第61話◇反面教師のお願い
ディルが家に帰ると、三人の生徒が待っていた。
隣室に住み普段からディルの世話を焼く子うさぎことアレテーはまだしも、生徒兼後輩であるハーフエルフのモネや、生徒兼ストーカーであるサキュバスのパルセーノスがいるのはおかしい。
話を聞けば、彼女たちはみな、ディルを心配していたという。
幼馴染兼上司であるアドベンチャースクールの所長リギルの逮捕に始まる一件が与えた衝撃は大きく、元生徒を狙う暗殺者や教員が襲撃される事件まで起きた。
ディルは元パーティーメンバーで現在は探索騎士の団長を務めるダークエルフのパオラに協力し、事件の解決に向け動いていたのだが……。
彼女たちには何の相談もしていなかったのを、不満に思っていたようなのだ。
何か手伝いたいとあまりにしつこいので、ディル渋々は折れることに。
そして、一人ずつ個別に話をすることにした。
「な、なんで寝室なのよ」
美しきハーフエルフの美女、モネがなんだかそわそわしている。
二つに結ばれた
「なんだよ、初めて入るってわけでもないだろ」
「ちょっ、誤解を招く言い方をしないでちょうだい!」
耳まで真っ赤になるモネ。
彼女はかつて、この部屋に入ったことがある。
とはいっても、具合を悪くした彼女にしばらくベッドを貸しただけのことなのだが。
だというのに、モネの赤面はしばらく解けなかった。
ディルがベッドに腰掛けただけで動揺したり、ぷるぷる震えたりと忙しい。
一体、何を思い出しているのか。
それからしばらく。
彼女は深呼吸を幾度も繰り返した果てに、ようやく落ち着きを取り戻す。
「それで、なんで寝室なのよ」
「居間に押しかけてきたのはお前らだろ。一人ずつと話すには場所を移す必要があるってだけだ。占拠された居間を除けば、あとはもう寝室か浴室しかない。今からでも浴室に変えようか?」
「お、おばかっ! もっとダメでしょ!」
「何を想像してるか知らんが、一緒に風呂に入るとは言ってないからな」
「~~~~っ!」
己の妄想力が暴かれた形となり、ハーフエルフが羞恥に震える。
このまま
「まぁ、それはまたの機会にな」
「ま、またの機会って……」
「お前に頼みたいのは、教習所の事だ」
再び顔を赤くしていたモネが、本題に入ったと気づくと真面目な顔になる。
「……しばらく休むの?」
「まぁ、数日くらいな。それで片付くさ」
リギルは逮捕され、アニマは入院沙汰となった。
レオナには他に頼むことがあるし、パオラは探索騎士だ。
教習所を任せられる人間は、モネくらいのもの。
「あなたを手伝うわけにはいかないの?」
「お前に、そんなことはさせられない」
ディルの言葉に、彼女は拗ねたような顔をする。
「あたし、孤児院育ちですけど。お上品な生き方をしてきたわけじゃないわ」
確かに、彼女はたくましい女性だ。
孤児院の建つ貧民街の治安を回復させるべく奮闘したのも彼女だし、孤児から立派な探索者にもなったし、教員免許まで取得した。
ついた名が『聖女』モネ。
「上品でなくとも、お前は高潔な人間だよ」
ディルが真っ向からそのような言葉を口にしたことに、モネが目を見開く。
「……だから、巻き込みたくないってわけ?」
「適材適所って話さ。教習所を頼むよ。全部片付いた時、職場がないんじゃ少し困るからな」
「……わかった」
「よかった。じゃあ話は終わりだ。次のやつを呼んでくれ」
だがモネは退室しない。
それどころか、ベッドに腰掛けるディルの真正面までやってきた。
「今回の件は、引き受けるわ」
「あぁ、それはもう聞いた」
「でもね。あたし、あなたと自分が違う場所にいるだなんて思ってないから」
「はぁ……?」
モネはディルのネクタイを掴み、引っ張り上げてディルの顔を上向かせる。
彼女の蒼玉の瞳と目が合う。仰向けになって眺める青空のような、溜め息が出るほどの壮大さと美しさが、たった二つの瞳に凝縮されている。
「あなたは自堕落なところもあるけれど、立派な先生よ!」
「なんだ、急に」
「リギル所長を救い出す為に何をするか知らないけど、高潔な人間とやらに似合わない汚れ仕事は自分担当、みたいな顔をしないで!」
「…………」
ほとんど鼻先が触れそうな距離で、彼女は瞳を潤ませながら叫ぶ。
「あたしの
どうやら、ディルの先程の発言が、彼女の癇に障ったらしい。
彼女は一貫して、ディル本人よりもディルを評価してくれている。
ディルはそれがなんだかおかしくて、フッと笑った。
「わかったよ、モネ」
「そ、それならいいのよ」
「それで、この次は? ここまで顔を近づけてきたってことは、俺はここで目を瞑ればいいのか? 『待ち』の方は経験ないんだが、雰囲気的にそうだよな?」
そこでようやく、モネはキス寸前レベルの距離感に気づき――ぼふっと顔を真赤にする。
「……お、おおおお、おばか!」
◇
次はピンク髪サキュバスのパルセーノスだ。
「はぁ~~ディル様の寝室ディル様のベッドディル様のお布団ディル様の枕クンカクンカクンカ!」
入ってくるなりベッドにダイブして匂いを嗅ぎ布団にくるまってベッドで高速ゴロゴロし始める彼女を見て、ディルはドン引きする。
「お前、捕まった方が世のためなんじゃないか」
「この世に愛を咎める法などありませんわ!」
「この国には変態行為を咎める法があるようだぞ」
「そうなのですね。ところで、一体誰がそのような許されざる行いを?」
「この部屋にいるサキュバス」
「まぁ、わたくし以外にもサキュバスを連れ込んでいるのですか!?」
同じ言語で言葉を交わしている筈なのだが、話が通じている気配がまったくない。
「もういい。それよりお前に頼みたいことがある!」
「はい! ディル様の為でしたら、どのような恥ずかしい行為でもがんばりますわ!」
「そうか。じゃあまず、お前の能力について聞きたいんだが」
「なんなりと」
彼女はディルのベッドの上で膝を崩し、枕を抱きかかえるようにして持ちながら言う。
どうやら降りる気配はなさそうだ。
仕方がないので、ディルは自分の部屋なのに立って話すことにする。
「
「なるほど。世間では淫蕩な生き物として知られるサキュバスの、実際の実力についてお知りになりたいわけですわね?」
「違う。お前のストーキング能力についてだ。前に抜かしてだろ、赤い糸とかなんとか」
「えぇ、運命の相手との再会を必然とすべく備わった、赤い糸ですわ」
要するに、サキュバスが獲物を逃さない為に、あとで捜し出せるような目印を付けられる、ということなのだろう。
「俺は、それを見ることも感じ取ることもできない。それがどういうことか分かるか」
「人間種は、運命が目に見えぬ、と?」
「違う。世界で一番ダンジョンに詳しいリギルパーティーさえも感知できないということは、他のどの探索者にも、『赤い糸』は感知できないということだ」
この世界には、大罪ダンジョンや
今よりずっと技術が進んでいたという幻の古代文明、ダンジョンの外であっても摩訶不思議な力を発動できるという竜の言語、異界に繋がるとされる白の
実在も不確かなそれらは、大罪ダンジョンと違って人類に安定した富をもたらさない。
だが、完全に否定されるようなものでもない。
人間種以外の種族に見られる特殊能力は、竜の言語の残滓だとも言われる。
いわゆる、魔法だ。
「ディル様の仰らんとされていることが、よく分からないのですが」
「お前が俺に協力するつもりがあるというのなら、その赤い糸をつけて欲しいやつがいる」
パルセーノスはディルと逢って初めて――嫌そうな顔をした。
「運命の赤い糸を他人につけろだなんて、ディル様、まさかそのようなご趣味が――」
「違う。そもそも、その能力は獲物を追跡する為の能力であって、サキュバスにとっての赤い糸ではないんじゃないか?」
「……まぁ、わたくし以外のサキュバスがこの能力を悪用していることは確かですけれども」
いや、悪用してるのはお前も同じだ、という言葉をディルは飲み込む。
精力を吸う為に利用するか、ディルをストーキングする為に利用するかの違いしかない。
「つまり、可能なんだろ?」
「うっう……可能か不可能かと訊かれれば、可能ですけれども」
「言っておくが、無理強いする気はない。その場合は、普通に教習所に通っていればいい」
ディルがそこまで言うと、パルセーノスの態度が変わる。
彼女は急に真剣な顔になって、ディルを見据えた。
「侮らないでくださいまし。貴方様の障害を取り除くお手伝いが出来るのであれば、己の下らぬこだわりなど、捨てられますわ」
「そうか、感謝するよ」
「――ただし」
「……なんだ」
「ご褒美があっても、よいとは思いませんか?」
何かを期待するようなキラキラした視線がディルを見上げる。
「……もちろん借りは返すが、過度な期待はするなよ」
「はい! 新婚旅行は近場で問題ございません!」
「違う。そんなことにはならない」
◇
最後はアレテーだ。
モネとパルセーノスはアレテーの部屋に押し込み、今日は泊まっていくよう指示。
「あ、あの、ディル先生?」
ディルはアレテーを伴って部屋を出る。
その手にはランプ。
二○三号室がディルの部屋。二○二がアレテーの部屋。
向かうのは、角部屋の二○四号室だ。
「ここだ」
ディルは扉を解錠し、中に入る。
アレテーは、彼が何故隣室の鍵を持っているのか、そして今自分を招き入れているのか理解できないまま、後ろをついてくる。
そしてディルは、寝室に繋がる部屋の前で立ち止まった。
「せ、先生? 大丈夫ですか?」
アレテーが心配するほど、不安定に見えたのだろうか。
ディルは無理やり唇を自嘲の笑みの形に歪め、アレテーに顔を向ける。
「お前は前に、俺に訊いたな。俺が深淵で蘇生させた者の行方を」
「――――っ。は、はい」
話が急に深淵に飛ぶとは思ってもいなかったのか、アレテーが息を呑む。
――『せ、先生が生き返らせた、その人は、今どこにいるのでしょう……?』
つい先日、彼女が言ったことだ。
「教えてやるよ」
ディルは意を決して、扉を開く。
中に入ると、暗い部屋がランプの明かりによってほのかに照らし出された。
ベッドが設置され、その上で、一人の女が眠っている。
肩までの黒い髪をした、病的に白い肌の女。
その腕には管が繋がっており、管の先を辿ると透明な液体の詰まった袋と、それが吊るされたスタンドが目に入る。
「せ、せん、せい」
まるで口内の水分を失ってしまったかのように、アレテーの声が覚束ない。
「答えは、『ずっと、この部屋にいた』――だ。驚いたか?」
「こ、この、せん、せい、この、かた、は」
アレテーは動揺のあまり、まともに話すことが出来ないようだ。
だが、問わんとしていることはディルにも理解できた。
「妹だよ。俺の妹で、リギルのやつにとっては、幼馴染になるか」
「いもうと。せんせいの、いもうと、さん」
「お前の言う通り、大罪ダンジョンは『意地悪』でな。苦労して深淵に辿り着いても、取り戻せるのは――肉体だけだった」
「――――」
アレテーが膝から崩れ落ちる。
だがそれは、絶望したからではない。
ディルは、アレテーに誓いを立てたあの日に、この娘の強さを目の当たりにしている。
「あ、あぁ……そんな――。せ、先生。ごめんなさいっ……! わたし、何も、わ、わかっていなくて……!」
アレテーは、ディルに申し訳なく思っているのだ。
現実を知らぬまま、愛する者を蘇生したいという自分の気持ちだけをディルに吐き。
自分ならば何度でも深淵に潜るなどと吠えたことを。
ディルが妹を蘇生したあとに味わった苦しみを想像できるからこそ、無知ゆえの己の言動を悔いているのだろう。
感受性が高いというか、お人好しというか。
ディルはいつも、この部屋にいると気分が重かった。
妹への申し訳なさで胸が潰れそうだった。
だから、初めてのことだったのだ。
この部屋で、自分が、自然に笑えたのは。
「ふっ。謝る必要はない。むしろ逆だぞ、
彼女が不思議そうに、顔を上げる。
「せんせい?」
「あの日、お前は俺を救ったんだ。お前の、愚かしいくらいの諦めの悪さが、道を開いてくれた」
「え?」
ディルはわざとらしく、自分のこめかみ付近を指でトントンと叩く。
「
アレテーは、ディルの言葉をゆっくりと噛みしめるように時間を掛けて、それから反応した。
「そ、それって……先生の、
「そうだ。『何度でも深淵に行く』って言ったのはお前だろ? そして、それが答えだったんだ」
彼女も、その言葉の意味を理解できたようだ。
「い、一回目は、体、だけで」
「二回目はなんだろうな。心? 二つ揃えば起きるのか? それとも魂とやらまで必要で、三回行く必要があるのか? どうでもいいことだ。起こせるなら、それでいい」
アレテーは、ディルの妹へ視線を移した。
「取り戻せるの、ですね」
「あぁ。まぁお前の場合は、まだまだ免許が足りんが」
まだ第一階層探索免許までしか取得していないアレテーでは、深淵など夢のまた夢だ。
「はい、わかっています」
しばらくの間、二人の間に沈黙が降りる。
「……あ、あの、先生」
それを破ったのは、アレテーの方だった。
「なんだ」
「ありがとうございます」
「あぁ?」
「わたしに、先生のとても大切な部分を、教えてくださって」
「教えたのには理由がある。お前には、俺が今回の件を片付けるまで、こいつの世話を任せたい」
「お世話……それで、このタイミングだったのですね」
「あぁ。やり方は教える。任せてもいいか?」
アレテーは力強く頷く。
「はい」
「感謝する、アレテー」
「わたし、嬉しいです。先生が、こんな大事なことを、わたしに任せてくださって。わたしを、信じてくださって」
「……ただの打算だ。深淵に行きたいお前は、俺を裏切れない」
深淵までの案内ができる能力の持ち主は、ディルだけなのだから。
ディルの言葉を受けても、アレテーは柔らかく笑うだけ。
「その笑顔はなんだ子うさぎ」
「いいえ。先生の言う通り、わたしは先生のご期待を裏切りません」
「そんな話はしていない」
「ふふふ」
そんなふうに微笑んでいたアレテーだが、妹の寝室を後にする頃には、なんだか重苦しい雰囲気を漂わせていた。
「先生」
「なんだ。当然だが報酬は払うぞ。俺は借りを作るのは好かん」
「いいえ、そうではなく……」
「じゃあなんだ」
彼女は躊躇いがちに、だが明瞭な声で、こう言った。
「今回の件が解決したら、わたしの話も聞いてくださいますか?」
話の流れからするに、彼女が蘇生させたい人間に関することだろう。
初めて逢った時からは想像もできぬほど、アレテーとディルの関わりは深くなってしまっている。
もはや切り離せず、ディル自身にもそのつもりはない。
彼女を深淵に連れて行くと、決めたのだから。
「……話したいなら、勝手に話せよ」
「とても、大事な話なのです」
「考えておく」
「はい。妹さんのことは、お任せください」
ディルは少し考え、部屋の出る直前、彼女に言った。
「頼む、
彼女がそう呼ばれたがっている、愛称だ。
「……はい!」
彼女は、綻ぶような笑顔で答えた。
二人は部屋を出る。
互いの部屋の前で別れ、ディルはようやく静けさを取り戻した自室に入る。
予定外の訪問者たちだったが、おかげでやりやすくなったのも確か。
――あとは、この件を片付けるだけだ。
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