第17話

 しかもこれらの近隣の諸将は、本願寺の者共と縁者の者も多く 抜け道はいくらでもあった。畿内の寺は、天皇や摂関家の子弟が相続争いを事前に避けるため入れられることがある 。延暦寺の座主も正親町天皇の弟であり、本願寺も摂関家や朝倉氏、武田氏と親戚関係にあった。

 また奈良は寺社勢力が強いなど、畿内の武将は寺を攻める対象と考える者はいなかった。地方から来た織田より、近所の本願寺に親しみを感じるものがいるのも咎めることはできない。そういう連中を信盛は、指揮して戦わなくてはならない。

 そもそも一向宗の教団は、蓮如の時代までは弱小教団に過ぎなかった。蓮如の母は名も無き下女で、弟の応玄は正妻 如円尼の実子で権力もあった。しかし未寺僧侶や門徒たちは蓮如を後継者に推し、如円尼は本願寺の法宝物を奪って逃亡し、改めて教団の総意によって蓮如が宗主に擁立された。

 このように一向宗は、門徒本による衆議によって物事が決定し、宗主は 衆議によって承認されなければ何もできなかった。一向宗は権力者と馴れ合いがなく、それが民衆の支持を受け顕如の代には日本最大の宗教集団となっていた。

 本願寺は、大阪を中心に 重要な主要道路沿いに寺を作造った。 寺を中心に寺内町を形成しそこでは税が免除されるなど経済的特権を得、そのため信者だけでなく商いのために各地から商人も集まった。 一向宗は門徒による衆議で物事が決まるため、比較的自由に商売や 政事ができた。

 一向宗はこうして流通の拠点に寺内町を張り巡らせ、日本全体に巨大なネットワークを築き上げていった。 日本各国で一向宗は、経済を牛耳り門徒は各地で自治を確立していた。特に大阪は現在の町につながっている富田林、 貝塚、久宝寺、枚方、富田、出口、招 提など経済の拠点を押さえた中心は、日本最大の賑わいをみせていた。

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