第58話◇許されざる
ディルはアニマの病室を出ると、静かに扉を締めた。
扉のすぐ横の壁に寄りかかるようにして、パオラが立っている。
「彼女の様子は?」
「生きてはいるさ。一つ訊くが――治療にダンジョンアイテムは使わなかったのか?」
第六階層の強欲領域では、『健康な肉体を手に入れられる』アイテムが入手可能。
これは好き勝手生きながらも不自由ない身体で在りたいと願う人の罪を体現したものだと言われているが、治療にも用いられる。
深層の取得物である為、効果が一時的ということもない。
『一定時間健康でいられる』のではなく、『健康な肉体に作り変えられる』わけだ。
もちろん使用後に不健康な生活を送れば、それによって不調が表れることはある。
永続的に、己の身体を健康状態で固定するわけではないのだ。
だが今のアニマには有効。
あんな重傷を負っているのだから、使ってもいい筈だ。
「待っている間に医師に聞いたが、彼女が第八階層免許保持者ということもあり、使用したそうだ。だが
ダンジョンアイテムはとにかく高価。患者が費用を支払えない治療は行えないように、ダンジョンアイテムによる治療も無制限とはいかない。
だがアニマならば、どのような治療であっても受けられる筈だ。
それであの有様ということは、費用以外のところに問題があった、ということ。
「……『生傷の鉤爪』だな」
第五階層の嫉妬領域にて獲得できるアイテムだ。
その鉤爪によってつけられた傷は、癒えるまでに通常の倍以上の時間を要する。
ダンジョンアイテムには効果の上書きを可能とするものもあるが、これは不可能なタイプ。
つまり、一旦そのアイテムで傷をつけられた場合、自然治癒に頼る他ない。
その自然治癒までの時間が引き伸ばされるので、対象は長く苦しむことになる。
他者の美しさに嫉妬し、それを傷つけたいとさえ願う人の罪を体現した、と言われるアイテムだ。
もちろん怪我の度合いによっては、癒えるまで耐えられず命を落とすこともあるだろう。
効果を無効化する方法はたった一つ。
対象を傷つけたアイテムを破壊するしかない。
「敵は、わざと殺さなかった」
リギルに冤罪を被せ、パオラに踏み絵まがいのリギル逮捕を強いた。
ディルが丸岩のトラップで死ぬとは思っていなかっただろうから、あれも生徒を巻き込む方が主な目的だろう。
そしてアニマを襲撃し、命は奪わなかった。
レオナに対しては、彼女の店でも破壊しようと動くだろうか。
リギルパーティーを苦しめる方向で、敵は動いている。
「……馬鹿なやつだ」
「ディル、待て。アニマの件は私も腸が煮えくり返るが、捜査は探索騎士に任せろ」
「パオラ、俺はお前の捜査に協力する立場だぞ? 今からするのも、その手伝いだよ」
「ディル、頼む、早まるな」
パオラは一体、ディルが何をすると思っているのだろう。
慌てる彼女は珍しい。
「後で合流しようぜ。その間に、うちとレオナの店に警護つける件、頼むわ。あとこの病室と教習所もな。それと伝言もよろしく」
ディルは普段の調子で話しているが、それこそが彼が怒りを隠していることを物語っていた。
「……どうあっても、止まらないつもりだな」
パオラの目に諦観が宿る。
「俺だって、できれば家で寝ていたいんだ。今残業したって、給料払ってくれるやつもいないしよ。ただまぁ……何をしてもいいと勘違いしているやつには、そうじゃないってことを教えてやらないとな」
「……一つだけ言わせてくれ。私に貴様を逮捕させるなよ」
「手錠を掛けるなら、寝室で二人きりの時にしてくれ」
「ふっ」
パオラは微かに笑った。
「生きて帰ってこい、ディル。そのあとで、今のセクハラ分の死刑を執行する」
「うちのパーティーの女は、物騒なやつばかりだな」
アニマに続きパオラにも殺しの予告をされてしまった、とディルは笑う。
◇
ディルの次の行動は、単純なものだ。
つい先日捕らえた暗殺者たちから、やつらの所属する組織に関しては聞き出していた。
あとは、そこへ乗り込むだけである。
表通りを外れた薄暗い路地の先に、目的地の入り口がある。
後ろ暗いことをしている連中というのは、どうして暗い場所に根城を構えるのか。
そんなどうでもいいことを考えながら、ディルは進む。
出入り口の扉を守るように、二人の屈強な男が立っていた。
一人はミノタウロスで、一人はオーガだ。
「なぁ、少し訊きたいことがあるんだが」
二人は顔を見合わせてから、同時に吹き出す。
それから、嘲笑を隠しもせずディルを見下ろした。
「道に迷ったかよ、小猿」
それが、ミノタウロスの最後の言葉だった。
直後、彼は横っ腹に受けたディルの回し蹴りの衝撃に吹き飛び、別の建物の壁面に叩きつけられたからだ。
衝撃に砕けた壁材と共に、ミノタウロスの男がゴミまみれの地面に落下。
そのままピクリとも動かない。
人の戦力を見た目で推し量るというのは、ダンジョンアイテムの有無を抜きにしても愚かな行為。
だがどういうわけか、そういった輩は一向に消える気配がない。
ディルの探索装備には、動体視力・瞬発力・腕力脚力の上昇効果が付与されている。
特殊な効果を持つアイテムを使用するまでもなく、体格の不利を覆す程度は難なくこなせるのだ。
「なぁ、少し訊きたいことがあるんだが」
ディルが再度尋ねると、オーガはこくこくと連続して首を縦に振る。
最初の一撃は不意打ちが決まったが、相手側もダンジョンアイテムを装備していてもおかしくはない。
オーガの方は臨戦態勢をとるかもと警戒していたディルだが、杞憂に終わった。
戦意が消えているのが、表情や身体の震えから見て取れた。
「これくらいの背丈の女をな、襲ったやつがいる筈なんだよ」
アニマの背丈を示すように手を動かしながら、ディルは問う。
オーガの男は分かりやすく狼狽した。
「お、おれじゃない……!」
「でも、誰がやったかは知ってるんだな。そいつ、中にいる?」
オーガは再び、勢いよく頷く。
「そうか、助かったよ。あと一つ、頼みを聞いてくれ」
「な、なにをすれば……」
「ここに、探索騎士を連れてこい」
「えっ」
「犯罪組織が
パオラには他に頼み事をしているので、これからやることの後始末を任せる探索騎士が別途必要だ。
「――――」
ディルが何をしようとしているかを、オーガの男はようやく理解したようだ。
「逃げてもいいぞ。お前の顔はもう覚えたからな」
「ぜ、絶対に、連れてくる」
仲間が一人やられただけ、ではない。
自分たちに対したった一人で喧嘩を売り、しかも勝つつもりでいる男の異常性を、正しく理解しているのだろう。
関わるべきではないと、オーガの男の理性が判断しているのだ。
「まだ行かないのか?」
ディルが笑顔で尋ねると、オーガの男はすぐさま駆け出した。
路地を抜けるまでに何度も転んだようだが、気にせず走っていく。
門番の消えた出入り口を、ディルは悠然と通る。
扉を開き、中へ。
内部も外観同様、とても清潔とはいえなかった。それに、男の汗のような臭いもする。
アレテーが来る前のディルの部屋も大概だったが、ここはそれ以上だ。
ディルという闖入者の存在はすぐに気づかれ、構成員らしき者たちが次々と通路へ出てきた。
この中にいるのだろう。
アニマを傷つけた者が。
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