第31話 廃人

 信盛は、既にここがどこで、いつなのか分からなくなっていた。彼は、ずっと前から夢を見続けていた。その夢は当時は大変だったが、今ではいい思い出として記憶に残っているものばかりであった。

 上様は、やんちゃで癇癪持ちで家臣は苦労した。その上様と、最初から最後まで支え続けた重臣は佐久間一族だった。 稲生原の戦いでは、林秀貞、柴田勝家を始め重臣どもは皆、上様に背いた。その時も佐久間一族がもとより、上様について奉公した。

 戦いが終わると、奴らは助命された。そして勝家は、上様の弟信勝様の謀殺に加担したことを きっかけにして出世した。

  俺は、あの男の顔を見ただけでも憎悪覚える。 勝家は、小知恵が回るところから上様に重用される。 それを良いことに大きな顔をしていたが、何、かつては主君に弓引いた前科があるのだ。

  上様の弟を、謀殺した男だ。 あのように、思い上がらせておくのではなかった。

 次の桶狭間の戦いでは、自分はもとより 佐久間一族が最前線で戦い、織田軍の勝利に陰ながら貢献した。佐久間家惣領佐久間盛重は、 丸根山砦で今川軍の大軍を引きつけ討ち死にした。

 俺の親類従兄弟どもの働きは、言い尽くせるものではない。叔父も、討ち死にした。従兄弟どもも、必死に暴奉公した。佐久間一族ほど、精神込めて奉公した 臣はいないのだ。

 俺は桶狭間の戦いの翌月には、伊勢神宮の恩師に合戦の勝利を伝え、天下の拡大の祈祷を依頼するなど家老的な役割を果たした。が、こんなことを並べても始まらぬ。先代以来の苦労、一族の働きなど、今となっては何の役にも立たない。 若い頃には随分と内心で満足してきたが、年を取って万事が分かってくると虚しいことだ。

 三方ヶ原 では、俺は武田と戦わず叱責を受けたが、臆病だからではない。 信玄の罠だと疑ったからだ。もし俺まで出撃していたら、 間違いなく松平家は滅び織田家はその後どうなっていたか分からない。

 それを羽柴や出頭人は、

 「退き佐久間 」

と言い立てるが、反論しなかったのが悪かった。 天正元年の朝倉義景の追撃戦の失態を諌言された時、俺だけが口答えしたことも追放の一因であるが、 俺は決して自慢して申し上げたのではなく、上様のために諌言したのだ 。

 これは織田家重臣であり、織田家にも責任がある。当主といえども、やってはいけないことにはやってはいけないと言わねばならない。上様には 問題行為が多く、諌める立場である俺は嫌われるのは仕方がない。

 しかしそれは立場上役目として言っているのであって、それを上様も分かって欲しかった。

 

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