#6 信じるということ

 イオニアの宿屋は、観光地で誘致されたように一つの区画で整然と並んでいた。

 冒険者や旅人が諸国漫遊で往来するだけではなく、ここにある総本山を拝みに行くために訪れるイオ教徒もいるからだ。国土としても、世界中の教徒の割合についてもイグナチオ皇国とサイヴィリア帝国の二強ともいえる新教国圏には及ばないが、国民一人あたりが受ける福祉の厚さは負けずとも劣らないだろう。

 イオ教徒の巡礼者は宿屋を国の保障により無料で泊まれる制度があって、それを数十年続けられていることから、そのことが窺えた。

 かくいう私も、宿屋に宿泊した折に主人からイオ教の信徒と思われて即行で部屋に案内されそうになった。だが、誤解を与えたままにしておくのは私自身の信条にもとる。

 慌てて新教の僧侶であることを伝えても、「だって神の使いを手厚く看病しているだろう? だったらアンタも慈母神様の加護があって良いじゃないか」と結局タダで泊まることになってしまった。

 イオリゴの国民性なのか、それともイオ教徒の教義によるものなのか分からないが、ここにいる人々は金勘定に関してはとても豪気な人が多いように思う。

 商人のアンナもそうだし、そういえば検問でペット自慢をしていた門番もどこか気前の良さを感じさせた。


 改めて部屋に案内される前に、私は店主に食器を貸してもらえるようお願いした。二つ返事でいくつか皿とお椀、そしてフォークとスプーンを寄越してくれ、宿泊部屋へと向かった。

 部屋に入るなり、すぐさま私は施してもらったバナナをお椀に入れてフォークとスプーンで軽く潰してから豆乳と一緒に混ぜ合わせた。時々上から潰しつつ混ぜるとドロッとしているがまろやかさを感じさせる栄養豊富な流動食が出来上がった。

 まだ目覚めない白狐の口にスプーンで少しずつ注いでやると、樹海の様な道で与えていた無味乾燥な大豆よりも無意識に食いつきが違うのが分かった。

 つい、その反応に嬉しくなり、だが零さぬよう慎重に流動食を与える。


 ここに来るまでは、イオリゴ共和国の人々が新教に対してどんな印象を抱いているのか考えると、不安でならなかった。

 ニコライ司教の言では、多少寛容であるようなニュアンスではあったものの、その捉え方は人それぞれだからだ。その不安も稀有に終わったのだが。

 ここに至るまでの道で、様々な人達が私のために肩を貸してくれた人ばかりだ。

 この体験は、イグナチオ皇国の政務や特務をしているだけの人生では決して味わうことのないものだと思う。

 助けてもらったことへの申し訳なさや、後ろめたさもない。

 傲慢なことを考えてしまったが、実際そうとしか言えない。

 何しろ、手を貸してくれた人々に一切の恩着せがましさを感じさせなくて、その上誰かを助けること自体に喜びを覚えているかのような人々ばかりとの巡り合わせが続いていた。

 新教は、自己と神との利害関係によってのみ、加護を得られると経典には著されている。自己を利し、得られた利益を神に捧げて自らのステージを上げることで、死後の恩恵を多大に受けられるのだと。

 それはイグナチオの僧侶であれば、政務やお勤めを通して教会のお布施を得ること、冒険者であればギルドで受けたクエストをこなし、報酬の一部を奉納することを指す。

 それが影響しているのか分からないが、どこか新教の人間には冷酷さ、悪意さえ感じさせる存在と対峙することも少なくなくて、息の詰まる日もあった。

 その上で私は破門され、こうして追放の身に甘んじている。

 二年間共にした仲間――便宜上とはいえそう思っていた――に裏切られ、敬愛するベネディクトゥス様とも今生の別れとなり、全て失ったように思えた。


 もし、全てを失ってからの始まりが今だというなら、もう一度向き合うときがやって来たということなのだろう。

 だが向き合う相手は神ではないはずだ。

 私は向き合ってきた聖イグナチオに拒絶された。

 それでもどこか遠くで私を見つめる、人ではない何かの視線に私は神のような存在を感じずにはいられないのだ。


 今も私を見つめ続ける「神」が居るのなら、私はその神に私の在り方を示そうと思う。

 ここに来るまでに出会えた人々がそうしたように、私もどこかで苦しんでいる人々のために手を差し伸べよう。

 これが私が信じる道だ、私だけの教義だと。


***

 食事を済ませた白狐をベッドの上に横たわらせる。いつまでも不安定な懐に置いたままでは居心地が悪いだろう。

 初めて処置をしたときよりも、かなり血色というのか、容態が安定しているように感じた。


 今、私の手元にある資金は金貨九枚、しかも純度の高いイグナチオ金貨だ。何もしなくても半年は暮らせる。それでもいつ戻れるか分からない状況で、半年間何もしない訳にはいかない。

 イオニアにあるギルドに立ち寄っても良いだろう。私には学問所で教鞭を振るえるほどの学は備わっていないので、やはり力仕事で多少稼ぎを手にする方が現実的に思えた。


 ギルドに向かう前に、一つ準備しておかねばならないことがある。

 もし、この子が目覚めたときに、食べられる物がないのでは、またすぐに身体に支障をきたしてしまうだろう。そう思って、皿に剥いたバナナを置き、お椀には豆乳を注いでから宿屋を出た。

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