第13話 松永久秀
天正元年8月8日、織田信長は浅井方の 阿閉貞征が内通してきたことを好機と捉え、一気呵成に出陣した。浅井側に内応が続出、これを見た朝倉の先鋒隊も次々と降伏、すでに滅亡直前の末期症状と呈し始めていた。こうした自軍の体たらくを見れば、義景は撤退する。 と信長は予測し諸将に先手を命じ追撃するよう厳命していた。
しかし佐久間信盛、柴田勝家、羽柴秀吉らはそれほど簡単に撤退はしないだろうと見ていた。 信長は、痺れをきらして自ら先陣をかけた 。その勢いにのって、朝倉氏、ついで浅井氏を、一挙に滅亡に追い込んだ。 しかし、越前で翌天正2年一向一揆が勃発。 せっかく平定していた越前は、一向宗に奪い取られてしまった。
本願寺は、各地で一揆を蜂起させて織田軍を苦しめた。本願寺の兵士は農民であり武器は農具や竹槍で、軍隊の訓練も受けていない弱兵である。しかし本願寺は、雇兵や農民兵に鉄砲を持たせたのが一向一揆の強さの秘訣となった。鉄砲は、操作を教えれば日頃の兵士の鍛錬や刀や槍の使い方や技を知らなくても敵を倒すことができた。織田軍の将兵は、鉄砲で次々と倒されいくども多大な損害を受け撤退した。
伊勢長島の一向一揆に信長軍は、3度目の 総攻撃を開始し信長の騙し討ちに激怒した一向勢に信長本体が急襲され一門集多数が犠牲となった。 既に信長は大名同士の戦いでは一番強い兵力を有する大名であったが、一向一揆には未だに苦戦していた。 伊勢長島の一向一揆はようやく皆殺し作戦で終了したが、信長軍の損害も甚大でまだ本体の大阪本願寺は無傷だった。
敵が次々滅び新たな領主には、明智光秀や羽柴秀吉など信長お気に入りの側近が任命された。 彼らは小知恵が回り、信長から可愛がられて重用された。彼らは天下に俺くらい分別な男はいるまい、というような面をしていた。陰険で小才が利くところから、己の出世のためには多くの人物を片っ端からを追い落としてせり上がった人々で、彼らは三淵藤英らなど立派に忠誠を尽くした人物や幕府要人を使い捨てにして昇りつめていった。佐久間ら譜代の重臣には一応敬意を払ってはいるが、ただ足元を掬われるのを警戒しているだけだった。
佐久間信盛は忌々しく思いながら、織田家重臣として彼らの功績で織田家が繁栄し続けていると考え我慢していた。彼らは最前線で戦い、織田家の領土を増やしていった。信盛は徐々に、家中や同盟者の調整役となっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます