第8話

 敵が次々滅び新たな領主には、明智光秀や羽柴秀吉など信長お気に入りの側近が任命された。彼らは小知恵が回り、信長から可愛がられて重用された。 彼らは天下に俺くらい分別な男はいない、というような面をしていた。 陰険で小才が利くところから己の出世のためには多くの人物を片っ端から追い落として競り上がった人々で、彼らは三淵藤英らなど立派に忠誠を尽くした人物や幕府要人を使い捨てにして昇りつめていった。 佐久間ら譜代の重臣には一応敬意を払っているが、ただ足元をすくわれるのを警戒しているだけだった。

 佐久間信盛は忌々しく思いながら、織田家重臣として彼らの功績で織田家が繁栄し続けていると考え我慢していた。彼らは最前線で戦い、織田家の領土を増やしていった。 信盛は、徐々に家中や同盟者の調整役になっていた。

  しかし佐久間信盛は、それに満足していた。信盛は信長が最も苦境だった稲田原の戦い、桶狭間の戦い、三方ヶ原の戦いで主力級で戦い織田家に貢献してきた。それ以外にも、上洛戦、北畠戦、近江の永原城で六角と戦った。 この頃の信盛が率いた軍勢は七千という記録もあり、信長家中では最大の軍団を擁していた。

 元亀2年の比叡山焼き討ち後は、六角旧臣の進藤賢盛、 青地元珍、山岡景隆、景宗父子らを「新与力」として付けられた。 元亀年間は六角旧臣や本願寺、畿内勢力の懐柔などに努め、将軍義昭の追放後は朝倉攻め、長篠の戦い、 越前 一向一揆戦などに従軍した。 信盛は、自分 ほど信長に貢献した武将は他にいないと自負していた。

 天正3年末、信長と家康の間で特別な地位を占めていた水野 信元が処罰された。 三方ヶ原での戦いぶりが武田と通じていたからと、武田との利敵行為を判定されたのだ。遠い昔の話であり、しかも証拠すらない一方的な懲罰に諸将は驚いた。そしてその旧領は、三方ヶ原で総大将であった信盛に与えられた。 信長にしてみれば、尾張と三河にまたがる大きな領地を信盛に与えて、出方を見るつもりだった。 しかし信盛は、何も変わらず拝領するのみだった。

 信盛にすればこの領地拝領は、今までの褒美 程度の受け止め方だった。しかも新領は厳密には委任で、信長から預け置くとの認識だった。この命令書を見て信盛は、柴田勝家が越前をもらった時に羨ましいと感じていた気持ちが全くなくなってしまった。明智も羽柴も大領を拝領していたが、厳密には委任でしかない。 信盛は彼らのように将兵を大量に養い、戦場での活躍をひたすら上様に臨む気持ちになれなかった。彼は。時代が変わっても昔どおり織田家に仕えた。

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