異端の僧侶は聖地を目指す
小島渚
#0 あと一歩での戦力外通告
敬愛する教皇、ベネディクトゥス様。新教の敬虔な信者全ての悲願、聖地ジェズの奪還が目前に迫っています。
ジェズまでの道のりはもうすぐだ。教皇様から聖地奪還を命じられ、有力冒険者アンスヘルム殿のパーティとともにイグナチオ皇国を出立し二年が経っていた。盾役とみなされた私への風当たりが強いなかで、よく耐えることができたと思う。
旅費を冒険者ギルドのクエストで賄い、みんなの荷物を背負って旅路をひたすら歩む日々だった。クエストではゴブリンの棍棒攻撃を受け続け、オークの大斧を受け流し、ワイバーンの炎はその身を焼こうとも決して倒れることはなかった。
夕方に到着した辺境伯領の検問を終え、私達のパーティは宿屋へと向かった。この辺境伯領を超えれば、魔族に支配された聖地ジェズは目前だ。
「おい、ストラスト。宿屋確保しておけ。分かってるな? 『三部屋』だぞ。俺達はちょっとアイテム屋とかギルド行ってくるからよ」
「はい、アンスヘルム殿。チェックインしたら、あなたとシェイラ殿、マリレーナ殿のお荷物はそれぞれの部屋に置いておきます。夕餉はこちらの宿で手配しますので――」
言い切るよりも先にアンスヘルム含めた三人のメンバーは背を向けて歩いて、あっという間に雑踏に紛れてしまった。
少しため息をついて、宿屋のチェックインを済ませることにした。気にするな、いつものことなのだ。こんな日々もあと少しで終わる。それまでの辛抱だと自分に言い聞かせた。
ここ二年旅を続けてきて、彼らについては理解してきたつもりだが、それでも私と三人との間との溝は深まるばかりだった。
アンスヘルムはイグナチオ皇国の隣サイヴィリア帝国のギルドで唯一、聖遺物のハルバードに認められたと言われる将来有望な冒険者だ。没落貴族の長子で、彼の父親が爵位を返上したことをきっかけに冒険者となり、魔族討伐の功績によって貴族復位を目指しているそうだ。
彼に付き従うシェイラはダンジョンの宝箱鍵師と歩哨を務めていて、アンスヘルムとは深い仲になっている。スラリとしたシルエットでありながら、胸部を強調した肢体は、この世の欲深い男心を惹き付ける妖しさを放っていた。
宿で三部屋確保するのも、彼とはいつも相部屋だからだ。夜毎に聞こえる嬌声や二人の睦言が隣室から聞こえるのはほぼ日常茶飯事のこと。たまには抑えて欲しいと思っていたが、それは諦めて雑念をかき消そうと瞑想することが毎晩の習慣となってしまった。
マリレーナについては……よく分からない。
サイヴィリア帝国皇帝、エドムンド一二世の要請でアンスヘルム達に同行するダークエルフの傭兵ということ。そして一流の魔術師であることは分かっている。私は多少魔法の心得があるので彼女の膨大な魔力を目視できたのだ。アンスヘルムはじめ、パーティメンバーとは馴れ合わないが、仕事はきっちりこなすプロのような佇まいを感じさせた。スレンダーな体つきに、ベストとパンツスタイルで戦う姿は、男装の麗人を思わせる。
宿屋でのチェックインと夕食の手配を済ませた私は、三人が戻ってくるのは当分先だろうと思い、辺境伯領にある教会に赴いた。
ここの司教とは付き合いが長い。だが、聖地奪還の任もあってかれこれ二年半は会えていなかったし、聖地奪還作戦の増援が欲しかった。
教会の正面口を開く。奥には天井まで届く聖イグナチオの石像が背後の夕日に差され、その逆光が神々しさを醸し出していた。
幼い頃、ジェズの聖堂で見たものと似ている。聖杖を右手に握り、左手で天を差し伸べる立像はここの教会とジェズだけの特徴だ。
ちなみに他の教会では、片膝をついて聖杖を両手に抱えている姿となっている。
祭壇を前に、聖イグナチオに祈りを捧げる修道女を見かけた。扉を開けた音に気づいたのか、両膝をついた彼女が立ち上がり私を見つめた。
「何か御用でしょうか?」
「ああ、これは失礼しました。イグナチオ皇国特務僧兵、ストラスト・ヤソと申します。司教様のところまでご案内いただけますか」
「あなたがあのベネディクトゥス様の懐刀、ストラスト様でいらっしゃるのですね。お会いできて光栄でございます。では、司教様のところまでお連れいたします」
修道女は楚々とした態度で応対し、教会の隅まで歩き扉を開いた。
長い回廊を歩きながら、二人の足音だけが響いている。
司教の部屋を修道女がノックすると、「入りなさい」と声が聞こえた。落ち着いた声色は、懐かしさを感じさせた。
扉を開けて、眼前のデスクに着いている司教に対し、右手を左肩に添えた「新教式」の敬礼をする。
「ニコライ司教、お久しぶりです。中央聖教区の特務僧兵、ストラストでございます。長い間伺えず、申し訳ございませんでした」
「ストラスト、久しぶりだな。老体とはいえ気が長くなったものだ。気遣い無用」
ニコライ司教は案内してくれた修道女を下げ、それに伴い私は敬礼を解いた。
「いよいよ、この日がやって来ました」
「聖地ジェズのことか。しばらくの沙汰もなかったお前がここに来たということは――」
「はい。サイヴィリア帝国の聖遺物を扱える冒険者をお連れしました。今は旅の疲れで宿に泊まっていますが、明日にでも紹介できればと」
心象を悪くしたくない想いで、あえてアンスヘルム達は宿屋で休んでいるということにした。
普段から受けてきた仕打ちから、司教に紹介するのは個人的に憚られるのだが、進軍準備を進めるにはやむを得ない。
ジェズ奪還には、私達のパーティや辺境伯の軍だけではなく、新教会の僧兵達の手助けも必須となる。聖地を支配している魔族軍は白兵戦は得意ではないが、魔力による肉体強化と戦略魔法でカバーしてきた。
その魔力を私が中央聖教区から持ち出した結界魔法のクリスタルに新教会総出での祈祷により力を増幅させて、魔法を無力化させてから侵攻が始まる。
だが魔族軍を退けただけではジェズ聖堂に宿るといわれる加護が戻らない。
今、聖堂は封印魔法で、聖堂そのものの時が止まっているとされている。そこでアンスヘルムが持つ聖遺物だ。
聖遺物が持つ力で封印を解いた瞬間、そこで初めてこの二年の旅路が報われるのだ。
***
――それから世間話を交えつつもニコライ司教への支援要請、パーティとの顔合わせは快諾していただけた。うっかり思い出話にも花が咲いてしまった。
聖イグナチオ像を差した夕日も傾いて、既に月と空中を浮かぶ夜灯が街を照らしていた。
急ぎ足で宿屋に戻ると、既に私が手配していた夕食は全てアンスヘルム達によって平らげられてしまっていたようだ。
食堂には四人分と思しき食べカスで汚れた食器だけが残されていた。
(これ、全部食べるだけ食べてしまったのか……あとは片付けろ、と)
おおかた、アンスヘルムが私の分も食べたのだろう。やや細身の身体に合わず大食漢で、限界のときは道端のキノコさえ口に入れてしまう。元貴族とは、と頭を抱えたものだ。しかも考えなしに食べるキノコは決まって毒なのだから、極端に運が悪いときている。
空きっ腹のままでいるのも明日に差し支えるだろうし、私は特務僧兵だけが着れる赤い外套の内ポケットから、麻袋に入った煎り大豆を出して自室で軽食を済ませた。
食後に少しだけの余韻を与えた後は、「例の瞑想」に入る前にもう一つの日課を開始する。それは肉体鍛錬だ。イグナチオの僧兵は日々の祈りと同時に、武器だけに頼らない肉体作りも重んじる。鍛え抜かれた筋肉はいついかなる時にも、武器になり鎧ともなる。
そう、筋肉は裏切らない。
教会では鍛錬に使う重りや器具があり、各々自分の世界に入って肉体をいじめ抜いていたものだが、旅先ではプッシュアップ、スクワット、ドラゴンフラッグ、ブリッジ等々の自重トレーニングをこなす。
最初こそ自重トレーニングは負荷の軽い児戯と軽んじていた。今では、無駄に負荷を掛ける鍛錬だけでは思い通りに身体を動かすのは難しく、自重トレーニングこそ最強の肉体鍛錬だと気付かされた。継続することで、筋肉の質が変わった実感があった。
自分の身体は自分では分からない。
自分と、そして自分の肉体との対話が自分を強くさせるのだ。
良い汗をかいた後は一度自室で湯浴みを済ませ、ベッドの上で瞑想をする。狙いすましたように、隣室ではベッドの軋む音と例のカップルが行為に及んでいる声が聞こえる。
瞑想は幼少期、父が教えてくれた方法だ。まずは胡座をかく。その際、足はそれぞれのふくらはぎに乗せる。それから目を薄開きにして、両手の親指と人差し指を繋ぎ、円形に曲げて膝に乗せる。ゆっくりと鼻から息を吸い、腹式呼吸を意識する。これが瞑想の基本姿勢だ。
よく瞑想とは、心を無にして自然と一体化、調和することと誤解される。実際は、雑念を取り除くことにある。頭に蓄積されたありとあらゆる情報から、瞑想を通じて不要な情報を排除する。ひとしきり気持ちを落ち着けた実感があってすぐに、私は眠りに入る。
この瞑想は後にある事実を知ることになるのだが、今は語るべきではないだろう。
瞑想の体制で朝を迎えた。凝り固まった身体を捻り、骨を鳴らす。
昨晩の夕食にも食べた煎り大豆を、また一握りだけ口に入れる。やはり起きがけに食べる乾き物は口中がパサパサになる。
食堂に降りて、コップ一杯の牛乳をいただいた。
ちらほらと宿に泊まっていた冒険者、旅人は見かけたが三人はいなかった。どうせアンスヘルムとシェイラは寝ているだろうし、マリレーナはいつも部屋中に魔導書を散らかして徹夜で読んでいるそうなので支度に戸惑っているのかもしれない。
一時間ほど経って、アンスヘルムカップルが降りてきた。二人ともだらしない格好だ。よほど夕べの夜遊びが楽しかったのだろう。
「おはようございます、お二方。朝食が終わりましたら、皆様で辺境伯領教会のニコライ司教の元に挨拶へ伺いましょう」
「あ? なんだそれ、お前が昨日済ませたんじゃないのかよ。ああそうだ、お前の分の夕食、『勿体ないから』食っといたぜ」
寝起きで機嫌が悪いアンスヘルムは―――私にはいつも通りだが――悪態をつきながら吐き捨てる。
(夕飯を私の分は残すという選択肢はないのですね)
「昨晩は戻りが遅くなってしまい申し訳ございませんでした。仰る通り、司教様には昨日到着の挨拶に行っておりました。しかし、これから勇者になられる方が何の挨拶もなしに教会をこき使った、とあれば相手に良い印象を与えられませんでしょう?」
冷静に、なんとかアンスヘルムを宥めすかす。プライドや外面を気にする元貴族なら、きっとそれは看過できないはずだ。
「チッ、だったら行くけどよ。ちゃちゃっと終わらせるぞ」
「ねぇ、アン~。それよりもご飯早く食べに行こうよぉ。どうせマリレーナは時間かかるだろうから、食べ終わったら『続き』しようよ~」
シェイラが熱っぽい視線でアンスヘルムを見つめてしなだれかかる。
「オメエは本当に好きだなあオイ。しゃあねえ、メシもちゃちゃっと食っちまおう!」
鼻息荒くしたアンスヘルムはシェイラの肩を抱いて、意気揚々と食堂に乗り込んでいった。強い性欲は元貴族の血筋か、本人そのものの資質か。
三人の支度が終わるのを待つべく、宿屋受付近くにあるソファに腰掛けた。
何気なく入り口から昨日あった人の気配を悟る。昨日軽く話した修道女が慌てた様子で駆けつけてきた。その異様さを無視できなくて近寄って声を掛ける。
「あの、あなたは昨日会った修道女さんですね?」
「あ、ストラスト様! 実は緊急の伝言があって、ここに皆様お泊りと伺っていてその――」
「落ち着いてください。一体何が会ったというのですか」
「そ、そうでした。……ふぅ、こちらをお目通しください。私の口からはこれ以上は何も……」
一息ついた修道女さんは、握りしめた書簡を渡してきた。
シワが少しついた紙を読み進める……読み終わってから、体中の力が抜けて私は膝から崩れ落ちた。
***
通達:ベネディクトゥス教皇崩御後、パウルス新教皇の名の下に、イグナチオ皇国中央聖教区、特務僧兵ストラスト・ヤソに下記を命ずる。
[1]イグナチオ皇国特務僧兵、聖地ジェズ奪還任務の解任とする。
[2]異端審問協議と神託の結果、異端者とみなし破門とする。
[3]破門に伴い、イグナチオ皇国を追放とする。
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