#2 追放の日

 昨日の地下牢で座った体勢のまま、朝を迎えた。


 二年間で、旅先の宿屋で使い古されたベッドや、野宿で夜営のふりで仮眠をして、魔物の気配を察知したときだけ目を覚ますなんて生活にも慣れたつもりだった。

 今朝の起きがけにのしかかる倦怠感は、ここ最近で最もひどいものだ。生きる意味を失ったからだと言っても良いかもしれない。

 結局、昨夜私が眠るまでに代わりの看守がやって来ることはなかった。ニコライ司教が配慮してくれたのだろうと思う。信じるべき主を違えた異端としてではなく、一人の知己として出来る限り扱ってくれたことに感謝を禁じ得なかった。


 覚醒と微睡みとの狭間に揺れていると、足音が聞こえてきた。ニコライ司教とピョートルだ。

 ピョートルは腰に提げた鍵束から、私の檻の鍵を開けた。

「ストラスト様、出立のお時間です」

「分かった。出迎えありがとう」


 一夜明けても、二人の表情は浮かないままだ。

 受け止めきれるほどの嫌なことは、寝てしまえば忘れられるものだ。

 二人にとっても私の破門という事実には、現実として咀嚼するには難しいことなのだと。

 そう思うと私は彼らの想いの強さに胸を打たれた。そして、その想いには報わなければならない。

「ニコライ司教、ピョートル君。その様な暗いお顔をなさらないでください。神託には誤りなどないのです。お二人は新教のしもべとして、この異端者に罰を与える栄誉を授けられたのです。『イン・ノミネ・ドミニ神名のもとに、神たる聖イグナチオに仇なす者を裁き給え』と声高に唱える栄誉を――」

「馬鹿者!! 目の前で謂れのない罪を背負って、贖うことすら許されない者を誰が鞭打つものか!」

 ニコライ司教がその歳に似つかわしくないほどに声を荒げる。その目からは、堪えきれない涙が流れ続けていた。ピョートルも同様に、声を抑えて嗚咽を上げている。

「やっぱりこんなの間違っていますよ、ストラスト様……威厳と慈愛に溢れたベネディクトゥス様だけではなく、我々のような一介の田舎僧侶でさえも信頼を寄せるあなたが、どうしてこんな目に遭わなければならないのですか……」

「ピョートル君。まだ君は若いから、神託を疑うには早いですよ。ニコライ司教もです。次期大司教の最有力候補のあなたまでも、ここで私を罰することを躊躇ってはなりません」

「――良いかストラストよ。お前の思う通り、ワシは次期大司教の昇格を目指そう。どうか、それまで生き延びよ。必ずイグナチオの地に呼び戻す算段をつけられるよう、中央聖教区で探りを入れる。生きることを諦めてはならぬ。今は雌伏する時なのだ」

 流し続けた涙は止まり、ニコライ司教の目には若々しい覚悟の炎が宿っていた。


「あなたには、いつも世話になり続けています……本当に、本当にありがとうございます。必ずこの恩は返します」

「馬鹿者、それは事が済んでからだ。外に馬車を用意してある。パウルス教皇からは魔族領への追放とのお達しだが、案内役には袖の下を握らせておいた。魔族領の道すがらにある獣道でお前を降ろす手筈になっている。一週間歩き続ける道を抜ければ、イグナチオの北に位置するイオリゴ共和国に到着するはずだ」

「イオリゴ共和国って、まさかあの――」

「そうだ、イオ教を国教とする異端国だ。案ずるな、あそこは信仰の自由が保証されているから、お前が新教式の作法をしようが咎められることはない」

 イオリゴ共和国は、狂信的な新教派からは『毒母教』と強烈な皮肉で呼ばれるイオ教の信仰が盛んだと言われているが、私はなにぶん見聞を広めていないので詳しいことは分からない。

「ならば、多少の無作法で怪しまれることは無さそうですね。それは少し安心しました」

「うむ、だが気をつけるのだぞ。お前は中央聖教区では結構な有名人だ。例えばイグナチオの商人や冒険者がイオリゴに足を踏み入れない道理は無い。あまり派手な行動は控えるのだ。それと、今まで剃髪していただろう? 髪さえ伸ばしておけば、それだけでバレることも少なくなるかもな」

 そういえば昨日の朝から剃髪していないためか、少し頭に髪のジョリジョリした感触が戻ってきていた。剃髪を始めたのが一〇歳の頃だから、二〇年ぶりの手触りだ。思っていたほどの感慨は無いが。

「イオリゴは人の行き来が盛んなようですね。髪の件も含めて肝に銘じておきます」


***

 私は教会に停めてあった馬車に乗り、イオリゴ共和国へと繋がる獣道へと向かった。馬車に乗り合わせるのは黒い外套を着た見覚えがある僧兵だ。彼は中央聖教区の所属だと思ったが、今は辺境伯領に転属となったのだろうか。

 イグナチオ教は大きく僧侶、僧兵、そして私が務めていた特務僧兵の三種類を外套の色で区別するようになっている。僧侶は白、僧兵が黒、特務僧兵は赤といった具合だ。

 中央聖教区では、最も多い白い外套にちらほらと黒い外套が確認できて、その中で私一人だけが赤い外套を身に纏うのだから、顔見知りではない信徒からもしばしば声を掛けられることがあった。

 今の私は、赤い外套をピョートルに預け、その下に着ていた黒い長袖長丈のツナギだけという出で立ちだ。そして、一応罪人という扱いでもあるので、金属製の手枷を嵌められている。この程度、鍛え上げた筋肉でやろうと思えば千切るくらいは造作もないが、滅多な行動を起こしてニコライ司教の厚意を無下にしてはならない。


 馬車はつつがなく進み、朝に出発して、その日の夕方に突如止まった。

「ストラスト様、追放先に到着しました」

 同乗していた僧兵が伝え、懐に入れていた鍵を使って枷を解錠してもらった。

 私は馬車から降りて、座りっぱなしだった身体を伸ばす。

「旅のご無事を、心より願っております。またいつか、イグナチオの地に戻られる日が来ますように」

 僧兵が新教式敬礼で労ってくれたのを、私も同様に敬礼で返した。

「ありがとうございます。ニコライ司教にはくれぐれもよろしくお伝えください。ところで、あなたは中央聖教区で大聖堂の警備を担当していたロドリゴさんですよね」

「ご、ご存知だったのですか」

「ええ、親しい者と中央の僧兵の顔と名前は覚えているようにしているんです。大聖堂の警備から異動されたのですか?」

「いやはやこれには脱帽です。世界にただ一人の特務僧兵に名前を覚えていただけていたとは、恐悦至極に存じます。実はこの度、特務僧兵候補に選ばれることになりまして、教皇様からの勅令で辺境伯領教会の僧兵団長を務めています。早速、このように不正を働いていますがね、ハハハ」

 軽い調子でロドリゴは受け応えた。たった一人だけ任命される特務僧兵、その候補とはいえ、そこまで登り詰める実力は確かなものだ。彼のこの調子は、実力に裏打ちされたものに他ならない。

「そんな大事な時期に、ご迷惑をおかけしました」

「いえ、良いんです。特務僧兵のストラスト様といえば、我々イグナチオ僧兵全員にとってのヒーローなんですから。ジェズ奪還の任では大変な苦労をされたとニコライ司教から伺っております。でも、あなたの味方は思った以上に多いんです。信じてくださいよ?」

 私はこの二年間で随分自尊心を傷つけられていた。特務僧兵として、中央聖教区にやって来る悪魔族、魔族の討伐で名を挙げていたところで、聖地奪還の大役を仰せつかったと思ったのも束の間。待っていたのは使いっぱしりと壁役の日々、そして夜毎に聞こえる「雑音」、それら全てが私の精神を蝕んでいた。

 ニコライ司教、ピョートル、そしてロドリゴ。彼らとの出会いで、少しずつだが癒されてきたと思う。

 同じ信条を持つ者同士だから、分かり合えるものがあるのだ。


「あの、ストラスト様。もう一つお願いしてもよろしいでしょうか?」

「なんなりと。構いませんよ」

「実はそのぅ、握手をお願いしても?」

「握手?」

 思わず聞き返してしまった。

「ええ、我らがヒーローと握手ができるのですよ。名誉なことです」

「こんな異端信者であれば、喜んで」

 私はロドリゴに手を差し出した。

「そんな意地悪、仰らないでくださいって。帰ったらみんなに自慢するんですから」

 二人で笑い合いながら、握手を交わしてそれぞれの道を進んでいった。


 旅は始まった。

 いずれまたイグナチオ皇国を、そして生まれ故郷の聖地ジェズを、この足で歩くために。

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