第63話◇罪、深き
ディルが十三歳の時、妹が死んだ。
病によるものだった。
彼女が死んだあと。
ディルは、頭が真っ白になって、上手くものを考えられなくなってしまった。
食事や着替えなども億劫で、人と喋る気力もなく、一日中、妹の墓の前に座っていた。
ある日いきなり、体の半分を神様に奪われてしまったみたいな。
そんな喪失感との向き合いかたが、どう頑張っても分からなかった。
世界中で、日々、人は死んでいるらしい。
なら、世界中で、日々、自分のような喪失感を抱える者が生まれている筈で。
それなのに、世界は上手く回るものなのだろうか。
みんな、どうやって生き続けるのだろう。
『ディル』
その日も、ディルは朝から妹の墓に来ていた。
そんな幼馴染を心配してか、リギルが現れる。
『……』
『ディル、プリガトリウムに行こう』
プリガトリウム。
世界で唯一、ダンジョンのある街。
田舎者でも、名前くらいは知っている。
『一人で行けよ』
『ダンジョンでは、様々なものが手に入る。美食、特殊な装備、秘薬――』
『興味ない』
『そして――死んでしまった者の命も』
『――――』
ディルは、その話を初めて聞いた。
『昨日、村に来た商人が教えてくれたんだ。あくまで噂だけれど、全七階層と言われているダンジョンには、幻の第八階層があるって』
『それで? そこでなら、金塊みたいに、死人の魂がとれるってのか?』
『そうだ。死者の国から、彼女を連れ戻せるんだ。第八階層――深淵に行けば』
『深淵……』
リギルが、こちらに手を差し出す。
『深淵に行こう、ディル!』
『……なんで、お前がそこまでする。関係ないだろ』
ディルがそう呟くと、普段は温厚な幼馴染が、ディルの胸ぐらを掴み上げた。
『彼女が、君にとってだけ大切な人だと考えているのなら、それは傲慢だ!』
叫ぶリギルの瞳は、水気を帯びている。
リギルもまた、自分と同じなのか。
同じなのに、こいつは先に立ち上がったのだろうか。
『……お前、親友の妹に手を出そうとしてたのか、悪いやつだな』
自然と、ディルは皮肉を言うことができていた。
いつもやっていたような、へらへらした笑みを浮かべることができていた。
『……まず君に相談するつもりだったさ』
『ははは。クソ真面目が。気持ち悪いこと言うなよ』
ディルはリギルの手を振り払い、自分で立ち上がる。
『ディル』
『リギル、そういうのは、本人に直接言え』
『――――! で、では……』
『深淵か。まぁ、お前と俺ならなんとかなるだろ』
まるで、頭に掛かっていた霧がすっかりと晴れたように。
心が軽く、視界が明瞭だった。
向かう先が見えるということが、これほどの活力を生むと、ディルは初めて知った。
『あ、あぁ……! 絶対に、取り戻そう』
自分たちが、周りから見て間違ったことをしようとしているのは理解できていた。
終わりがあるから人生に意味はあるとか、魂は次の人生へと巡るとか、天国で俺たちを見守っているとか、ずっと心の中で生き続ける、とか。
それらに救いを求めるのは否定しないが、どれも自分を救ってはくれなかった。
どんな理屈をつけても、幼くして病で命を落とすということが、正しいとは思えなかった。
人を蘇らそうと望むのは罪だ。
だからこそ大罪ダンジョンの最深部に設定されているのだろう。
人の驕りを表す第七階層『傲慢』領域から繋がるのは、定められた死を覆そうと考えることが、その罪に近しいという判断か。
構わない。
リギルは、ディルにとって幼馴染で、友達で、共犯者。
理解してもらおうとは思わない。
ただ、自分たちの目的を、誰かに邪魔させるつもりもなかった。
◇
『光輝燦然のヴィトス』。
リギルを陥れた黒幕。第六階層探索免許保持者。
傲慢型光属性の
だが、関係ない。
ディルは己の
彼を狙った閃光は全て外れ、気づけばディルはヴィトスに肉薄していた。
鞘から抜いた剣で、ヴィトスの体を斜めに斬りつける。
その剣は確かにやつの体内を斬り裂き、走り抜けた。
普通なら致命傷だ。
だが、肝心のヴィトスは無傷のままであった。
「死ね案内人!」
罠に嵌った獲物でも見るように嗜虐的な笑みを浮かべながら、ヴィトスが叫ぶ。
彼の感情に呼応するように生じた幾線もの光熱攻撃は――ただの一つもディルを捉えられない。
「なんだと……!?」
その頃には、ディルは彼の背後に周り、二度目の斬撃を放つ。
再び、刃は彼の体を通り抜ける。
「ぐっ!」
少し遅れて、光線。
だが同じだ。
目標を外した熱線は黄金の壁や床を融かすばかりで、人を貫かない。
そして三度目の斬撃が、やつの首を通り抜ける。
「き、貴様ぁ……! 案内人如きが、私の命を三つも奪うなど!」
ヴィトスは優秀な探索者だ。
ディルには及ばないが、それなりの装備を持っていることは想像できていた。
それに、ディルの
一撃で殺せないことは、動き出す前から分かっていたのだ。
「……強欲の種を口にしたな。貴様、一体幾つ食らった」
パオラが忌々しげに呟く。
この階層に出現する甲冑騎士姿のモンスターは、倒すことで種を落とす。
それを強欲の種と呼び、中には『若さ、才能、記憶、健康、所有物』などが詰まっているとされていた。
それらはダンジョンが生み出したものではなく、かつて探索者から奪われたものであると推定されている。
『所有物』は、装備品であることもあれば――命そのものであったりもする。
つまり、甲冑騎士は、殺した者の命を文字通り奪っているわけだ。
奪って、種に閉じ込めている。
入手し、口に含めば、その命を得ることが可能。
『手にした命の数の分、余分に死ぬことができる』わけだ。
命を一つ食べれば、一度死んでも生きていられる。一回の死を無効にできる。
ディルは今、短時間にヴィトスを三回殺した。
命を宿した種をドロップするのは非常に稀で、だからこそとんでもない高値がつく。
故にヴィトスは激昂しているのだ。
己の財産をディルに奪われたと感じて。
「人は簡単に死ぬ。掛けられぬ保険を掛けぬ者は馬鹿としか言いようがない! 違うか!?」
ディルもその仲間も、命を宿した種を口にしたことはない。
今まで手にしたものは、全て売って金に換えてしまった。
それさえも、決して褒められたことではないかもしれないが。
誰かのものだった命を喰らおうとは、仲間の誰も思わなかったのだ。
「じゃあ、保険を掛けても死ぬやつは?」
「黙れ!」
己が尊敬されないことには気がすまないヴィトスは、安い挑発さえも我慢できないようだった。
そしてディルを、どこまでも見下している。
故に扱いやすい。
「嬉しいよ、ヴィトス。ちょうど、一度や二度じゃ気がすまないと思っていたところなんだ」
ディルは彼を殺す度に、口を開く。
「最初の三回は、俺の元生徒を暗殺しようとした分」
猫耳娘のフィールを筆頭とした三人の元生徒を、ヴィトスの指示で殺しに来た者たちがいたのだ。一人の暗殺未遂につき、復讐一回で合計三回分。
心臓を剣で貫き、言う。
「これが、俺の授業を邪魔した分」
彼の手の者が第二階層のトラップを起動した所為で、課外授業が邪魔され、生徒たちが危険に晒されたのだ。
「がっ」
横薙ぎの一閃で体を上下に分割して、言う。
「これが、うちの合法ロリを襲わせた分」
ダンジョンの外で襲われたアニマは、特殊な武器で傷つけられ、入院する羽目になった。
「ぐっ」
反撃よりも距離をとることを選んだヴィトスだったが、ディルはそれを許さず距離を詰める。体を縦に分割し、右目から後頭部まで刃を差し込み、一瞬で四肢を斬る。
それらの斬撃は全てヴィトスの体を通り抜けるが、その数の分だけ、確実にヴィトスの命は減っている筈だった。
「んでもって、今の三回分の死が――ムフを泣かせた分だ」
ディルとリギルが、プリガトリウムに来てすぐに世話になった酒場の亭主。
その娘がムフで、彼女は第二の幼馴染であり、妹も同然だった。
リギルが逮捕されたことでムフは悲しみ、涙を流したのだ。
彼女を泣かせた罪は、暗殺よりもよっぽど重い。
「く、くそ……ッ! なんなのだ! どうなっている! 貴様どんな手を使った!」
滝のような汗を掻きながら動揺するヴィトスの腹部に、ディルは膝蹴りを叩き込む。
やつは呻き声を上げながら吹き飛び、通路の柱へと激突した。
「自分で自分を案内してるのさ。お前の終わりまでな」
「くそ、くそくそくそ……ッ! 何故私がこんな目に遭う! 私の何が悪いというのだ! 優れた私の人生はどこまでも報われるべきだというのに、何故邪魔者ばかりが現れる!」
「……それ本気で言ってるのかよ」
確かに世の中、「他人はダメでも自分はアリ」という考えの者は非常に多い。
それにしても、ここまでの人間は中々見られないのではないか。
「なぁ、あんたそれでも探索者か?」
「なんだと!?」
「お前の罪は――リギルへの『嫉妬』、自分は特別だという『傲慢』、身の丈に合った地位に満足しない『強欲』、自分を評価しない他者への理不尽な『憤怒』、それら全てを受け止めて精進しようとは考えられない『怠惰』……とこんなところか。おいおい、七つの内五つも手を出すとはやるなぁ。もしかしてお前、エロい上に大食いだったりする? そしたら制覇なんだが」
「だっ、だっ、黙れ! 貴様程度が私を語るな!」
「誰なら語っていいんだ?」
ヴィトスはゆっくりと立ち上がりながら、顔を真っ赤に染めて叫ぶ。
「人のことを言えた義理か!! 第八階層が、その詳細を知られぬまま『死者を取り戻す階層』と噂され、『深淵』などと呼称される理由が分かるか? 人に残された罪があるとするならば、それだからよ! 愛する者を取り戻したいと願う浅ましき想い。その罪は、七つの罪全てを合わせるよりも重い。その罪
「…………かもな」
「何が『深淵踏破のディル』だ! 貴様が誰を生き返らせたかったかは知らんが、哀れでならんよ。友であろうが女であろうが子であろうが、また作ればいいだけのこと。それとも家族か? なおのことくだらん。血の繋がりなどというものを神聖視するアホは救いようがないわ」
「……」
「どうした? いつもの減らず口も品切れか?」
ようやくディルを黙らせることができたと思っているのか、ヴィトスは勝ち誇ったような顔を晒す。
自分を取り巻く状況は、何ら変化していないというのに。
「いいや、そうだな。俺とお前は、何も変わらないのかもな」
少なくともこの男と、議論の決着を迎えることはないだろう。
だから終わらせる。
「では、罪深きクズとして、同じく罪深きクズであるお前を、なんかむかつくという理由で斬ることにしよう」
「なっ。き、貴様、私の話を聞いていたのか! 貴様のようなクズは、私の邪魔などせずに――」
「いやぁ、最初からこう言えばよかったなぁ。こっちの方が性に合ってるわ」
正義の味方などというものは、向いていないのだ。
「その前に、あんたに聞いておきたいんだが」
ディルは彼に向かって微笑みかける。
「あんたの命は、あと幾つ残ってる?」
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