第14話

しかし佐久間信盛は、満足していた。信盛は信長が最も苦境だった稲田原の戦い、桶狭間の戦い、三方ヶ原の戦いで主力級で戦い織田家に貢献してきた。それ以外にも、上洛戦、北畠戦、近江の永原城で六角と戦った。

この頃の信盛が率いた軍勢は七千という記録もあり、信長家中では最大の軍団を擁していた。元亀2年の比叡山焼き討ち後は、六角旧臣の進藤 賢盛、青地元珍、山岡景隆、景宗父子らを「新与力」として付けられた。

元気亀年間は六角旧臣や本願寺畿内勢力の懐柔などに努め、将軍義昭の追放後は朝倉攻め、長篠の戦い、越前一向一揆戦などに従軍していた。 信盛は、自分ほど信長に貢献した武将は他にいないと自負していた。

 天正3年末、信長と家康の間で特別な地位を占めていた水野信元が誅罰された。三方ヶ原での戦いぶりが、武田に通じていたからと武田との利敵行為を判定されたのだ。遠い昔の話であり、しかも証拠すらない一方的な懲罰に諸将は驚いた。そしてその旧領は、三方ヶ原で総大将であった信盛に与えられた。信長にしてみれば、尾張、三河にまたがる大きな領地を信盛に与えて、出方を見るつもりだった。しかし信盛は、何も変わらず拝領するのみだった。

 信盛にすれば、この領地拝領は今までの褒美程度の 受け止め方だった。しかも新領は、厳密には委任で信長から預け置くとの認識だった。この命令書を見て信盛は、柴田勝家が越前をもらった時羨ましいと感じていた気持ちが全くなくなってしまった 。明智も羽柴も大領を拝領してはいたが、厳密には委任でしかない。信盛は、彼らのように将兵を大量に養い戦場での活躍をひたすら上様に臨む気持ちになれなかった。彼は、時代が変わっても昔どおり織田家に仕えた。

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