第53話◇月夜の暗殺者

 



 暗い宿の一室だ。

 安宿らしく、掃除が行き届いているとは言えない。


 簡素なベッドには、一人の少女が眠っている。


 ベッド近くに位置する窓が、外から開かれた。

 そして黒い影が音もなく侵入し、懐から何かを取り出した。


 窓より入り込む月光が、妖しく反射するところを見ると、刃物のようだ。

 寝台に横たわる猫耳の少女・フィールに向かって、凶刃が振り下ろされる――ことはなかった。


 『被っている間、人の注意を引かなくなるマント』を装備していたディルが防いだからだ。

 敵がナイフを握る右手を、同じく右手で掴み、左手を素早く敵の口許に当てる。


 口許に当てたのはハンカチで、そこにはダンジョン由来の麻酔薬が染み込ませてあった。

 一呼吸分でも吸い込めば、たちまち意識を失うというもの。


 敵にとって、ディルは予想外の第三者。

 その上、彼は歴戦の探索者だ。

 ろくな反応をすることもなく、敵は意識を落とした。


 力が抜けた敵の体を、頭だけ打たないようしつつも適当に床に下ろし、ディルはベッドに声を駆ける。


「もういいぞ」


 ディルの声を聞いた瞬間、フィールは飛び起きた。

 その顔は、薄暗い部屋でもわかるくらい、真っ青だった。


「せ、せんせい……そいつ……」


「暗殺者だな」


 ヒュッ、と、フィールが息を呑む。その体がガクガクと震え出した。

 この作戦について相談した時は即座に了承した彼女だが、本当に命を狙われているのだと実感して恐ろしくなったのだろう。


「あ、あたっ、あたしに、声かけてきたやつの、ボスが……?」


 その日の朝、更衣室に乗り込んでフィールに相談したのは、この件だ。

 敵がリギルに罪を被せたのなら、フィールたち三バカにも手を伸ばすと思っていた。


 アレテーとディルが助けなければ死んでいた身、つまり元々敵にとっても生かすつもりがない存在なので、邪魔といえば邪魔。

 ディルが敵ならば、リギルが捕まってから暗殺する。


 リギル逮捕によって激震する探索者業界、そのあとで違法探索者に堕ちた元生徒が暗殺されたとなれば自然、リギルが口封じしたという噂が広まる。

 リギル有罪への印象を強めるために利用しようというわけだ。


 だからディルは考えた。


 三バカが今寝泊まりしているのはムフも働く『白羊亭』だ。

 探索者もよく利用する酒場兼宿であるから、暗殺者を差し向けるのに適していない。


 三バカはともかく、実力者であれば暗殺者の動きに勘付き、思わぬ邪魔が入る可能性もある。

 更に言うと亭主もムフも生来のお人好しな性格から多くの人間を助けており、そのことに恩義を感じている者は多い。


 リギルやディルもそうであるし、最近ではムフに拾われたパルセーノスも同様だろう。

 そんな親子の営む宿で人死になど起きたら、どうなるか。


 義憤に駆られた者達が黒幕探しに動き出しかねない。

 リギルを嵌めるような輩だ、そのあたりに気が回らないわけもない。


 だから、フィールに宿を移ってもらった。

 その日も事情聴取に付き添い、帰り道の途中でフィールに取り乱す演技をさせた。


 最近はしおらしくなったが、元々が勝ち気な性格。

 リギル逮捕によって自分も罪も正式に裁かれるのではないかと怯え、ディルに悪態をつき、逃げるように宿をあとにする、という行動も不自然ではない。


 取り巻き二人は、そんなフィールについていった。

 敵からすれば絶好の機会。


 リギル逮捕当日というのは敵の狙いを考えると早すぎるが、この機を逃せば騎士団に保護されることも有り得る。

 というわけで急遽暗殺者が差し向けられ、それを待っていたディルが捕縛したのだ。


「せんせい……」


 フィールの目が潤んでいる。声も震えていた。

 ディルはため息を溢してから、その頭を乱暴に撫でる。


「よく頑張ったな、助かった」


「えっ……」


 フィールが驚いたようにディルを見上げる。


「『白羊亭』にいりゃ安全だったのに、怖い目に遭わせちまったな」


 リギルを助けるためとはいえ、元生徒を囮のように使ったことに、ディルは今更ながら罪悪感を覚える。

 だがフィールは首を横に振った。


「元はと言えば、あ、あたしたちがバカだった所為だし……」


「それは違う」


「でも……」


「お前らはバカだが、その罪は違法探索だけだ。それ以外の罪まで背負う必要はない」


「そんな……だってあれがきっかけで、所長が……」


「黒幕の計画が早まっただけで、元々リギルを陥れるつもりだったんだよ。そうじゃなきゃこの手際は有り得ん」


 ディルはフィールと会話しながら、暗殺者の装備を確認して危険なものは没収していく。

 暗殺者は女だったが、下着や口の中まで無表情でチェックしていると、だんだんとフィールが微妙な顔になった。


「なんだ。女だからってこういうチェックを甘くして痛い目を見たやつの話を聞いたことがないのか」


「あ、あるけど……本とかで……髪を留めるピンを隠し持って手錠外すとか……」


「わかってるじゃないか。あとは暗殺者といったら自害するための毒とかな」


「う、うん……だから、先生は間違ってないと思う……でも、絵面が……」


 気絶した女の体を弄る変態に見えないこともない。


「そういう気遣いがミスを生むんだ。要はオンオフの切り替えなんだよ。普段は紳士のように振る舞っていても、相手が敵なら容赦はしない。それくらい出来んとな」


「しん……し……?」


 命の恩人だが、メイド服を強要したりもする男が紳士と口にしたので、フィールは『紳士ってどういう意味だったっけ?』と首を傾げた。


 その表情に、先程までの恐怖はない。

 自分の命を狙う恐ろしい暗殺者は既に、あられもない姿で床に転がっているのだ。

 怖がるのも難しい。


 ディルはそれを確認してから、話を終えた。


「とにかく、今回はよくやった。取り巻き二人にもそう言っとけ」


 ちなみにその二人は隣の部屋を借りており、そこには騎士団長パオラが詰めている。


 パオラとディルの担当部屋が逆ではないかとパオラは言ったが、ディルは『夜家を抜け出して目指す場所が男の部屋なのは嫌だ』という、どうしようもない理由でフィールの部屋に潜むことにした。


 断じて、話を持ちかけたディルが側にいないとフィールが不安がるのではないかとか、それが筋なのではないかとか、そんなことを考えていたわけではない。


「ううん……いいの……先生なら、助けてくれるって信じてたし」


 ダンジョンで助けた件が、フィールの中ではよほど印象深いらしい。


 ディルは何も答えず、暗殺者の女を縛り上げた。


 そして同じく暗殺者を捕らえたパオラと合流し、彼女の腹心の部下に三バカを預け、二人で場所を移動。


 知り合いの伝手を頼って借りた、とある建物の地下室だ。

 捕らえた暗殺者を椅子に縛り付け、水を掛けて起こす。


 清く正しい探索騎士様にあるまじき違法捜査が始まろうとしていたが、パオラに止める気配はない。

 ディルは、胡散臭い笑顔を貼り付けて、囚われの暗殺者二人に声を掛けた。


「ちょっと訊きたいことがあるんだ」



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