93話。アンナ王女から婚約して欲しいと迫られるが、断る。
温泉から上がると、僕は自室ですぐさまアンナ王女と通信を行った。極秘情報を話すということで、警護役のメリルには部屋の外で待機してもらう。
魔法の水晶玉に映し出されたアンナ王女は、憔悴しきっていた。
「アルト殿、急にお呼びして申し訳ありません。実は内密でお願いしたいのですが、お父様が……国王陛下が、お倒れになりました」
「なっ!?」
開口一番に知らされた事実に、僕は言葉を失った。
それで、ある程度の察しがついた。
「実はお父様は近ごろ、身体の調子を崩されていたのです。箝口令を敷いておりますが、ご容態は悪く……もし帰らぬ人となられたら。王太子となるわたくしの弟エリオットはまだ8歳、我が国は大変な混乱状態になることが予想されますわ」
「……ヴァルトマー帝国にその事実が漏れて、強硬な姿勢に出られているのですね?」
僕の指摘に、アンナ王女は目を見開いた。
そうでなければ、僕と急に婚約したいなどいう話にはならないだろう。おそらく王位継承の問題が発生して、帝国にそこを突かれているのだと思う。
現在、アンナ王女が第一王位継承者だが、エリオット王子が15歳となれば、エリオット王子が第一王位継承者となる。
今、アンナ王女が結婚すれば、そのお相手が第一王位継承者だ。
「さすがはアルト殿、ご聡明でいらっしゃいますわね。その通りですわ」
「帝国は何と言ってきているのでしょうか?」
「帝国の宰相カール殿は、わたくしと第2皇子のダオス殿との婚儀を勧めてきておりますわ。わたくしたちが結ばれることで、今回のことを水に流し、和睦を成そうということです」
アンナ王女は苦々しく告げた。
「……なるほど。帝国はこれを機に、我が国を乗っ取るつもりであると」
軍勢を率いてきた第2皇子のダオスは、捕虜として王宮に送られた。
皇子の返還を条件に、帝国とは和睦をするつもりだったが、国王陛下が倒れたことで状況が変わってしまったらしい。
戦いを仕掛けるのなら、今が最大のチャンスだと帝国は強気に出たようだ。
「はい。この縁談を断れば、帝国は和睦を蹴ったとして再度、攻めてくるでしょう。ダオス皇子は第2皇子、最悪切り捨ててもあちらとしては問題ありません。
帝国が本腰を入れれば……現状では、とても対応できませんわ」
ヴァルトマー帝国の軍事力は、アルビオン王国を上回っている。国王陛下が倒れては国内の統制が取れず、防衛はかなり難しくなるだろう。
僕がバハムートを使って敵軍を追い払おうにも、複数箇所から同時侵攻されては、おそらくしのぎきれない。
「アルト殿のお気持ちは重々承知しておりますが、アルビオン王国第一王女。アンナ=ミレーヌ=アルビオン、伏してお願い申し上げますわ。どうか、わたくしと婚約していただけないでしょうか?
早急に次期国王はアルト殿であると内外に示し、一枚岩とならなければ我が国は滅びてしまいます」
アンナ王女は僕に対して、深々と頭を下げた。
彼女からのプロポーズは二度目だ。しかも、今回は僕に王位を継げと明確に言ってきている。
これは大変、名誉なことだけど……
僕はシレジアを、人間とモンスターが楽しく共存できる理想郷にするのが夢だ。
ようやく軌道に乗ってきたのに、それを途中で投げ出すなど、とんでもない。
僕は懸念を口にする。
「王女殿下、しかし僕との婚約を発表したくらいで、帝国が退くとは思えませんが……? むしろ、火に油を注いでしまう恐れがあるのでは?」
「これは……どうやらアルト殿はご自分の価値をまったくご理解していないようですわね。王国最強の英雄が、辺境に追いやられているという事実が、帝国に付け入る隙を与えているのです」
なんだって……?
アンナ王女はとうとうと語った。
「本来、アルト殿ほどの英雄に対して、こんな扱いはあり得ませんわ。どうやら帝国宰相カール殿は、アルト殿は王国に対して野心があるのではないか? 王家と実は不仲ではないかと、勘ぐっているようです。
それは間違いであり、アルト殿とわたくしが相思相愛であるという事実を、ダオス皇子に見せつけ。アルト殿こそ次期、国王であることを公表すれば、あちらも態度を軟化させると、わたくしは考えておりますわ」
「えっ……? 王女殿下と僕が相思相愛である事実をダオス皇子に見せつける?」
僕は呆気に取られる。
そんな事実は全く無い。
「はい。そうですわね。夜会の場で、わたくしと、口づけを交わしていただければ、良いかと思いますわ」
アンナ王女は、ほんのり頬を上気させて、トンデモナイことを言った。
キスは王女にとって、永遠の愛を誓う神聖な行為だ。社交の場でそんなことをしたら、僕とアンナ王女との婚約は決定的になる。
「実は、ダオス皇子は捕虜であるにも関わらず、わたくしに横柄な態度を取ってきて、うんざりしているのですわ。
アルト殿……いえアルト様、お願いでございます。どうか、わたくしの夫となってはいただけませんか? あなた様は帝国の侵略に怯えるすべての人々を救える唯一のお方です」
大陸一の美姫と謳われるアンナ王女にここまで言われて、胸がドキリと高鳴った。
だけど、答えはすでに決まっていた。
「王女殿下、ご心配は無用です。僕がルディアと共に王宮におもむき、ダオス皇子の目の前で、国王陛下のご病気を全快させてご覧に入れます。
僕が王家に対して野心を持っているなどという噂は、それで払拭することができると思います」
「えっ……!? い、今、なんとおっしゃられたのです?」
アンナ王女は、心底、驚愕した面持ちになった。
「シリウス殿から聞いておりませんでしたか? 僕とルディアは【世界樹の雫】という、死者蘇生すら可能な究極の回復スキルが使えます。この力を使って、国王陛下をお救いいたします」
うん、これで万事解決だ。
アンナ王女にも喜んでもらえるかと思ったが、なぜか彼女は非常に動揺していた。
「そ、それはありがたいですわ! ……その上で、ぜひとも、わたくしとの婚約もしていただけますと、お父様もさぞかしお喜びになるかと思いますわ。ええっ、できればお父様に、わたくしたちが仲睦まじいところをお見せてして……」
「王女殿下……その儀ばかりは、お許しください。良い機会ですので、僕の婚約者ルディアのこともご紹介いたします」
以前、アンナ王女からプロポーズされた際に、ルディアという婚約者がいると言って断った。
これは嘘だけど、僕はルディアのことを以前よりも好ましく思っている。ルディアも僕のことを恋人だと言って回っている。
ルディアとは良く話し合って、僕の婚約者として振る舞ってもらえれば、大丈夫なハズだ。
なにより不測の事態に備えて【世界樹の雫】を使えるルディアにも来てもらった方が良い。
アンナ王女も動揺して、とにかく安心したいがために、僕と婚約したいなどと言ってきているのだろう。
ここはちょっと冷静になっていただく必要がある。
「くぅっ……」
一瞬、アンナ王女の目に、屈辱とも嫉妬ともつかぬ光が宿ったが、すぐに消えた。
「こ、これは失礼いたしましたわ。アルト様には、すでに婚約者がおられたというのにご無理を言ってしまい……なにとぞ、お許しください」
アンナ王女は、クールな表情を取り戻して微笑を浮かべる。
「いえ、ご安心ください。僕もできる限り王女殿下の力になりたいと考えております。今後も、なにかあれば何なりとお申し付けください」
「……ありがとうございますわ。王宮にいらっしゃった際には、もちろん、しばらくご滞在していただけるのですわよね? 英雄アルト様の勝利を祝した、盛大な宴を連日、開催させていただきますわ。戦場での武勇伝など、ぜひお聞かせください」
「いえ、大変、心苦しいのですが……滞在は一泊限りにさせていただけますと幸いです。
僕と王家が不仲であるなどと勘ぐられるのも困りますが。僕がアンナ王女から特別扱いされている、国政に口出ししているなどと他の貴族たちに思われても厄介かと存じます。
辺境領主に過ぎない僕が、あまり長く王宮に滞在しない方がよろしいかと」
シレジアの開拓に専念するためには、中央のゴタゴタ。特に権力闘争などには、あまり関わりたく無いというのが本音だ。
アンナ王女から、何度も求婚されているなどという変な噂が立っても困る。それはアンナ王女にとっても、良くないハズだ。
「うぅっ……」
アンナ王女は一瞬、非常に落胆したような顔をした。
「わかりましたわ。アルト様の貴重なお時間を頂戴しては、わたくしも心苦しいですので……それでは、お会いできるのを楽しみにしておりますわ」
アンナ王女は輝くような笑顔で、通信を閉じた。
王宮に行くとなれば、それなりに準備をする必要もあるし……明日は忙しくなりそうだ。
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