第4話 稲生原の戦い

 一門衆には厳しい対応をした信長であったが、家臣には柔軟に対応をした。 父信秀が死去した当時、弾正忠家の内情は微妙であった。 信秀は嫡男信長より真面目な弟信勝を可愛がり居城に住まわせていたからだ。  信長は那古屋城という財政的に重要な城を任され、筆頭家老林秀貞、次席家老平手政秀を始め勘定方や外交的に有能な武将が付いていたが最も有力な平手政秀は自害していた。 一方弟信勝は、信秀が晩年居城とした 末森城で柴田勝家、佐久間大学(盛重)、佐久間次右衛門、長谷川宗兵衛、山田弥右衛門ら武功派が付いており侮れない勢力を有し、そのうえ林秀貞兄弟が信勝方に転じ、力関係は確実に逆転していた。

  しかし佐久間信重は信勝方から信長方に転じ、那古屋城代に抜擢された林秀貞は中立の立場に終始し、代わりに弟林美作守が信勝方の中心人物となり策をめぐらせた。

  信長は8月22日 小田井川を越えて名塚に砦を構築し、信勝を警戒させた。 名塚砦は佐久間盛重に守備されたが、翌23日は雨となって川嵩が増してきた。名塚砦は未完成であるうえ増水して救援が困難と判断し、柴田勝家が約1000人、林美作守が約700人で攻撃を開始した。 信長は24日、 清洲城から出陣。 信長の率いた軍勢は700人にも満たなかったという。

 両軍は稲生原で激突した。劣勢の信長は各個撃破の作戦を取り、まず勝家の軍勢に向かって攻撃を始めた。 しかし、佐々成政の義兄弟の山田治郎左衛門は勝家に討たれ、佐々孫介ら屈強な者たちも討死して信長本陣へ敗走する有様となった。 この退勢を見た信長は、怒声を発した。信長が大声で激怒している姿を見た勝家軍は、さすがに同じ弾正忠家の家臣だったためその成光に恐れて立ち止まり、ついに逃げ崩れていった。信秀に人一倍恩義を感じていた勝家は、信長の怒りで戦意を喪失し信長は残る林美守勢に兵力を集中して討ちかかった。

  黒田半平が、美作守と渡り合っているところへ信長が駆けつけ信長自ら美作守を突き伏せて討ち取り、無念を晴らした。対象を失った美作守の軍勢も敗退し、信長軍の大勝利となった。

 信長は、この勝利を手放しでは喜べなかった。 この結果は信長の実力で勝ったのではなく、信秀の子供が出陣したかどうかで勝敗が決まったようなものだったからだ。父信秀は将兵に人気があり、兵士が嫡男である信長に刃を向けるのをためらったのが最大の勝因だった。

 信長は、父信秀が好きではなかった。 信秀の葬儀で喪主でありながら、変な服装で出席し位牌に抹香灰を投げつけたという逸話がある信長である。 しかし、稲生原の戦いは嫌いな信秀の人気のお陰で勝ったのだ。 佐久間信重も信秀のために戦い、柴田勝家も信秀を思い戦線を離脱したのだった。

 しかし、この結果は弾正忠家の重臣たちを驚愕させた。 元より彼らには、信長を殺すという意図はなかった。彼らは、この戦いで信長に負けを認めさせ家督を信勝に譲らせるという筋書きを描いていた。 そして、それが死んだ信秀の意向だと判断していた。 守役の平手政秀は信長が忍びなく自殺したほどだ。柴田勝家も部下に信長を絶対殺すなと厳命しだ。

 だだ1人重臣の中で最も卑しい身分の佐久間だけは、この計画を打ち明けなかった。重臣全員から裏切られたらさすがに信長が不憫で、一人ぐらい味方をつけさせても良いだろうと親心的な判断だった。

 しかし信勝方は大敗し、首謀者の一人である林美守は殺された。 最も深刻な問題は、兵士たちが重臣の命令を聞かず矛をおさめたことだった。 これは、兵士が主人を信長と認めたに等しいことだった。重臣たちも弾正忠家の後継者を信長に認めざるを得なかった。

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