第26話 折檻状

  天正8年8月15日上様は京都から下向し、大阪本願寺へ向かった。本願寺の焼け跡を見た上様はこれに激怒したものか、重臣の信盛に対し自筆で折檻状を認めた。 十七ヶ条からなる長文で認めている間に、怒りがこみ上げてきた文面であった。

「なんたることだ。」

 佐久間信盛は、読みかけた書状を取り落としそれきり絶句した。上様が焼け落ちた本願寺を見聞きしてからほどない8月25日、天王寺砦の信盛、信栄父子の元を信長直筆の書状を携えた使者が訪れた。使いの者は、楠木長韻、松井友閑、中野一安の三名。 何も上様の側近中の側近である。

「父上、いかがなされました?」

 信栄が訊ねても、信盛は視線を虚空に漂わせるばかりで信栄の言葉も耳に入っていない様子だった。

 上座の使者たちに一礼すると、信栄は落ち着いた動作で書状を拾い目を通す。読み進めるうち信栄の顔が引きつり、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。 四肢が震え、書状がカサカサと音を立てて目の焦点も定まらない。 その内容は、上様からの辛辣な叱責に他ならなかった。

  第1条で上様は佐久間信盛、信栄親子は天正四年から足掛け5年間、天王寺砦に在城して大阪本願寺を功囲していたが、この間にこれといった戦功がないのは世間から不審に思われても当然のことである。信長も思い当たることがあり、言葉にもならないほどであると始まり父子を糾弾する。

 さらに信長は、畳み掛ける。信盛親子の心構えについて大阪本願寺を大敵と思って攻撃せず、かといって策略、調略を巡らせることもせず、砦を強固にして数年もやり過ごす せば、相手は僧侶のことでありゆくゆくは信長の武威に恐れて退去するだろうと思って何もしなかったのかと推測する。

 しかし武士というのは、そういうものではない。このような時節であれば、勝ち負けを弁えて一戦すれば信長のためになり、またその方ら父子のためにもなり、家臣も苦労せずに済み、望み通りになったのに、ひたすら功囲を続けたのは分別もなく未練がましいことである。

 確かに上様が 指弾したように、信盛が力攻めをしたという記録は確認できない。また諸将の各地で苦戦している間、茶の湯に時を過ごしている姿も見られる。 

 もちろん信盛は本願寺攻めだけに専念していたわけではなく、天正5年2月の雑賀攻め、同年10月の信貴山攻め、翌6年の播磨攻めなどに参陣し、荒木村重が謀反した時には翻意を促す使者の役割も果たしていた。

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