90話。護衛失格のメリル

 湯気が立ち昇る浴場に、僕の絶叫がこだました。


「ちょっと、メリル! どうして風呂場の中まで、つきっきりんなんだよ!?」


「マスターの警護に必要だからです。現在、マスターの保有する戦力は低下しており、非武装の状態では最大限の警戒を必要とします。なにより、お互いを知ることが、私に与えられた最初のオーダーです」


 水着姿のメリルが、風呂場でも僕の隣にピタリとくっついていた。

 水玉模様のワンピース水着がよく似合っていて、とっても魅力的だなぁ、ってそんな場合ではない。


「いや、歩きにくいし、ホントにかんべんして欲しいのだけど!?」


 僕はメリルから顔を反らして頼んだ。女の子と付き合った経験がまったく無いので、こんな状況には慣れていないのだ。


「心拍数が急激に上昇……! マスター、どこかお身体の具合が悪いのでは? メディカルチェックモードに移行します」


 そう言って、メリルはなぜか僕に抱きついてきた。


「ぶっ!? メ、メリル、一体何を……?」


「私には身体の異常を検知する機能も備わっています。これには直接、対象の身体に触れる必要があります」


「そんなことされると困るというか、どこも悪くないから!」


 というか、むしろ下半身が元気になって困る。


「……鼻血が? 回復魔法、起動します!」


 僕が鼻血を出したのを見て、メリルが僕の顔に触れた。心地良い回復魔法の波動が伝わってくるが、原因が取り除かれていないので効果がない。

 メリルは若干、戸惑ったような顔をした。


「回復魔法の効果が薄い? 異常は特に見当たりませんが……これは、お身体を入念に調べる必要があります」


「ちょ、ちょっとメリル、お願いだから離れて! ほっとけば治るから!」


 こんな場面をルディアにでも見られたら修羅場だ。


「アルトの大将! こっちで一緒に酒でも、ゴブッ!?」


 剣豪ガインが酒瓶を片手に歩み寄ってきた。次の瞬間、メリルからパンチを喰らって、彼はぶっ飛ぶ。


「私の許可なくマスターに近づかないでください。入浴中の飲酒は、死亡事故のリスクがあります」


「ちょ、ちょっと……」


 さすがに、これは許容できない。

 僕が注意しようとしたところ、温泉宿の従業員たちが、音も無く僕の周囲に現れた。

 彼らは元々、暗殺組織の構成員だった者たちだ。


「聞き捨てなりませんな。女神メーティスの使徒殿。我ら、クズハ温泉の従業員が目を光らせておりますゆえ、死亡事故など起こりえません」


「なにより温泉内での暴力行為は、我らが主、クズハ様の命により固く禁じられております。申し訳ありませぬがメリル殿には、ご退場願いましょうか? なに、ご領主様は我らがしかとお守りします故、ご心配には及びませぬ」


「クククッ……左様。ご領主様の寵愛を得ようと奮起されるのは結構ですが、過剰な警護は不要と心得られよ」


 従業員たちは、静かな迫力をにじませながらメリルに警告する。


「……私はマスターの警護役です。危険がわずかでもあるなら、徹底的に排除します」


「いや、メリル。それはわかるんだけど、殴るのはやり過ぎでしょ?」


「いえ、マスター。私は今回、致命的なミスを犯しました。我が創造主、女神メーティス様の名にかけて、もう2度とミスをする訳には参りません。

 警告します。あなた方は武器を隠し持っていますね? その状態でそれ以上、マスターに近づけば、危険分子として排除いたします」


「……は?」


 ど、どういう理屈だ?

 あまりの物言いに、僕は呆気に取られる。


「これは異なことを。我らは、ご領主様とクズハ様から、武器の携行と使用を許されておる……」


 従業員の言葉は、途中で途切れた。


「ガァアアアッ!?」


 メリルから【スタンボルト】の雷撃が飛んで、全員昏倒したのだ。


「クリア。まだ気は抜けません。引き続き警戒を……」


「おい、メリル! いくらなんでも無茶苦茶だ! みんな、怯えているぞ!?」


 温泉に浸かっていた客たちは、一様に恐怖を浮かべていた。

 これは温泉宿の営業妨害も良いところだ。アルフィンも、温泉に剣を持ち込んだりして顰蹙を買っていたが、メリルの迷惑度はケタが違った。


「ああっ! み、みなさん!? 何てことするんですの!?」


 温泉の女神クズハが、すっ飛んで来た。


「従業員のみなさんが倒れたら、宿の経営ができませんの! クズハの温泉宿をぶち壊しにするつもりですの!?」


「……温泉宿をぶち壊しにする? いいえ、私にその意図はありません。ですが、警告を無視して近づいた以上、彼らの無力化は当然の措置です。マスターの安全の確保が、すべてに優先します」


 メリルは真顔だった。

 悪意はまったくないので、逆に重症だ。


「武器を携行して近づく者。危険行為をマスターに勧める者。どちらもマスターの安全を脅かす危険分子です」


 それはもはや、誰も信用しないと言っているに等しい。ここでは誰もが、モンスターの襲撃に備えて、護身用の武器くらい携行している。


「な、なんてポンコツな方ですの!?  頭が痛くなりますの! これならアルフィンさんの方が、数10倍マシですの!」


 クズハは地団駄を踏んだ。


「……アルフィンより、私の方がマスターの警護役にふさわしいことは、試合によって証明されていますが?」


 メリルは若干、不機嫌そうに眉をひそめる。


「いやメリル、君とは一度、良く話し合う必要がありそうだ。警護に関してだけど、僕は自分の身は自分で守れるから、ここまで熱心にしてもらう必要はないんだよ」


「私の警護が必要ない……?」


 メリルは身体を震わせて、目に見えて動揺した。


「私は女神メーティス様に要人警護のため、マスターのお役に立つために創造されました。生活のサポートだけでなく、警護まで必要ないと言われてしまうと、わ、私の存在意義(レゾンデートル)が……」


「存在意義? いや、そんな大げさな話じゃなくて。肩の力を抜いて、みんなと仲良くやって欲しいんだ。その方が、メリルだって幸せじゃないかな?」


 僕は慌ててフォローする。

 アルフィンも僕の役に立とうと懸命だったが、メリルは必死さが違った。


「私がマスターのお役に立てることを証明いたします! 警護も完璧にこなしますし、お世話もいたします。

 まずは、お身体を洗わせていただきますので、腰巻きのタオルを取ってください。それから鼻血の原因が不明ですので、全身の入念な検査を」


「おわっ!? これは混浴のエチケット上、絶対にダメだ!」


 メリルが僕の腰巻きのタオルを取ろうとしたので、慌てて飛び退る。


「なぜですか? 全裸になっていただかないと、洗うのに支障があります」


「自分で洗えるから、大丈夫だって! というか、どこを洗おうとしているんだ!?」


「ちょっとメリルさん! それはさすがに問題ですの!? 浴場から退場してくださいの!」


 クズハがメリルを止めようと、その腰にしがみつく。

 だが、高い身体能力を持つメリルは、そんな程度では止まらない。


「退場? マスターが、ここにおられるのに、それはできません。マスター、どうかお役に立たせてください」


 メリルが僕の腰巻きに手を伸ばしてくる。


「ええっ!? そ、そんなことしちゃうんですか、きゃぁああ!?」


 温泉に浸かっていた氷の魔法使いリーンが、顔を両手で覆った。

 ここには女性客もいるのに、領主として醜態をさらすことは絶対にできない。だけど、メリルは僕よりはるかに力が強く、押し返そうにも無理があった。


「ちょっと、ちょっと待ってぇええ!?」


 メリルが組み付いて来た瞬間、僕は石鹸を踏んづけて、後ろに転んでしまう。


「アルト、私も来たわよ! って、何をやっているの!?」


 水着姿のルディアがヴェルンドと一緒に、脱衣場から入って来た。

 僕とメリルは抱き合うように、浴場に倒れていた。後頭部を打って目の前がチカチカする中、僕は慌てて弁明する。


「い、いや、違うんだ! これは……!」


「マスター、申し訳ございません! 私がいたらぬばかりにマスターにお怪我を。回復魔法、起動します!」


 メリルが僕の頭をギュッと抱きかかえた。

 僕の顔面に柔らかい感触が押し付けられる。


「……はぁっ!?」


 ルディアが怒りにぷるぷる震えた。

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