、誰も引き受けないと思うんですよ」
私が率直な感想を言うとデュリオは少し苦笑いをして、左手の指で頬を掻きつつ答える。
「実は、僕自身が引き受けるって言ったんだ。この汚職の処理も含めてね」
「えっ……それは、どうして――」
「これが僕の罪でもあるからだ」
罪とは一体どういうことだろうか。ここで対面して、今に至るまで一切の悪意を彼から感じなかった。その上、私のつまらぬ身の上話にさえ傾聴し、涙さえ流した。
いまいち、彼が口にする「罪」というイメージと彼の像とが結びつかない。
「罪というのは一体……?」
「殺したんだ。前会長含めて汚職に関わった冒険者全員、ね」
「全員……」
「ああ、四〇人から先は数えなかったが、あまりに多すぎた。その時に強力な魔法を使いすぎたお陰で右手が腐り落ちちゃったんだ。――ああイカン、話題が逸れたね」
気を取り直したようにデュリオは私がイオニアのギルドでクエストを受注することを、この場で承認してくれた。
ひとまず食い扶持を確保できる仕事を見つけられたことに私は安堵した。とりあえず懸念事項は解決したと、デュリオはソファから立ち上がり、山積みの紙が積まれたデスクにフラフラと戻っていった。
「僕はこれからまた、この山のような紙クズに目を通さなきゃいけないけど、しばらくそこに座っているといい。じきにディアナが新しいカードを持ってきてくれるよ。受け取ったら、すぐにでもクエストを受けてもらえると助かる。なにせ『人手不足』なもので」
乾いた笑いをしつつ、書類の向こうからデュリオはそう言い放った。受付で聞き流していた「人手不足」という言葉に、なんとなく引っかかりはしたものの疑問を持っていなかったが、原因は察しがついたので訊くだけ野暮だと思った。
それから、時折聞こえるデュリオの嘆息と唸り声を聞きながら、私は静かに待った。
ここで座っているといいと言われたものの、気まずい。デュリオが機嫌の悪そうな息遣いをするから、何か世間話をしようにも気が引けてしまう。
その騒がしさのある静寂を破るように扉がノックされるのが聞こえた。
ドアが開くと、魔力測定器が壊れた事件で目を丸めていたディアナが少しソワソワしたように、両手でカードを持っていた。
「ストラスト様、お待たせしてしまって申し訳ございませんでした。かの有名なアンスヘルム様率いる勇者候補のパーティと知らず……」
「いえ、それは良いんです。私とて、かのパーティは離れても構わないと判断をしたのですから」
私がそう言うと彼女は少し微笑み、出来上がったばかりのカードを手渡した。
受け取ったカードを見ると、名前の表記が違っていた。というよりも、全く別人のものだった。
「このカード、私のものではないようですが……」
「偽名だよ。破門の身で、魔族領にいるはずの君がここで冒険者をやってるってバレたら困ると思ってね。今から君は『オーギュスト』だ。なかなか粋な名前だろう?」
ペンと紙の擦れる音が止み、デュリオが私の声に応えた。
「そうでしたか……お気遣い、ありがとうございます。頂戴した名前に恥じぬ、立派な働きでこのギルドに貢献したく存じます」
私は飄々したギルド会長と、その右腕とも言えるディアナに敬意を表し、つい新教式の敬礼をしてしまった。
「ま、新教徒とバレないようにね。君、意外と鈍感そうだし」
ハッとなり敬礼を解いた私を見て、先程までの緊張も砕けたのもあって三人で笑い合った。
さて、一悶着はあったものの、いよいよクエストを受けられる。
ディアナが言うには、すぐに終わる見込みのあるクエストは入口付近の掲示板に貼ってあるとのことだった。
早速その掲示板を見つける。なかなかの人だかりに見合ったほど、大きな石板だ。イグナチオのギルドだとコルクボードに依頼書が貼られる形式だったが、ここでは勝手が違うようだ。
何人かの冒険者と思われる人間が、依頼者から受けたお願いの中でクエスト化に当たるものを選んでチョークで書き込んでいるようだ。
「イオニアの人間って心配性な人が多いので、依頼書形式で掲示板に貼り付けるとあっという間に捌ききれないほどの依頼が積み上がっちゃうんです」
背後からディアナの声が聞こえたので、私は振り返った。
「ディアナさん、受付の仕事中ではないのですか?」
「今はお昼休みです。もしよければ、小手調べになるクエストを探しますよ?」
ディアナの気遣いに少し申し訳なさを感じつつも、それを無碍にするのも失礼だと思ったのでお願いした。
単独でもこなせるだろうと持ち込まれたクエストは討伐任務。
だが、いきなりワイバーンの巣に放り込むのもどうかと思った。
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