第47話◇なんかいる




 猫耳娘のフィールを宿まで送り届けたディルは、自分の住む集合自宅の一室へと帰宅。


 自室に続く扉を開き、そして目を疑った。


「あ、モネさん鍋の中身を掻き混ぜてもらえますか? 放っておくと焦げてしまうので」


「えぇ、任せてちょうだい!」


「そ~っと」


「ぱ、パルセーノスさん!? 今鍋に何を入れようと!?」


「隠し味は――『愛』とそう決まっていますわ!」


「いやそれ色欲領域の精力剤でしょ。シチューに混ぜて何を狙ってたわけ?」


「あらモネ先生? 殿方の家、夕食、精力剤とここまで揃って目的がわからないということもないでしょうに、純情ぶっておられる? それとも、わたくしの口からそれを言わせたいのかしら? えっちですわね」


「はぁ……!?」


「モネさん! 鍋! 鍋を混ぜてください!」


 子うさぎこと、アレテーがいるのは、まぁいつものことだ。

 第一階層探索免許を取得してそこそこ稼げるようになったにもかかわらず、彼女は今でもディルの世話を焼いている。


 美しきハーフエルフ、モネがいるのも、ギリギリ許容しよう。

 生徒であり、同僚であり、最近の関わりは最早友人と言ってもいいだろう。


 ディル宅の住所も、彼女は知っている。

 知人として訪ねてきた、という理屈がギリギリ想像できるわけだ。


 問題は、ピンク髪のサキュバス――パルセーノスだ。


 少し前にダンジョンで悪漢に襲われているところを助けた。

 それは事実だ。


 そのことに恩義を感じた彼女は、ディルの妹分であるムフを通じてディルと再会。

 そしてどういうわけか――ディルの生徒になった。


 そこまでは放っておくにしても、何故家にいるのか。

 さすがに無視できない状況に、ディルは声を漏らす。


「おい、どうなってる」


 ディルの声に、三人が振り返る。


 一番動きが早かったのはパルセーノスだ。

 瞬間移動と見紛うほどの速度でシュタタタッと駆け寄ってくると、エプロン姿で手と手を組み合わせ、唇の少し下で傾ける。


 そして上目遣いにディルを見た。


「おかえりなさいませディル様、ご飯にいたしますか? それともお風呂にいたしましょうか? あるいは~。わ、た、く――」


「お前を追い出す、か?」


 ディルは猫にでもするように首根っこを掴み、開けたままになっていた扉から廊下へ放る。


「きゃうんっ……」


 尻もちをつきながらも、パルセーノスは「ふふふ……」と何故か嬉しそうな顔をしている。

 ディルは彼女を無視してモネを睨む。


「モネ、お前まで何やってる」


 これまたエプロン姿のモネが、気まずそうに目を逸らす。


「あ、あたしはただ、さっき貴方が逃げたから、ちゃんと説明してもらおうと思って……」


 モネからすれば、女っ気のない友人がいきなり恋人気取りのサキュバスを連れていたわけだ。

 しかも困っていると口では言っているが、詳しいことを話すことなくその場から去った。

 気になるのも仕方ない……のか。


 ある日いきなりモネの隣に怪しい男がいて親しげに振る舞っていたら、ディルも気にはなるかもしれない。

 どちらかというと、それは何か騙されていないか心配になる教官心だが。


 理解できなくもない感情の流れだったので、それ以上責められない。


「ちっ……そんで子うさぎ、お前は何を仲良く料理始めてんだ。招かれざる客を追い返すくらいはしろよ」


 お人好しのアレテーには荷が重いとわかってはいるが、家の主として文句を言う権利はあるだろう。


「……す、すみません」


 謝りつつも鍋を掻き混ぜる手は止まらないアレテー。

 ディルの方を向いたモネに代わり、シチューを混ぜていたのだ。

 ディルも焦げた飯は御免なので、そこは指摘しない。


「つーかな、モネは諦めるとしてだ。なんでピンクがここにいる」


 二人を尾行して、というのはおかしい。

 ディルの住居を突き止めたいとパルセーノスが思っていたのだとしても、この二人をつけるという考えには至らない。

 二人が不用意にもディルの部屋に行くと発言したなら別だが、そんなヘマはしないだろう。


 ムフが話すことも有り得ない。

 彼女にとってパルセーノスが友人だとすれば、ディルは家族も同然。勝手に住所を教えるわけがない。


 つまり、その三人とは別に、独力でここを突き止めた可能性が高いのだが……。


「それはわたくしから説明いたしましょう!」


 パルセーノスが背後から飛びついてくるのを感じ取っったディルは、素早く横にずれる。

 ズサァッとパルセーノスが床を転がった。


「に、日常でもダンジョンにいるかのような緊張感と反応速度! さすがですわ!」


 こすったのか、鼻を赤くしながらパルセーノスが感嘆の声を漏らす。


「で、説明がなんだって?」


「はい! 勝手ながらわたくし、マーキングをさせていただきまして……」


「あ? ストーキングじゃなくてか?」


「それならば、ディル様が気づかれたことでしょう」


 確かにそうだ。


「それは、サキュバスの能力か?」


 ダンジョンに出現する『モンスター』と、ダンジョンの外にいる『生物』はまったくの別物だ。

 ダンジョンには人間の姿をしたモンスターもいるが、これは探索者を騙す、殺すといった決められた行動しかとらない。


 同様に、ありとあらゆる動植物を模したモンスターは、ダンジョンの外で存在する同名の生物とは無関係。

 というより、この世界の動植物を参考に、ダンジョンで生成されているのがモンスターである、というべきだろう。


 この世界のイノシシを模倣してダンジョン流の改造を施したのが、第一階層に出てくる一角イノシシである、というように。


 ダンジョンモンスターのサキュバスと、パルセーノスのような本物のサキュバスは違うのだ。

 見た目以外は、特性や能力も一致しないことがある。


 ダンジョンと現実両方に登場する種族は、それによって厄介事に巻き込まれることもあるのだが――それは今は関係ない。


「正確には、サキュバスでも一部の者にのみ使える能力、でしょうか。狙いの……気に入った……いいえ! そう、運命! 運命の殿方を見つけた際に、再会できるように目印をつけておくことが出来るのです。わたくしにしか見えない、運命の赤い糸ですわね」


 パルセーノスが胸を張る。


「なにそれ、聞いたことないんだけど……」


 モネは懐疑的だ。


「……まーきんぐ。わんちゃんが縄張りを示すためにするという、あれでしょうか」


 アレテーがなんとか理解しようと首を捻っている。


「ちょっとそこ! 人の運命を犬の尿にたとえるなんて酷いのではなくて!」


「わわっ、ごめんなさい! そういうつもりでは……。でも、その、う、運命というのは……」


 アレテーは困ったようにディルをちらちらと見ている。

 ディルはパルセーノスに向き直った。


「どこが運命だ。作為ありまくりだろうが」


「運命は自らの手で掴み取るもの、ともいいますわ」


「あるものを掴むのと、ありもしないものを作り出すのとは違うっつの」


「運命さえも作り出してしまう恋……というわけですわね!」


 この娘に何を言っても無駄なのだった。

 ディルは溜息を溢す。


「その目印ってのはどうすりゃ消える」


 パルセーノスが首を傾げた。


「消えませんが?」


「…………。そもそもどうやってつけた」


「再会したあの日、熱くディル様の手を握った時ですわ!」


 そういえばそんなこともあった。

 あの時、去っていくディルをこの少女が追いかけてこなかったのは、その必要がなかったからか。


「待って? 手を握った……?」


 モネが口を挟んだ。


「あのなぁ、わかってると思うがバカップルみたいに握り合ったわけじゃねぇぞ? 金持ちのオッサンがやりがちな、両手で包むような握手あんだろ? あれだよ」


「手を握った……あたしもしたことないのに……この前はムフさんの頭を楽しそうに撫でてたし……」


 ディルの説明が聞こえていないのか、モネはぶつぶつと虚ろな目で何かを呟いている。


 その時。

 ぐぅぅ、と腹の鳴る音がした。

 誰も何も言わなかったが、一人赤面している子うさぎがいたので、犯人が判明した。


 パルセーノスが自分につけた目印について話したいところではあるが、いつまでもリビングで立ち話というのもなんだ。


「子うさぎ、さっきから混ぜ続けるシチューはどんな感じだ?」


「は、はいっ! もう食べられましゅ!」


 恥ずかしさからか噛んでしまうアレテー。


「んじゃあ飯にするか。お前らは……帰らねぇなら、せめて静かにしてろよ」


 アレテーの部屋から持ってきたのだろう、椅子が二脚増えて人数分ある。

 ディルが言うまでもなく、夕飯を共にするつもりだったのだろう。


「はいっ! ではわたくしはディル様のお隣に失礼して、と」


「……大丈夫、あたしだってほら、このピアスとかもらってるし……差をつけられてるとかそういうことはないはずだし……ないはずよね……?」


「おいモネ、現実に戻ってこい」


 その日は普段より騒がしい夕食になった。


 ディルの新しい日常は、探索騎士屯所での件などでわずかに引っかかりを覚える点はありつつも、比較的平和に流れている。

 このまま、二度目の第八階層攻略、その準備を進められれば問題はないのだが……。


 どうにも、探索者という職業には問題が起こりがちだ。


 厄介事に巻き込まれることになったのは――その日の夜のことだった。



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