第9話
三好長慶の片腕と言われた松永久秀は、その手腕を十分に発揮し朽木元綱、三好長治、篠原長房と交渉し信長の危機を救った。 その後の信長の統一戦争を知っている現代人から見ると、三好家や朝倉氏の選択は好機を逸したとしか思えない。
しかし彼らは無策で、自らの領国内が無事なら他国に強い干渉しないとする意欲のない悪い意味での平和主義者であった。彼らは、これから後は信長と浅井の間で交渉するべきと見放したのである。信長は畿内での影響力の大半をなくしたものの、信長包囲網から脱することができた。
この反省から、信長はまず弱小の敵対勢力から各個撃破 する方針に変更した。 その為江北の2/3を信長に譲渡するよう迫られた妹婿の浅井長政は、12月27日には再び信長と交戦する。
翌元亀2年5月16日、信長は長島一向一揆を鎮圧すべく攻撃を開始した。ところが信長方は 、氏家ト全や蜂須賀正元が討死。柴田勝家も、負傷して大敗した。敗因は、鉄砲で織田家は多くの武将が名もなき兵士の手によって文字通り撃ち死にした。
信長と一向宗の対立は、永禄4年信長 二十歳の時で、ついで永禄8年には本格的な戦闘となる。 信長は普通なら滅亡してもおかしくない損害を何度も被った。しかし一向衆は自らの命を守るためだけの防衛戦で反撃しなかったので、織田家は滅亡を免れた。信長はその後も、本願寺と何十回と戦い続けるがついに本願寺に勝てなかった。
畿内では松永久秀が、筒井順慶を信任したのを不満として反旗を翻した。信長は大和に強い影響力を持つ筒井順慶を重視し登用して勢力の挽回を模索したが、それは同じく大和に拠点を持つ松永久秀と対立することになった。
三好長慶は人の和を大事にしたが、織田信長は損得勘定で人を見分ける。どんなに奉公しても、 いらなくなれば容赦なく捨てる。松永久秀は、子の久通、主君三好義継とで筒井順慶と辰市で戦い大敗する。この戦いで三好義継が負け、三好本家の地位が低下する。
久秀は、もともと長慶の右筆で戦いは上手くなかった。 また久秀が超昇寺氏ら久秀方国人が順慶に寝返るなど、大和での松永の勢力は衰退する。 三好長慶の 片腕とまで言われた久秀も、長慶がなくなり独立した武将となれば戦いベタの凡将となり美好家没落を早める結果となった。
大和では優勢な信長だったが、他方面では苦戦に次ぐ苦戦で挽回のため延暦寺の焼き討ちをしたが 効果は無く評判を落としただけだった。 逆に元亀3年 末、武田信玄が 遠江に追攻、信長は松平元康に援軍を送った。 すでに朝倉義景、浅井長政、本願寺顕如、三好義継、松永久秀、篠原長房らに包囲網が形成されつつあった信長にとって武田信玄の出馬は致命的であった。 四面楚歌の信長は、最も信頼する佐久間信盛 、信長の 傅役で平手政秀の後継者である息子、家康の伯父で尾張から三河にかけて大勢力を誇る水野信元を大将にし、他にも滝川一益、林秀貞、美濃三人衆、毛利長秀らも派遣して必勝を期した。 しかし信玄は、信長より数枚も上手だった。 信長の意向を知っている信長のお気に入りの武将は功に焦って出撃し、まんまと信玄の術中にはまり全滅した。
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