第65話◇眠っているだけ
ヴィトスと、奴の裏稼業に加担した者たちの全員が、残らず探索騎士に拘束された。
彼らの犯罪の証拠に加え、ヴィトス自身の詳細は自白も揃ったことで、『一刀両断』のリギルにかけられていた嫌疑は全て晴れた。
事件は解決。
一件落着。
と、そう簡単にはいかないだろう。
高名な探索者逮捕の報は、一度
たとえ街の者一人ひとりに冤罪事件であったと説明して回ったところで、一度ついた疑念は完全には払拭されない。
割れた陶器の欠片を合わせて修復を試みても、完全に元には戻らないように。
いつの世も、壊すことばかりが簡単で、傷つけられた側の再起には時間を要する。
修復する機会に恵まれただけ、よかったと捉えるべきなのかもしれないが。
「やっぱ、どうにもむかつくな。もう少し殴っておけばよかったかもしれん」
「繰り返し殺し、若さや能力を種に変え、力の限り殴りつけておいて、まだ足りないと抜かすか」
探索騎士の屯所。
ディルは釈放されるリギルを待っていた。
そこに、パオラが現れたのだ。
本当なら出迎えなど彼の性格ではないのだが、パオラに呼び出されたので仕方がない。
「あぁ、足りないね。本来ならする必要のないことを、アホの所為でやる羽目になったんだ。俺には怒る権利がある」
リギルの冤罪を晴らし、ヴィトスを捕まえる為、ディルはあちらこちらに奔走した。
改めて思い返しても、超過労働だ。
「腹立たしい思いは私とて同じだ。だが、今はリギルの釈放を素直に喜べ」
ディルは肩を竦める。
「……ま、実のところ悪いことばかりでもなかった」
「なに?」
「お前とも、また逢えたしな」
ディルが笑って言うと、パオラは幽霊にでも遭遇したような顔をする。
それからそっと手を伸ばし、ディルの額に当てた。
「熱はないようだな。それに実体もあるから、私の幻覚でもない」
「ひどい奴だな。そこまで疑うなら、リアルな夢って可能性はどうだ?」
「有り得る。むしろその線が濃厚だ」
ディルは片手でパオラの頬を引っ張った。
「なにをひゅる」
「夢でもないって分かったかよ」
手を離すと、パオラが神妙に頷く。
「どうやらそのようだ」
「俺は別に、そこまで変なことは言ってないぞ」
「……あぁ、少し考えて分かった。――妹君の件だな」
ディルは先日、
そして彼の幻像は示したのだ、ダンジョンの奥へ続く道を。
再び深淵を目指すことになったディルは、かつての仲間に相談した。
その際、パオラはやって来なかったのだ。
「そうだ」
「……リギルから、聞いてはいた」
「手伝ってくれるだろ?」
「当たり前のように言うな」
パオラは不機嫌そうな、どこかくすぐったそうな表情で言う。
「いや、この前あいつらに頼んだら、それはそれで怒られたもんでな」
頭を下げて頼み事をするような間柄ではないのだと、そう怒られたのだ。
一人で深淵には行かせないと、言ってくれたのだ。
「頼み事? 貴様がか? ふっ、それは是非見たかったな」
パオラが楽しげに微笑する。
ディルはちょっとした悪戯心が湧いた。
「頼まなきゃ手伝ってくれないっていうなら、もちろんそうするとも」
「……いや、今のは冗談だ」
「いいって、しっかりとお願いすべきだよな」
ディルは床に膝をつき、パオラの腰に縋り付く。
そして普段の彼からは考えられない、必死な表情を作って、叫ぶ。
「お前に無断でパーティーを抜けて申し訳なかった! でも、でも、どうしてもまたお前の力が必要なんだ……! 頼む、かつての仲間を見捨てないでくれ、パオラ様……!」
周囲の探索騎士や、相談に来ていた一般市民たちの視線が一挙に集まる。
「ばっ、貴様……! こんなところでふざけるのはやめろ!」
羞恥に顔を赤くするパオラを見て、ディルはわざとらしく狼狽してみせる。
「あっ、そうだよな。お前に許しを請う時は、誰もいないところでその褐色の
「適当なことを言うな!!! ここで殺すぞ!」
パオラが耳まで真っ赤にして剣の柄に手を掛ける。
「うっうっ……ここでするのか? 分かった……お前がそう言うなら、プライドも何も捨ててご奉仕させていただきます……うぅっ」
「その気色の悪い演技を今すぐやめないと、本当に血を見ることになるぞ」
ディルは一瞬前までの寸劇がなかったかのように、スッと立ち上がる。
「このように、人の評価を落とすのは一瞬で出来るのに、その修復には時間が掛かる。ヴィトスのやったことは、解決したあとも厄介なんだと、そういうわけだな」
「それを伝える為に、実際に私に関する誤解を広める必要はあったのか? ん?」
パオラの額に青筋が浮いていた。
周辺にいた人物たちは、こちらに目を合わせないようにしながら、表面上は普通にしている。中には、こそこそと話している者たちもいた。
「いや、ただの悪戯だ」
剣が半ばまで引き抜かれる。
「――というのは冗談で、ちゃんと意味がある」
「話せ、貴様の首が胴と繋がっているうちにな」
「今回の件、最後に俺が少し出しゃばったからな。騎士団長の協力者とはいえ、一般人の俺が犯人逮捕に直接関わったことで、面倒なこともあるだろう」
探索者だろうと、探索騎士の捜査においては一般人だ。
「……貴様が気にすることではない」
「いや、お前は職務に忠実に、リギルを捕まえた。なのに、俺の求めで冤罪を晴らそうとしてたなんて疑惑が生まれるのはよくないだろう」
「……」
パオラも懸念していたことではあったのか、黙る。
「つまり、あくまでお前が俺を使った、ということにしておくのがいい」
リギルが友人だから、同じく友人であるディルの助けを無視出来ず、強引に捜査を続けたなんて悪評は、ついてほしくない。
彼女自身が公平な立場から事件の裏を疑い、その過程で、ディルを協力者にした。
事件解決という結末が同じでも、世の中には過程のシナリオを気にする者が多いのだ。
「……部下の目がある中で、両者に上下関係が成立していると示すことで、貴様が主体の捜査ではなかったと周知しようと考えたわけか」
「そうそう、俺はお前に頭が上がらないって演出さ。名演技だったろ」
先程のやりとりを聞き、ディル主導の捜査であったと考える者はいないだろう。
そして、噂が巡るのは非常に早い。
この一回で充分な効果を発揮する筈だ。
「……なぁ、ディル」
「なんだ?」
「貴様の心遣いは嬉しく思う、まずはこれを言っておこう」
「どういたしまして」
「だがな、私に嗜虐趣味があるかのような設定は必要だったのか?」
「説得力があるだろ?」
パオラはぷるぷると怒りに震えていたが、やがてそれらを吐き出すように長い長い溜息を溢し、最終的に刃を収めた。
「……足は舐めさせんが、貴様には実際に私に奉仕させる必要があるかもしれんな。足でも揉んでもらおうか」
「そんなんで機嫌が治るんなら、いいけどな」
ディルとしては、パオラとの関係を悪化させるつもりはないのだ。
「やはりやめておこう。邪な手つきで撫でられる未来が見えた」
「足だけと言わず、全身を揉みほぐしてやるよ」
「お断りだ」
「――仲直りは出来たようだね」
気づけば、二人の探索騎士に連れられたリギルが、近くまで来ていた。
服や荷物は返却されたようで、逮捕された日と同じ格好をしている。
だが髪がボサボサで、髭も生えていた。
いつも爽やかに決めているリギルらしくない。
拘束中は身なりに気を遣う余裕などなかったのだろう。
「おいおい、お前さっさと家に帰った方がいいぞ。生徒たちが見たら幻滅しちまう」
「ははは、最初に掛ける声がそれかい?」
「なんだよ、感動のハグでもしろってか?」
「いいや、感動するところなんてどこにもないからね」
「だろ?」
「君が私を助けてくれることは、分かっていた」
リギルがディルを助けるように、ディルをはリギルを助ける。
これは当たり前のことで、互いに感謝を述べるようなことではない。
「お前がいないと、色々面倒なんだよ」
「迷惑を掛けたね」
「まったくだ」
リギルがパオラを見る。
「君にもだ、パオラ」
「無実の罪で捕らえたことを、探索騎士団を代表して謝罪する」
「君は仕事をしただけだ、気にしなくて構わないんだよ」
「黙れリギル。ここは裁判とか起こして探索騎士団から慰謝料をふんだくろう」
「そんなことはしないよ」
「つまらん奴だ」
パオラはまだ仕事があるとのことで、男二人で帰ることに。
「ディル」
「なんだ、騎士団長」
「深淵に
それはつまり、仕事を休んででも手伝ってくれる、ということ。
「……足舐めが効いたか」
「触れさせたこともないだろうが……!」
パオラが再び柄に手を掛けたので、ディルは急いで屯所をあとにした。
「……どうして君は、周囲にあぁいう態度をとるのだろうね」
リギルが困ったように苦笑している。
「あいつ、俺が素直に再会を喜んだらどうしたと思う?」
「私なら、君の発熱を疑うけれども」
「まさにそれだったわ。結局、この距離感がちょうどいいんだろ」
「というより、君の態度に慣れてしまったんだろうな」
「その割に、パオラもアニマもいまだにキレるけどなぁ」
「もう少し、デリカシーは備えた方がいいだろうね。……それよりも、アニマの容態はどうだい?」
今回の件で、襲撃されたアニマは一時かなりの重傷を負わされたのだ。
「もう治って、とっくに退院してるぞ。怪我が治ったら顔を見せなくなったとかなんとかで、昨日怒られたが」
入院中は見舞いに行ったが、治ったのならそれでいいではないか。
「レオナは?」
「大罪人リギルの仲間ってことで、あいつの店にも捜査が入って、機嫌が最悪だったよ。まぁ、さすがにそろそろマシになったと思うが」
「本当に、みんなには迷惑を掛けてしまったね」
「そう思うんなら、給料を倍にしてくれ。あと今回の件の残業代も請求する」
「残業までしてくれたのかい?」
「俺って良い奴だろ?」
「昔からね」
「気色悪いことを言うな」
冗談に本気で返されると、どうにも居心地が悪い。
「あはは」
しばらく、人通りの少ない道を選んで歩く。
それでもリギルの顔は有名なので、ちらちらと視線を向けられた。
「それより、今回の件で朗報もある」
「そうなのかい?」
「ヴィトスは違法な『落とし穴』を持ってたんだが、それが第六階層に直通だった。ありゃギリギリ安定空間だな」
ダンジョンな不定期に構造変化が起こって地図が役立たずになるのだが、安定空間と呼ばれる一定範囲範囲は、構造変化の対象にならないのだ。
つまりあの『落とし穴』は、今度構造変化が起こっても、変わらず同じ場所に繋がる。
「……まさか、ディル」
「あぁ、あれを使おう」
リギルにならこれで通じる筈だ。
「彼女を取り戻す為の深淵踏破に、その穴を利用しようというのか」
「そうだ、かなりのショートカットになる。しかも、第六階層から地上に戻れる『垂れ糸』も見つけてあるんだ、使わない手はない」
ということは、地上から第六階層へ侵入、第六階層から第七階層へ降下、第七階層にて深淵へ繋がる扉を捜索、深淵で妹の精神を取り戻したあと、第六階層まで戻って『垂れ糸』を使用、地上に帰還という流れになる。
第一階層からスタートするよりも、ずっと短時間で深淵に行くことが出来るのだ。
「それが叶えば素晴らしいが、『落とし穴』を利用したダンジョン探索は、我々にも認められていない」
「まぁな。ただ、また一から挑むより、お前が都市のお偉いさんを説得する方が、早いと思わないか?」
ダンジョンは、公式には全七階層とされている。
にも関わらず、国はリギルパーティーの五人に対し、第八階層探索免許を与えたのだ。
もし第七階層で深淵を発見したとしても、彼らだけにはその探索が許可されている。
特別扱いされるだけの功績を上げ、特別扱いされるだけの利益を国に齎した。
たった一度、『落とし穴』を利用するくらいは、リギルならばなんとか出来る筈。
「……そうだね。彼女の為だ、なんとかしよう」
「よし」
「この件、パオラには?」
「言ってないが?」
リギルが額を押さえた。
「……今度、君から相談しておくべきだ。決定後に知らされたりしたら、きっと彼女をまた怒らせることになるよ」
「分かった分かった、そうするさ」
ヴィトスの件は彼女と共に解決したので、そこで見つけた『落とし穴』の利用については、彼女にも話しておくべきなのかもしれない。
「ところで、ディル」
「あ?」
「……私の件で忙しかっただろうが、その間、彼女の面倒は一体誰が?」
ディルの隣室に眠る、妹の世話。
「あー、子うさぎに頼んどいた」
リギルが驚いたような顔になる。
「……君が、彼女にそこまで心を許すとはね」
「お前が、あいつを俺の隣室に住まわせたんだろうが」
ディルの部屋は、妹とアレテーの部屋に挟まれた位置にあるのだ。
「互いによい影響を受けてくれたらと思ってはいたが、ここまで上手くいくとは」
「お前なぁ……いや、いい」
結果的に、彼女がディルに気づきをくれたのは事実だ。
「ともかく、『落とし穴』の使用許可や、パオラの予定、仲間たちの準備に、まだ少し時間は掛かるだろう」
「だな」
元々、すぐに深淵を目指せるとは思っていなかった。
だが、今回の件で期間の短縮が出来たのは間違いない。
対応しなければならない階層が、深淵を抜きしても七つだったのが、二つに減るのだから。
「リギル」
「なんだい?」
「……あいつに逢っていくか?」
「えっ」
リギルが途端に、恋を知ったばかりの少年のような顔になる。
己の感情を持て余してしまい、その置き場所さえも分からなくて戸惑ってしまう、そんな感じの顔だ。
「なんだよ、来ないのか?」
「い、いや、その、行きたい気持ちはあるのだけど」
「じゃあ来いよ」
「しかし、うぅん……寝顔を見られるのは、彼女も嫌だろうし」
リギルの発言に、ディルの足が止まる。
「……? ディル?」
「ふっ。はははっ」
突如笑い出した幼馴染に、リギルが怪訝な顔をする。
「そんなおかしなことを言っただろうか」
「いや、くくっ、そうじゃない。むしろ逆だ」
「逆?」
「あぁ、お前が正しい。あいつは寝てるだけだもんな」
生命活動こそ続いているが、決して目覚めない妹。
絶望的なその状況も、言ってしまえば
リギルにとって、ディルの妹に逢うのは、寝顔を見てしまうような、どこか躊躇いを感じる行為なのだろう。
「リギル、やっぱ寄っていけ」
「あ、あぁ、もちろん構わないが……」
「んで、あいつが起きたあとで、俺と一緒に怒られろ。こっちは既に、あいつの寝顔を馬鹿みたいに眺めてた前科があるんだ」
自分ひとりで怒られるのは嫌なので、リギルも巻き込んでしまおう。
ディルの考えを聞いたリギルは、子供みたいに笑う。
「君はひどい兄だな」
「分かってるさ」
「そして私も同罪だ」
「あぁ」
二人が集合住宅前につくと。
そこには一階で雑貨店を営むレオナと共に、教官アニマも待っていた。
それだけではない。
ディルの部屋ではアレテー、モネ、パルセーノスが待ち構えていた。
「お帰りなさい、先生っ!」
「……おう」
色々手伝ってもらった手前、追い出すことも出来ず。
一時、ディルの部屋の人口密度がとんでもなく高まってしまう。
幼馴染と二人、妹を蘇生する為にやって来た頃からは想像も出来ないほど、彼らの周りには人が増えてしまった。
一度は諦めかけた目的だが、再びそれを取り戻す道が見えた。
ディルのやるべきことは、あと二つ。
妹の精神を取り戻し。
その道を示してくれたアレテーを、深淵まで導く。
叶うまでは、もう少し時間が掛かりそうだ。
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