第三部
第66話◇影が重なる
「先生っ、先生っ。起きてください~」
困ったような声を出しながら、白銀の髪をした少女が、寝台で眠りこける男を揺する。
もう片方の手におたまを持った少女は、男が起きないのでだんだんと焦りを見せ始めた。
「あのっ、朝ごはんを食べる時間……なくなっちゃいますよ? 先生の為に、頑張って作ったのですけども……うぅ」
しまいには泣き出しそうな声を出すものだから、男――ディルは渋々反応した。
「あー……。わかった、わかったから泣くな。朝飯は食うっつの、遅刻すりゃいいだろ」
「えと、あの、遅刻はダメなんですよ……?」
「大親友リギルは、そんなことで減給したりしないから、大丈夫だ」
「そういう形で友情に甘えるのは、よくないと思います」
「あぁ言えばこう言う奴だな」
「えぇ……」
ディルは気怠げに欠伸をしながら寝台から下りて、のそのそと居間へ向かう。
「つーか、勝手に人の寝室に入るんじゃねぇよ」
「何度もノックしたのに、先生が起きなかったので……」
そのまま食卓の椅子に座ろうとするディルの背中を、少女が洗面所側に軌道修正すべく押してきた。
「なんだ、なんだよ」
「まずはお顔を洗ってきてください」
「……お前は母親か」
「いいえ、わたしは先生の弟子です」
「俺に弟子はいない」
「い、一番弟子です……!」
「俺に弟子はいない。だから一番弟子もいない」
引き下がる様子がないので、ディルは諦めて洗面所に向かう。
「先生、お飲み物はお水と牛乳どちらにされますか?」
「酒」
「牛乳にしておきますね」
「……」
彼女もディルの適当さに慣れつつあるようだ。
顔を洗いながら、ディルは先日のことを思い出す。
アレテーの――生き返らせたい者について聞いた時のことを。
◇
つい先日、とある事件があった。
ディルの幼馴染である、リギルが冤罪で逮捕されたのだ。
色々あった末、真犯人の探索者ヴィトスの企みを暴き、リギルは無事に解放された。
その過程で、かつての仲間であるダークエルフの探索騎士団長パオラとの関係を修復出来たディル。
それだけではなく、ヴィトスが隠し持っていたダンジョン直通の『落とし穴』を発見。
これによって、第六階層へのショートカット手段を手にしたことになる。
使用するには面倒な手続きが必要になるだろうが、それはリギルやパオラに丸投げすればいい。
第八階層・深淵領域を目指すディルにとって、五つの階層攻略を飛ばせるのは大きかった。
だがいいことばかりではなく、何人かに借りを作ったほか、アレテーに秘密を話すことになってしまう。
かつて深淵に辿り着き、取り戻した妹の肉体。
生命活動こそ続けてはいるが、一瞬も目を覚ましてはくれない身体。
リギル救出に集中する為、ディルは妹の世話をアレテーに託したのだ。
そしてアレテーは言った。
この件が済んだら、自分の話も聞いてほしい、と。
「……で? 話したいことって?」
リギルの出所祝いのあと。
参加者たちも帰宅し、居間にはアレテーとディルだけが残された。
「は、はい」
アレテーはディルの対面、食卓の椅子に腰掛け、姿勢を正す。
顔には緊張の色。
彼女はそこから更に、数分も言い淀んだが、ディルは黙って待っていた。
「わ、わたしが、生き返らせ、たいのは――弟、です」
「そうか」
「は、はい……」
それから、少女はたどたどしい口調で説明を始めた。
アレテーには二つ年下の弟がいた。
その弟は身体が弱く、幼い頃から両親は彼の世話にかかりきりだった。
『お姉ちゃんなんだから』と我慢を強いられたアレテーは、弟の苦しみにまで考えが及ばず、彼を羨ましいとさえ考えていた。
だが、弟が死んだことで、アレテーは理解した。
弟の境遇に、羨むべきところなどある筈もなかったのだと。
彼は家の中の、自分の部屋以外、ほとんど知らない状態で。
幼くして、この世を去ってしまったのだから。
そしてアレテーは知った。
自分が抱いていた、嫉妬という感情の罪深さも。
「わたし、お、弟を、生き返らせてあげたいのです。そ、それで……健康にこの先を生きてほしい。……でも、それだけではありません」
彼女が苦悶の表情を浮かべる。
「あぁ」
「あ、謝らないと、いけないんです」
家族なのに、貴方は苦しんでいたのに、幼い嫉妬を向けてごめんなさい。
寂しいからと、時に仮病まで使って両親の気を引こうとしてごめんなさい。
いいお姉ちゃんじゃなくてごめんなさい。
アレテーは涙ながらに、弟に向ける謝罪の言葉を並べた。
ディルは同情することも、励ますこともせず、静かに告げる。
「なら、そうしろ」
ディルの言葉は簡潔だった。
余分な感情や情報が一切なく、そのことがアレテーは嬉しかった。
「……はい、先生。わたし、頑張ります。先生の教えを守って……いつか、きっと」
「約束したからな、いつか深淵まで連れて行くさ。だがもちろん、お前の実力がそれに追いついたら、だ」
「分かっています。わたし、頑張りますので……!」
ぐっと両拳を握るアレテー。
空元気だと丸わかりだったが、ディルは指摘しない。
「そうかよ」
「先生がいてくれたから、希望が持てました。……先生の妹さんを目にして、目標がハッキリとした気がします。わたしの免許取得は、ちゃんと目的に一歩ずつ近づけているんだって」
「何年掛かるか分からんぞ」
「はい。それでも、やると決めたから」
◇
――リギルの奴、知ってて子うさぎを俺のところに寄越したな?
こうも境遇が似ているのは偶然だとして、そんな少女をディルの世話係につけたのは、リギルの作為だ。
そもそもディルは最初、彼女を別の教官に押し付けようとしていたのだから。
そしてリギルの目論見通りなのか、少女との出逢いで、ディルは再び生きる活力を取り戻した。
ありがたくもあり、癪でもある。
「ふぁあ。まぁ、いいか」
妹を目覚めさせる方法が見つかったのだ。些細なことは気にしないようにしよう。
「先生ー?」
「聞こえてるよ。行くっつの」
洗った顔をタオルで拭いてから、ディルは食卓に向かう。
「本当はゆっくり食べてほしいのですが、急がないと始業に間に合いません」
どこか不満げに片頬を膨らませるアレテー。
「問題ない。近道を使ってついでにちょっと急げば、授業開始数秒前には教室につく計算だ」
「あの、先生たちは教官室に一度顔を出すものでは?」
「いいんだよ。朝の報告とか挨拶とか、授業準備とか、あんなのは無駄だ無駄」
「そんなことはないと思いますけど……」
生徒のアレテーは教官のディルよりも時間に余裕があるが、これでは出発時間がほとんど同じになってしまう。
「それより飯だ飯。食うぞ」
「はい、召し上がれ」
と、ディルが朝食に手を伸ばそうとした瞬間。
コンコン、と玄関の戸がノックされる。
「……こんな朝からどなたでしょう?」
「無視しろ」
「失礼。少々お尋ねしたいことがあるのですが」
扉越しのくぐもった声だが、中年男性のものに聞こえる。
ディルは俊敏な動きで席から立ち上がり、壁に立てかけてあった剣を手にとってから、扉の脇にスッと移動。玄関越しに応じる。
「来客の予定はないんだが、あんた誰だ? 用件はなんだ?」
「重ね重ね、失礼。私は二〇二号室に住むアレテーという者を訊ねてきたのですが、何度ノックしても反応がなく。何かご存じないかと、お話を伺えればと思いまして」
……子うさぎを探してる?
「知らんなぁ。俺は朝から晩まで勤勉に働く小市民でね、他の居住者との関わり合いもないんだ。つーわけで、お引取り願おうか」
「……そうでしたか。もし見かけることがありましたら、伝言を頼めますか――『父が捜していた』と」
「父……? ま、まさか――お父さんっ!?」
「おい馬鹿子うさぎ……」
ディルは頭痛を堪えるように額を押さえる。
仮に扉の向こうの男が彼女の父親だとしても、感動の再会は自分が出発したあとにしてほしかった。
もっと言えば自分の部屋以外でしてほしかった。
だが、もうそうはいくまい。
「……あ、アレテー!? アレテーか!? そこにいるのか!? あ、開けなさい!」
扉を叩く音が連続する。
「あなたどうしたの? アレテーがそこにいるの!?」
今度は中年女性の声が聞こえてくる。
「お母さんまで!?」
「……はぁ」
ディルは溜め息と共に扉を開く。
すると夫婦が揃って突進するように入ってきた。
「あぁ……! アレテー!」
白い髪をした女性の方が、目に涙を浮かべる。
問題は男性の方だ。
「……娘をご存じだったようですな?」
ディルの嘘を咎めるような視線を向けてくる。
十五の娘が、どこの馬の骨とも知れない輩の部屋にいるのだ、親としては当然の反応だろう。
しかしディルは面倒事に関わるのが嫌だった。
ので。
アレテーに視線を向け、わざとらしく飛び上がる。
「えぇ!? なんだね君!? どうして俺の部屋に!?」
少女を侵入者に仕立て上げ、被害者ぶることでその場を乗り切ることにした。
「先生!?」
アレテーは何が起こったか分からず、目を白黒させている。
「話を聞くに、お二人のお子さんなのですか? まったく、しっかりしてほしいものですな! 人の家に勝手に入らぬよう、よく言い聞かせてください。では、さようなら」
アレテーと夫婦を追い出し、扉を閉める。
「よし、面倒事はこれで片付いたな」
掻いてもいない汗を拭うように、袖で額を擦る。
あとは親子水入らずで話をしてくれればいい。
ディルは食卓につき、焼かれたタマゴとベーコンの載ったパンを手に取る。
それを食べようとしたところで――。
「せんせぇ……! 開けてくださぁい……!」
アレテーが涙声で叫んでいるのが扉越しに聞こえた。
「…………はぁ」
どうやら一人で両親の対処をすることは出来なかったらしい。
ディルは大きなため息をこぼし、開き直ってパンをむしゃくしゃと頬張りながら、扉を開く。
「なんだ。あとは家族で話し合ってくれないか?」
「どうやら、娘が世話になっている教官というのは貴方のようですな。何故娘が朝から貴殿の部屋にいたかは置いておくとして。こちらの目的を話しましょう」
ディルが教官だと理解しているということは、アドベンチャースクールのことは把握しているようだ。
住所は、アレテーが手紙にでも書いたのか、それとも探偵を雇ったのか。
お節介なリギルが教えた可能性もあるが、それならもう少し詳しく説明している筈なので、今回は容疑者から除外してもいいだろう。
「もふふぇきへぇ……」
目的ねぇ……と言いたかったのだが、口の中のパンの所為で上手く喋れない。
男性はそんなディルに厳しい視線を向けながらも、目的を告げる。
「娘は連れ帰らせて頂く」
――どうせそんなことだろうと思ったよ。
「ほーん」
どうしたものか。
以前ならば喜んでお返ししたのだが、今のディルはアレテーに恩がある。
それを返し終えるまで、どこかへ行ってもらっては困るのだ。
しかしアレテーを残す為には、彼女の家族の事情に踏み込まねばならないだろう。
厄介事を厭うディルにとっては、リギルを救い出すのと同じかそれ以上の難題であった。
だからといって、涙目でぷるぷる震える子うさぎを放っておくことも出来ない。
パンを飲み込んでから、ディルは呟く。
「……はぁ、取り敢えず、遅刻確定だな」
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これより第三部開始です!!!!!
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