第32話

 今では、 誰も上様を諌言する者はいない。上様のことを心配する忠臣がいなくなれば、上様の身を誰が守るのだ。俺は、そのために必要だったのだ。 今の上様のお気に入りの羽柴や明智なんぞは、俺に言わせてみれば利に聡い輩にすぎない。

 奴らは織田家のためでも、ましてや上様のために働いているのではない。天王寺砦での本願寺との戦いで、上様と俺が最前線で必死に戦っている間、 あやつらは周りで戦うふりをしておった。戦場で敵の姿に、手足萎えて臆病風に吹かれ、蒼くなって打ちかかる気力もない者が、口先一つのごまかしで出世する下衆と分かった。

 奴らを見てるだけで、虫唾が走る。奴らは、元は草履取りや医者だったものだ。 あのような者を、織田家の家臣にするのは初めから反対だった。その腰抜け、臆病者の羽柴や明智は、今はどうであろう。明智は阪本と亀岡に領地を持つ大大名、羽柴が毛利攻めの総大将になっているから呆れる。

 俺と違い、 外様衆は信用ができない。 奴らは織田家のために働いているのではなく、自分の野望や欲のために働いているのだ。別所や荒木などは、ただ自分の出世欲の為に上様につき、それ以上を望んで主君を変えた輩だ。

 その点、松永はまだましだ。 今となっては 少しは久秀の心も分かる気がする。彼は、主君に希望が持てずに叛いたのだ。 俺には叛意をする勇気がなかったのだ。

 俺は、織田家家臣として 失格だ。

 まだ俺には、上様を守るという大事な役目があった。それを投げ出し、諦めてしまったのには先代信秀様に申し訳ない。 俺は、あの世で先代にどう謝ればいいのだろう。 答えは、 思いつくはずはない。

 今更ながら、平手政秀の 切腹を偉大だと感じる。俺も、あのような死に方をすれば良かったと今になって思う。 このような山奥で、寂しく死んでいくのかと思うと残念でならない。

 俺は、諌言をして上様に嫌われていた。だから、あまり上様の元へ出仕しなかった。それが、大きな間違いだった。嫌われても出仕して、上様に諌言をすべきであった。羽柴や明智は、暇さえあれば 出仕して上様の機嫌を取り、報告、指示を仰いでいた。俺はそれを媚びへつらう下人のようだと軽蔑し、ただただ自身は織田家のために奉公した。

 結局それが、慢心となった。

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