第5話

 信長はこの結果を受け止めた。 しかし、彼はこの出来事を生涯忘れなかった。重臣にとって自分は信秀の不肖の嫡男という程度で、誰も自分に忠誠を誓う者はいない。 それは柴田や林だけではなく、佐久間も同じだった。 彼は、自分のために死んでくれる人間を探し求めるようになった。

 その後、信長のために森可成、 坂井正尚、塙直政など多くの寵臣が死んでいくこととなる。 収まらないのは弟の信勝であった。彼は、重臣たちから次期当主と打診され了解をしていた。しかし井ノ原の敗北で獣神たちは、手のひらを返したように信長を党主と認めた。実母(報春院)が信勝のために詫びを入れたために信長は降伏を受け入れその罪を問われなかった。しかし彼は信長を恐れていて、また信長に跡を継がせたくもなかった。

 柴田勝家に反対されても、信勝は信長を討つことを諦めなかった。 信勝は、実母である報春院に相談した。 彼女は信長、信勝ともに可愛かった。彼女が信勝を偏愛して信長を疎んじていたという記述が散見されるが、もちろん根拠となるべき史料があるわけではない。

  信長の過激な性格を母親の愛情の少なさに起因されるということは推測に過ぎず、本当のところは分からない。信長を疎んでいたとすれば、偏愛していた信勝が信長に誘殺されたことでは信長を恨んだ可能性が高い。 しかし信勝誘殺後は、信長と居を共にしたと思われ嫌っていたとは思えない。安土城でも、信長と共にしていた。もし恨んでいたのなら、信長につき従わずとも尾張の那古屋城に住むことも十分可能だったと思われる。

 信勝は信長の仮病に騙されて誘殺されるが、この時信勝に信長を見舞うよう勧めたのは 信頼している柴田勝家と母 報春院だった。 推測を逞しくすれば、暗黙の了解があったのかもしれない。 報春院は、それなりに信長を愛していた節もある。信長に弟たちを粗末にせず一門衆を大切にするよう報春院が諫めたのを信長が信勝の事を責めた話と理解されているが 、そうではなく純粋に信長を心配して諫言したのではないだろうか。

 事実信長は天正2年の伊勢長島攻めで兄信広、弟秀成、叔父の信次、従兄弟の信成、信昌、仙の三兄弟、又六信次、佐治信方が討ち死にしている。 四年前にも弟の信興がここで討ち死にしており、一局地戦でこんなに一門衆が戦死することは戦国時代でも珍しい。それゆえ報春院は、信長のために諫言したのではないだろうか。

 しかし信長は、それを聞き入れなかった。信長は、諫言を極端に嫌がった。 彼は諫言をした家臣を後々まで根に持ち、機嫌が悪い時にそれらの家臣をみんなの目の前で殴ったり蹴ったりもした。

 ともかくこの稲生原の戦いは、信長と家臣との関係を 決定づけた戦いであった。信長は一門衆と重臣を軽んじ、お気に入りの家臣を重用するようになる。この関係は、信長の本能寺の変まで続いていく。

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