第52話◇授業と晩御飯

 



 フィールとの話を済ませたあと、ディルは授業に間に合うよう教室に向かった。


 ざわざわとした教室の雰囲気が、ディルが入った途端に静かになる。

 その視線に宿るのは、説明を求める感情。


 子うさぎことアレテーは不安そうな、こちらを案じるような視線を向けていた。


 逆にピンクサキュバスのパルセーノスは、普段と変わらぬ熱い視線をディルに送っている。


 メガネのミノタウロス・タミルの表情は読みづらいが、向こうから何か尋ねてくる様子はない。


 ディルはいつも通り気だるげな様子で教卓に立つ。


「んじゃあ今日は、第二階層に出てくるモンスターと、その対処法について説明する。第一階層とは違う種類の厄介さだから、死にたくないやつはちゃんと聞くように。あ、しっかりドロップ品についても教えてやるから安心しろ」


 パルセーノス以外の生徒から向けられる視線は「聞きたいのはそれじゃない」と物語っているが、ディルがそれに応じることはない。


 事情が知りたければ己の力で情報収集すればよい。今は授業の時間なのだ。

 なんて、真面目な教官なら叱責するかもしれない。


 だがディルは直接授業の妨げにならない限りは、放置する放心。

 いくら視線で訴えかけても無駄。


 その内、多くの生徒たちが諦め、釈然としない表情になりながらも、授業に意識を向けていく。


 授業終了後、ディルは足早に教室を去る。


「先生!」


 追いかけてきたのは、アレテーだ。


「なんだよ」


 ディルは立ち止まらずに応える。

 アレテーはとてとてと小走りでディルの横に並びながら、ちらちらとこちらの表情を確認していた。


「あ、あの……先生、怒っていらっしゃいますか?」


「……そう見えるか」


 アレテーが申し訳なさそうな顔になる。


「いえ、すみません、なんとなく、そう感じただけで……」


 アニマも見抜けなかった、ディルの胸中の怒りを、この少女は感じ取ったというのか。

 アレテーは鈍臭いようでいて、時にハッとさせられるようなことを言う。


 今のディルにとっては、再び深淵を目指すきっかけをくれた恩人でもある。

 ディルは縮こまる子うさぎに、ぶっきらぼうに声を掛けた。


「だとしても、お前に怒ってるわけじゃない。話はそれだけか?」


 彼女は頷きかけたが、途中でやめてディルを見上げた。


「はい、いえ、その……晩御飯は」


「は?」


「いえ、先生のことですから、色々とやられることがあると思うのですが……。その、今日の晩御飯は家で摂られますか?」


 詳しい事情はわからないが、リギル所長が大変ならディル先生は動く。

 そう考えての発言か。


 手伝うとか何があったなど言い出すこともなく、夕飯の確認をされるとは。


「ふっ。なんだそりゃ」


 ディルは思わず吹き出した。


「あう……」


 アレテーは顔を赤くする。


「食うから、いつも通り用意してくれ」


「は、はいっ!」


 ディルの返事を受け、健気に頷くアレテー。

 職員室前で、彼女と別れる。


 その後もディルは普段通りに仕事に取り込み、退勤してすぐに動き出す。


 探索者には情報収集も必須能力。


 最新のダンジョンの情報や、危険な冒険者の活動を事前に知っているか否かで、生存率が大きく左右される。また、トラブル回避や――時に解決にも役立つ。


 ディルは懇意にしている情報屋の許に顔を出し、街の違法探索者と、その斡旋業者に関する情報を集めるよう依頼。

 敵もそう容易くはないだろうが、大事なのはディルが捜査する姿を見せること。


 厄介に思って刺客を放ったりしてくれれば、そこから敵に近づくことも出来るだろう。

 どうせたどり着けやしないと放置されるなら、それはそれで自由にやれていい。


 ディルは家に帰る前に、集合住宅一階の雑貨屋を覗いてみる。


 仲間のレオナが経営している店だ。

 食料品は残っていたが、ダンジョン由来のアイテムは押収されたようだ。


 残された食料品にしても、一度検められたのか、籠や棚の位置がズレている。


「もう、なんでパオラちゃんそんな酷いことするのかなっ!?」


 レオナの拗ねたような涙声が聞こえる。


「知らないよ。こっちだって怒ってるんだ。さっき屯所に行ったけど、顔を見せもしないし。あの裏切り者、仲間に何の説明もしないなんて不義理が過ぎるよ」


 レオナと喋っているのはアニマだった。

 ディルは二人に見つからないように、そっと店から出る。


 ――悪いが、お前らの怒りが本物であることが重要なんだ。


 ここでアニマやレオナがやけに物分りがよかったりしたら、訝しむ者も出てくるだろう。

 パオラは事前に捜査情報を仲間に流し、理解を得ようと動いたのではないか、と。


 彼女が団長の座を追われたりすれば、後任が誰になるかわかったものではない。

 そしてその人物は、パオラと違ってリギルの有罪を信じるかもしれない。


 裏切り者扱いされることになっても、リギルの立場を思えばこうするのが最善なのだ。


 ……実際はディルに相談してきたわけだが、ディルのどうしようもなさは業界に知れ渡っているので、親友の逮捕を前に飄々としていても薄情だと思われるだけ。


 自堕落な行動が目立ち、反面教師なんて不名誉なあだ名をつけられていることが、こんなところで役に立つとは。


 その後、ディルはアレテーと共に夕食を摂り、これまた普段通りに就寝――したように見せかける。


 部屋の灯りを落とした後、怠惰領域由来の『被っている間、人の注意を引かなくなるマント』を取り出し、被る。


 これは生物が生き残るために行う擬態・逃走などの『敵に捕まらないための努力』を省略してくれるアイテムだ。


 被るだけで認識されなくなるこのアイテムは、確かに生き残るにも役に立つ。

 ディルの場合は、人知れず目的地に向かうために使うのだが。


 そしてディルは堂々と玄関から出ていき。

 誰にも知られることなく、ある少女の宿に向かう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る