第12話
しかし三好家は、かつての固い結束を誇った一族ではなくなっていた。将軍義昭に付いた筒井順慶と松永久秀の対立など問題が山積し、将軍では調整がつかなかった。三好家自身も利害関係や今までの対立した経緯から、すんなりと纏まることができなかった。信長はその間、隙を突いた調略を行った。信長の調略で態度を翻意したのが、三好家で中心人物の一人であった三好長治だった。
5月になると長治我が本願寺との同盟や児島攻めなどを主導し、反信長の急先鋒であった篠原長房、長重親子を河島の戦いで攻め滅ぼしてしまった。 主君が実力者の譜代の忠臣を討ったことで三好家は分裂し、三好家はその後急速に衰退する。 本能寺の変の後に織田家で起こった同様のことが、三好家ではまず行われた。
思えば三好長慶もずば抜けた才覚で、一代で畿内を制圧し天下人となった。しかし天才的な長慶一人がなくなれば三好家は求心力を失い内部崩壊していく。織田家の運命はその20年後再現されるが、信長はそのことに気づけなかった。後に三好家は信長によって再興され、信長の三男の信孝を養子に迎えることになる。
一方義昭は信玄の力を信じ、7月2日に二条城に三 淵藤英に守らせ自らは槇嶋城に籠もって3日に再び挙兵した。足利義昭の挙兵を聞いた信長の行動は素早く元亀4年7月7日には入京し、三淵藤英を降伏させた。そして18日には槇嶋城に攻め寄せ、義昭の子で当時2歳の義尋を人質に取り開城させた。
義昭は取り立てた筒井順慶の援軍を期待したが、洞が峠の筒井の異名通り筒井は取り立ててもらった恩を返さず中立を保った。義昭は、義弟の三好義継の居城である若江城に落ち延びた。
ともあれ信長は、 信玄の子と三好家への急所を突いた調略で元亀、信長は絶体絶命の危機を脱した。
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