#5 聖都イオニアの市場

 イオリゴ共和国中心都市、聖都イオニアに入る巨大な石門を抜けた先は息を呑むほどの神々しさを感じさせた。

 幅広で長大な参道を一筋に構え、その先にはまた更に長大な階段が続いているのが見える。あの先がイオ教の教会だろうか。

 辺りを見渡す。イオニアは広大な森と山に囲まれて、「自然の要塞」という様相を呈しているのが分かる。さしずめ、教会を抱くように広がるこの山はイオの加護に包まれた霊峰だろう。


 イグナチオ皇国や、サイヴィリア帝国のような広大な土地や華々しさは無いが、人と人との交流が盛んに行き交っている。

 活気の強いこの街もまた、他にはない魅力で溢れていた。

 飛び交う喧騒を私は歩きながらまずは市場に行き、栄養のある食べ物を探すことにした。まだ目を覚まさないこの狐に、大豆や水だけで処置を済ますわけにはいかない。

 目が覚めたら、多少大きな固形物でも良いかもしれない。それよりも今は流動食になる食材を探さねば。

 ちょうど果物屋でおあつらええ向きのものが置いてあった。

 バナナだ。

 私を含めてイグナチオの僧兵たちがこぞって肉体鍛錬後に牛乳と混ぜ合わせたものを飲み、後に続くお勤めを切り抜けてきたものだ。

 きっと、この白狐も大豆よりもバナナを食べた方が身体の調子が戻るのも早まるだろう。

「ここでバナナがあるとは珍しいですね」

私が果物屋の人影に声を掛けると、若い女店主の元気な声が返ってきた。

「はい、いらっしゃい! ちょうどさっき、南方からの商人が卸してくれたんですが、最近価格が高騰しておりまして。でもよく貴族様が買い取ってくださるので一応置いているんです」

 確かに、そもそもイグナチオ皇国でもバナナはそれなりに良い値段のする果物だ。大聖堂に卸しに来る商人から大口で購入していたが、市場では見かけることは少なかったな。

 だが、高騰するとはいえ貴族しか手を出さないほど高くなってしまうものなのだろうか。

「そんなに今、バナナは高くなっているのですか。普段だったらバルダ銀貨五枚で一房は買えていた筈ですが、今はおいくらほどに?」

「実は……この辺りで流通しているペルツ金貨の換算で一枚分までに跳ね上がってまして」

 ばつが悪い顔で店員は答えた。世界に流通している金貨のなかで、ペルツ金貨はそれほど質は高くないが、現在の貨幣価値はバルダ銀貨一〇〇〇枚分は下らない。

 本来であれば二〇〇房を買える値段までの高騰とは、異常としか言いようがない。

「一体、何があったのですか?」

「食害です。南方の農園、ゆうに九割が魔物の大量発生で根絶やしにされていると商人の方からは聞きました」

「なんと、凄まじい……」

 もし、私が破門で追放されていなければ、このまま商人のもとに行って助けたかったのだが……。今は滅多矢鱈にこの国を出るわけにはいかない。

 この国の勝手が分からないまま流浪しては、ニコライ司教の厚意と意図を無視することになってしまうからだ。

 何より、今は多少出費が増えてでもこの狐を治療することが私にとっては先決だ。


 ニコライ司教が渡した金子きんすは、イグナチオ金貨一〇枚。世界で最も金の含有量の多い金貨をこれほど持たせてくれたのは僥倖だが、同時に異端者に渡す餞別の品にしては過保護だと思う。もし次に会うことになれば、少し苦言しておくとしよう。

「事情は分かりました。では、この金貨一枚で一房譲っていただけますか?」

「イ、イグナチオ金貨ですか!? もしや、新教の司教様、いや大司教様で?」

 ギョッと、店主が目を見開いて私を見つめた。

「いえ、私はしがない僧兵です。訳あってしばらくこの街に滞在させていただくことになりました」

「新教国圏の商人さんや冒険者さんは見かけますけど、信徒の方とは珍しいですね。しかも慈母神教の神の使いを抱いて買い物をされる方だなんて」

「それも色々ありまして。この子に栄養をつけさせたいもので、どうしてもそのバナナが必要なんですよ」

 驚いた様子で私の顔を見ていた彼女は、にわかに豪快に笑顔を作り「合点!」と手を叩いて承知してくれた様だ。

「ええ、我らが慈母神教の功徳となるなら是非とも! ですがイグナチオ金貨一枚でバナナ一房なんてケチなことしませんよ。もう一房、あとこの豆乳も持っていってくださいよ旦那!」

 歯を見せて満面の笑みを見せる女店主は、屋台に吊り下がっていた皮袋の豆乳も寄越した。

「こ、こんなに沢山いただいてよろしいのでしょうか……?」

「本来成り立たない商談なのに、ここまで気前よく金貨出してくれるお客様なんてそうそういませんよ? それに、異教の神の使いにここまで尽くされるお人好し具合が気に入った!」

 豪気な店主が、私の肩をバシバシと叩いてとてもご機嫌な様子だ。

「それは買い被りです。私はただ、どんな命でも失われていくのを見過ごすことができないだけで――」

「ますます気に入った! 私はアンナ。今はここで屋台で市場の状況を見させてもらっているケチな商人ですが、普段は奥の通りにある商館を営んでます。近くを通りがかった際は是非ご贔屓に」


 アンナが取り仕切る商会では、市民生活に必要不可欠な食品の取り扱いだけではなく、武器や冒険者が手に入れてきた魔物の素材など、手広い商売をしているようだ。

 私は食料袋にバナナと豆乳を入れてもらい、アンナが店を構える屋台を後にした。

 食料袋の紐をしっかり締め、まだ目覚めない白狐を優しく抱え、私は宿屋へと向かっていった。

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