#1 全てが無駄となった二年
辺境伯領教会の修道女が渡した通達により、私は茫然自失としていた。やがて宿屋には、ニコライ司教配下の僧兵が押しかけてきた。
「ストラスト様。パウルス新教皇、ニコライ司教の命によりご同行願えますか」
「私は……どこに連れて行かれるのだろう?」
「まずはニコライ司教よりお話があるとのことです。その後のことも司教より話があるでしょう」
緊張と今にも涙が流れそうな想いを抑えて「ああ」とだけ相槌を打った。
ふらつく足取りを両脇の僧兵に支えられながら、私は宿屋を後にした。連れて行かれた先は辺境伯領教会の地下牢だ。
「失礼します、外套を」
看守にあたる僧兵が私に短く伝える。
「そうか、特務僧兵も罷免されたんだ。この赤い衣を纏う資格は無いものな」
身に着けていた外套を脱ぎ、その場で畳んでから看守に渡した。
「ありがとうございます、確かに。ストラスト様、私は何かの間違いだと思っております。ベネディクトゥス教皇の側に仕え、信仰を守るべく戦い続けてきた姿を私は見てきました」
「その顔……見覚えがある。君はニコライ司教の息子さんだ。確かピョートル君。中央聖教区の集会で何度か司教に同行していたね」
私が覚えていたことを嬉しく感じたピョートルは、微かに口角を上げた。
「はい、そのピョートルでございます。お会いした数は少なくとも、力強い肉体に合わないお優しい雰囲気は今でも印象に残っております。あなたの様な方が、よもや異端信者で破門されるなど信じられるはずがありません」
一転して顔を曇らせたピョートルを見て、身に覚えのない自分の罪に、やりきれない罪悪感が湧いてしまった。
「私も何が何やら訳が分からない。破門ということは、二度とイグナチオの地を踏み入れるのは難しいだろう……そうだ、今の教皇がパウルス様ということなのだが、一体どういうことなのだろうか?」
本来であれば教皇の死去から半年以内に開かれる中央集会で、六割の大司教が賛同した候補から選出されることになる。今に至るまでベネディクトゥス様の体調が思わしくないという話どころか、何者かに暗殺されたという情報すら流れてこなかったのが奇妙でならなかった。
「新教皇が決まったのは二ヶ月という異例の早さでした。ベネディクトゥス様が身罷ったのが四ヶ月前、サイヴィリア帝国皇帝の謁見中に突如胸の苦しみを訴えてそのまま……」
話だけを聞けば帝国による暗殺か、もしくはパウルスによる謀殺かと邪推する。
だが今ここで考えても分からないことだらけだし、不確かな情報を繋ぎ合わせても道を誤るかもしれない。何より、これから歩む自分の道が絶たれたばかりなのだから。
「ピョートル、挨拶は済んだかね」
地下牢の入り口から声がした。ピョートルの父であり、ここの司教ニコライだ。
「……父上」
地下牢に歩み寄るニコライ司教に道を譲るように、ピョートルは後ずさった。
「ストラスト、残念だよ。まさかこの様な形で挨拶することになるとは」
「ニコライ司教、私も何が何やら訳が分からないのです」
「うむ。ワシもお前の信仰心は誰も疑いようのないものだと思っていた。だが、先日お前が連れてきた冒険者のアンスヘルム様がな、パウルス教皇に告発していたようなのだ。夜毎、奇妙な祈りを捧げているが、もしやこれは異端であるイオ教の祈りではないのかと」
「祈り……ですか?」
私は教会で祈りを捧げることはあっても、宿屋や何もない所で祈ったことはない。
聖イグナチオ像を前にしなければ、神の存在を感じられないというのが新教の教義だからだ。まさか……雑念を祓うための瞑想を見られていたのだろうか。
「その……言いにくいことなのですが私は毎晩、父に教えられた瞑想で自らを律していただけなのです」
「そうは言うがな、パウルス教皇と大司教達による異端審問と神託では、お前が異端信者であると示したというのだ。教皇は神の声を聞ける立場にある御方だ。その意味は分かるな?」
教皇は代々、神の代行者として君臨する。殊に政教一致のイグナチオ皇国では、神の代行者とはすなわち、政治のトップでもある。
神すら、私を否定したというのか。
「……私はこれから、どうなるのでしょうか」
「二度と、このイグナチオ皇国には立てまい。追放の措置は、我々が追って執り行なう。長い付き合いだからな、まとまった金銭と食料は渡す。せめてそれだけの慈悲は神も目を瞑ってくれよう」
「ご配慮いただき、ありがとうございます。それで、聖地の奪還については――」
「アンスヘルム様は抜けたお前の代わりに、我が教会に所属するアメリアの派遣を希望した。お前に書簡を渡したあの修道女だ。聖戦については、パウルス教皇から再度態勢を立て直してからの実行ということで保留するとのお達しを受けた」
なるほど、実力のある僧兵ではなく修道女を所望ということは、色々と察してしまうな。私の表情が一層暗くなったのを見て、ニコライ司教が訝しげな様子で尋ねてきた。
「ストラスト……どうやらアンスヘルム様は決して褒められた性格ではないのだな」
「――お恥ずかしながら」
「うむ、ならばアメリアには強く言っておこう。彼女は生まれてすぐ、この教会前で捨てられていた子なのだ。血は繋がっていないが娘同然にピョートル共々育ててきた。どこの馬の骨とも分からぬ者に迂闊に貞操を散らされたくないのでな」
途端に口をへの字にして曲げるニコライ司教は親バカそのものだ。
「ではワシは一度お前に関わる手配を進めておくので、ここで失礼する。……それともう一つ、お前に伝えることがある。ワシはお前を信じておるからな。アウグストゥス様とフランシスコ・ヤソ様に育てられたお前が、道を誤ることなどあり得ない。先に続く道は茨に敷き詰められているかもしれないが、自分の信じた道を進むのだ」
そう私に語りかけたニコライ司教の目は少し赤く、涙を溜めているように見えた。たとえ異端と認められても信じてくれる。
「司教様、幼い頃にあなたのような慈悲深い方とお会いできたこと、神に感謝します」
小声で呟いた言葉がニコライ司教の耳に入ったかどうかは定かではない。そのまま司教は再び地下牢の出入り口から去っていった。
「それではストラスト様、私も看守交代の時間となりますので、ここでお
ピョートルも軽い会釈をしたのち、地下牢を出て行った。
冷たい床の地下牢の地べたに座り、背を壁に預ける。看守が交代されるということだったが、どうも時間がかかっているのだろうか。
二〇分ほど経ったか、地下牢の扉が荒っぽく開かれる。そこに立っていたのは看守ではない、見慣れた面構えの三人だ。アンスヘルム、シェイラ、マリレーナがぞろぞろと私が収監される檻の前に立った。
「よお、皇国の裏切り者さん」
「アンスヘルム……」
これまで受けた仕打ちを思い出し、不意に憎々しげに睨みつける。
「ちょっと。大して親しいわけじゃないのに、アンに呼び捨てするわけ?」
シェイラが軽蔑の眼差しで私を見下す。
「まあ、カッカすんなよシェイラ。この有様じゃあ俺に手出しできねえだろうから、それぐらい許してやるよ」
「ふふっ、アンってば慈悲深~い」
そう言いつつシェイラはアンスヘルムの頬に口づけする。アンスヘルムの邪悪な笑みが一層強くなり、不快感を覚えた。
「……」
「……」
私もマリレーナも、あの二人が悦に浸る様を黙って見ていたが、雰囲気に耐えかねて私から話題を切り出すことにした。
「私を追放して、せいせいしましたか」
「おぉ? まだ俺の慈悲深さってのを分かってねえみたいだな。お前みたいなでくのぼうじゃあ、この先の聖戦にもついて行けねえって思ったわけよ。もうお前が前線に出しゃばったら邪魔なんだよ。俺達は十分強くなったからな」
「私は別にあなた方を邪魔しようと思ってなど……それに、聖地にのさばる魔族達は、我々僧侶の結界魔法でなければ抑え込むことは難しいはず――」
「お前一人居なかろうが問題ねえだろ。それに俺らの新しい仲間知ってるか? アメリアちゃん。この教会で一番神聖魔法が得意で、時期司教の候補なんだとよ。それに、ありゃあローブで分かりにくいが、着痩せするタイプだぜ。今から楽しみになってくるなあ、へへ」
「ちょっとアン? 鼻の下伸びてるんだけど」
シェイラが色々といきり立たせたアンスヘルムの耳をつねった。
「あイテテ……わりぃわりぃ、それでも一番はシェイラだからよぉ。機嫌直せって」
一番という言葉を聞いたシェイラはすぐさま、満更でもない表情を浮かべる。恋は盲目というより、依存をしているような印象だ。
「ま、そういうわけだ。お前一人欠けたって、俺達のパーティは全然問題ないってこと。なんだったらアメリアちゃんの方が役に立つだろうしな。あと皇国から預かってた結界魔法のクリスタル、お前の外套から取っといたから。お前は遠く彼方の地で、指でも咥えて勇者誕生の時を待ってるんだな」
アンスヘルム達が私を邪険にしているのは知っているつもりだった。それでも面と向かって役に立たないと言われたのは
「そんじゃ、どっかの知らない流刑地でも行って達者に暮らしてな。異端者さんよ」
呵呵大笑し、アンスヘルムは大手を振って地下牢を出ていった。傍らにいたシェイラは彼の腕に抱きつきながら付き従っている。
マリレーナはバカップルの背を一瞥してから、こちらに視線を向ける。
あれだけの仕打ちを受けて打ちひしがれた私を、無機質な目が捉えていた。
「この後、どこ行くの?」
私は少し驚いた。普段まともな会話どころか、彼女が喋ること自体が珍しかったからだ。
「え? あぁ、まだ決まっているわけじゃないんです。マリレーナ殿」
「別に、呼び捨てで良い」
「そ、そうか。ニコライ司教の手配次第だな、それは。イグナチオ皇国と街道を繋ぐ門までかもしれないし、教皇の指示で魔族領に放り出されるかもしれない。どの道あのパーティで足手まといだったのなら、長くはもたないだろう」
「ふぅん、まあ良いわ。これ餞別」
マリレーナはベストのポケットから出した細いブレスレットを私の手に握らせた。
「これは?」
「いつか役に立つ」
「そうか、でも魔術に強いマリレーナが言うのなら、きっとそうなのだろう」
「そう。それじゃあまた」
言葉は少ないが、私に思うところがあったのか。いつもの寡黙な調子に戻ったマリレーナも地下牢を後にした。
色々な感情に振り回された面会だった。
一方で、どこか肩の荷が下りたような心地がした。
聖戦の勝利こそが人生の目標と思っていた私にしては無責任な感情だ。
それでも、この地下牢に訪れた静寂を、今はただ享受していよう。
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