66話。イリーナが仲間になる
僕はしがみついてくるティオを安心させるため、抱きしめた。彼女は恐ろしかったのか、小刻みに震えている。生け贄にされそうになったのだから、無理もない。
だけど、このままだと剣が使えないし、若干、ルディアの視線が痛い。
「マスター! やっと追いつきました」
鍛冶の女神ヴェルンドが、全速力でやってくる。
僕とルディアとヴェルンドは、ティオを救うために先行していた。他のメンバーは、ダンジョンに配置されたダークエルフとモンスターの追撃を防ぐために、上層階に残っている。
『ここは私に任せて、マスターは先に行ってください! ふっ、大丈夫です。コイツラを片付けたら、すぐに追いつきます。
くっううううぅ! 一度、言ってみたかったのよね。このセリフ!』
足止め役を買って出たアルフィンは、なぜか非常に嬉しそうだった。
闘志がみなぎっているのは結構なことだが。
「ヴェルンド、ティオを頼む……!」
「はい。お任せください」
ティオをヴェルンドに渡して、僕はイリーナに向き直った。
「どうやら魔王ベルフェゴールの復活は阻止できたようだな」
魔王の器にされたであろうナマケルは、ピクリとも動かなかった。気を失っているようだ。
イリーナが魔王を完全な状態で復活させることにこだわってくれたおかげで、付け入る隙ができた。
「ええっ……まさか、あなたがこんなにも早くやってくるなんて予想外だったわ」
「アルト様、イリーナお姉様はエルフと和睦することを約束してれました。そうですよね、お姉様!?」
「えっ、ホントなの!?」
戦う気満々だったルディアが、驚いている。
僕も毒気を抜かれて声も出なかった。
「そうね。もうひとりの私は、アルトに完封された。その上に、女神の加勢まで付いたのでは、もはや私に勝ち目はないわ」
イリーナは消沈した様子だった。同時に、どこかホッとしたような複雑な顔をしていた。
「ずっと魔王様を復活させて、復讐を成し遂げることだけを生き甲斐にしてきたわ。
そうしなければ、私は誰からも認められなかったから……
でも、ティオ。本気で私を姉と呼んでくれるの?」
「はい。もんちろんです。イリーナお姉様!」
ティオが間髪を入れずに断言する。
「……魔王様を復活できなかった私は、もうダークエルフの女王にはなれないわ。族長の座もいずれ降ろされるでしょうね。
今の私は、無価値な存在なのよ。ソレでも良いの?」
イリーナは権力を持たなければ、自分には価値が無いと思い込んでいるようだった。
自分がダークエルフを統括している存在だから、ティオが必死に和解を持ちかけていると、思っているのだろう。
「イリーナお姉様が、ダークエルフの女王であろうと無かろうと、お姉様は私のお姉様です!
私はダークエルフの前に、お姉様と和解したいんです」
「イリーナ、キミが鉾を収めてくれるなら、僕もこれ以上、戦う気はない。ティオのお姉さんだしな」
僕もイリーナに語り掛けた。
「エルフとダークエルフ、両種族が打ち解けるには、とても時間がかかると思う。
でも、戦いに飽いている者はダークエルフにも多いハズだ。イリーナとティオの間に和解が成立するだけでも、両種族が和睦に向かうキッカケになるじゃないかな?」
そう、まずはひとりでも良いから、エルフと手を取り合ってくれるダークエルフを作るべきなんだ。
「アルト・オースティン。あなたも私を許してくれるというの? あなたの村を攻撃して、弟を魔王の器にしようとしたのに……」
「正直、あんなマネされて腹が立つけど。和解して仲良くやっていけるのなら、それが一番良いんじゃないかな?
打算的なことを言えば、ダークエルフとこの先、ずっと争っていくなんて疲れる。
できれば、僕は毎日、温泉にでも浸かって。モンスターたちの世話をしながらノンビリ過ごしたいんだ」
「私も誰かと争うより。武器を作ったり、ドリルで穴掘りをしていた方が幸せですね」
「あっ! いいわね。ソレ! 私もダークエルフと戦争なんてするより、ティオの作った美味しいソフトクリームや甘いお菓子を毎日、死ぬほど食べて暮らしたいわ!」
ヴェルンドが頷き、ルディアも手を上げて賛成する。
「女神ルディア、あなたまで……」
「イリーナ、あなたもエルフ王家の血を引いているなら、森の眷属だと言えるわ。なら、私が庇護する者よ。
そしてダークエルフも元は、エルフだった者たち。私はダークエルフたちにも豊饒の恵みを授けたいと思っているわ。
それなら、ダークエルフたちも和解に積極的になるのじゃない?」
ルディアはイリーナに手を差し伸べた。
「ほ、本当ですか……?」
「イリーナお姉様、どうかルディア様の手を取ってください」
ティオが促す。それが和解の証となるだろう。
「ありがとう、ティオ。ルディア様……」
イリーナはルディアと握手をかわした。
次いで、僕とも両手で握手を交わす。
「ありがとうアルト……私、こんなに優しくされたのは初めてだわ。こんな温かい気持ちになれたのも」
イリーナは花が咲くような笑顔を見せた。美して清々しい。
「とりあえず、ダークエルフたちにはソフトクリームを食べさせてやるわ。おいしいデザートは、万の言葉に勝り、あらゆる葛藤を超越するのよ!」
胸を張るルディアの主張は、アホなようでいて意外と真理かも知れない。
ソフトクリームは女神が絶賛する供物だし……
親善の贈り物にしてみるのも、悪くないかもな。
「アルト様、これもすべてアルト様のおかげです!」
ティオも僕の手を取って感涙にむせんだ。
「いや。僕は特に何も。イリーナの心を解かしたのは、ティオのお手柄じゃないか?」
「そんなことはありません。アルト様がきっと何とかしてくれると思ったから、私も命をかけられたんです」
ティオは頬を上気させていた。
「これでエルフとダークエルフは、和解に向かっていけます。2000年に及ぶ憎しみの連鎖に、ようやく終わりの兆しが見えました」
「そう言ってもらえると、嬉しい……
イリーナ、これからまた宴をやるんだけど、キミも参加してくれないか?」
僕の誘いに、イリーナは目を瞬いた。
「宴は楽しい。私は酒を浴びるように飲んだ。帰ったら、また酒を浴びるように飲みたい」
「ま、まだ飲むの、あなた……」
ヴェルンドが腕組みをしてウンウン頷く。ルディアがゲンナリしていた。
聞くところによると、ヴェルンドは樽ごと酒を一気飲みして、荒くれ冒険者たちをドン引きさせていたらしい。
ドワーフに信仰される鍛冶の女神は、ドワーフ以上の酒好きだった。
「宴を台無しにしてしまった私が、参加しても大丈夫なのかしら……」
イリーナは気後れした感じだった。そうした様子を見ると、普通の少女にしか見えない。
「大丈夫だって。とりあえず、死人は出なかったし。ティオのお姉さんだっていうなら、みんな歓迎してくれるさ。
なんといってもイリーナはかわいいしな」
僕が太鼓判を押す。
アルト村は樹海のモンスター軍団に襲われているが、早めに決着がついたおかげで、被害はあまり出ていないだろう。
イリーナは魔王に踊らされていたと説明して、みんなには納得してもらうとしよう。
「かわいい? 私が……っ?」
「そうよ。そうよ。ゴブリンだって最初は村を襲ってきたのに、すっかり仲良しになっているんだから! 遠慮する必要はないわ。よーし! 私も帰ったら、お祝いに別腹のデザートを死ぬほど食べることにするわ!」
「ルディア、まだ食べるの? スゴイ……」
今度はヴェルンドがルディアに呆れる。
「……あなたたちの宴、なんだか楽しそうよね」
イリーナは目尻に涙を浮かべて微笑んだ。
これで、すべてが丸く収まってハッピーエンドだ。
あっ、そうだ。気絶したナマケルも拾って帰らなくちゃな……
そう思って、ナマケルに視線を向けた時。それは起こった。
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