第44話◇第二階層の授業
以前助けたことのあるサキュバスは、ディルが可愛がっている羊の亜人ムフの友人だった。
そしてディルが教習所の教官だと気づいたサキュバスは、ディルのクラスを受講するべく突撃してきた。
ディルは面倒くさくなり、放置して授業を進めることにした。
「それじゃあメガネくん、第二階層の基本情報を頼む」
まだサキュバスのパルセーノスのことが気になっているようだったが、メガネくんことミノタウロスのタミルは素直に応えた。
「第二階層・怠惰領域。
彼の説明を聞いてディルは思い出す。
最初の授業でも第二層の説明をタミルに求め、彼は今答えたのと同じフレーズを口にしたのではなかったか。
教本の知識をしっかりと記憶している、ということなのだろう。
「そうだ。お前らが免許を取得した第一階層は草原・森林を模した空間だが、ダンジョンは階層ごとに
「通路をデカイ丸石が転がってくるみたいなやつっすか?」
生徒の一人が言う。
「実際そんなトラップもあるぞ。近道かと思ったら床が抜けて無数の槍で串刺しとか、財宝の山がある部屋に入ると扉が仕舞って毒煙が噴射されたりとかな。これらに共通するのは、怠惰な者から死んでいくということだ」
「怠惰……すべきことを怠り、なまける者は痛い目を見る、と?」
タミルがメガネを中指でクイッと押し上げながら尋ねる。
「そうだ。一歩先が安全であると何故分かる? これ見よがしに宝が積まれている部屋を何故怪しまない? ダンジョンは危険だと分かっていて『警戒』を
生徒たちもさすがに第一階層の免許を取得しているだけあって、無知な探索者志望とはもう違う。
ディルの話を聞き流す者はおらず、真剣に考え込む者さえいた。
アレテーはごくり……と生唾を飲み込んでいる。
「この『警戒』ってのが重要でな。通路や部屋の安全確認だけすりゃあいいってもんじゃない。たとえば空気、これも安全だと思うな」
ディルは黒板に、ぐにゃぐにゃの何かを描いた。
本人は花のつもりだったが、生徒は「……なにあれ、モンスター?」「俺が知るかよ」「誰か訊いてよ……」と囁き合っている。
「あぁ、さすがディル様! 実に芸術的ですわね! 怠惰領域で人を食らうモンスター・アラクネが張り巡らせる蜘蛛の巣をそのように描かれるとは!」
パルセーノスが叫ぶ。
「これは花だ」
「そうだと思いましたわ! 美しい花ですわ! まったく誰ですの蜘蛛の巣だなどと言ったのは! 失礼でしょう!」
誰一人パルセーノスと目を合わせようとしない。早くも『関わるとやべーやつ』認定されたらしい。
ディルはチョークを粉受けに放ると、ぱんぱんと粉を払い落とし、授業を続けた。
「誰がどう見ても白い花であるこの絵だが、よく覚えておけ。第二階層によく咲いてるぞ、石の床の隙間にな。花粉を吸うと眠くなる、量によっては意識を失う。蜜は甘くて鎮静効果があるが、無理して狙うもんでもないかもな」
「お花の咲いている道も避けた方がよい、ということでしょうか?」
アレテーが控えめに手を上げて質問した。
「冒険者用の装備を扱ってる店なら、専用のマスクとかも売ってる。それ買って探索を進めるって手もあるが……。基本は避けた方がいいな」
「理由を伺っても?」
第一階層の授業の時もそうだったが、積極的に質問してくるのはアレテーとタミルだった。
今度はタミルの番のようだ。
「トラップの話ばかりしてるが、第二階層にもモンスターは出てくるんだよ。そこのサキュバスが――」
「パルセーノスですわ!」
「……が少し言ってたが、アラクネってモンスターが出てくる。上半身が人間の美女、下半身が蜘蛛になってるモンスターだ」
タミルが頷く。
「なるほど、理解しました。戦闘が起こる可能性が高いのなら、マスクは戦いの最中に破壊されたり外れたりしかねない。花の咲いている通路を選んでしまった場合、花粉を防ぐ術がなくなってしまうということですね?」
「まぁそうだ。ちなみにアラクネの糸の罠は一般的に想像される『蜘蛛の巣』のパターンだけじゃない。一本一本は見えないくらい細くてな、それが通路に張り巡らされてる。確認しないで進むと一歩ごとに体にまとわり付くってわけだ。気づいた時には体中糸だらけで、身動きがとれなくなってる」
アレテーがぶるぶると震える。
「あとはアラクネに生きたまま食われるて終わりだな」
ディルが説明を終えると、そのシーンを想像したのか、何人かの生徒が身を震わせた。
「搦め手の多い階層、ということですね」
「まぁな。それだけに、浅層の中では獲得品にレアなもんが多い。『瞬間移動できる石』『見た目以上の収納能力を持つ袋』『睡眠効率を倍にする目隠し』とかな。ものによっちゃあチマチマ肉を狩るのと比べ物にならない額で売れるだろうよ。だがな、そういうアイテムを自分で使う探索者もいるってことは覚えとけ」
第一階層の肉でさえ、庶民感覚では大金で取引される。
だが『一つの品』として考えた時、『一頭分の肉』とは比較にならない値がつくアイテムは多い。
「瞬間移動はもしもの時の脱出用、収納は探索の獲得品をより多く持ち運ぶため、目隠しで自身の行動時間を増やす、といった利点の方が金に勝る場合がある、ということですね……?」
タミルの発言に、ディルは彼の成長を感じた。
初めての授業では、この真面目な青年も獲得品を売却額でしか見れていなかったからだ。
「まぁ、そうだな。収納道具に容量の違いがあるように、瞬間移動にも距離や回数の違いがあったりする。そこは手に入れて鑑定するまで分からん」
この都市には、アイテムの鑑定を専門とする者もいる。
ちなみに、少し前までディルは瞬間移動の石を持っていたが、使用限界に達し壊れてしまった。
アレテーと第四階層に落ちた際に選択肢に上がらなかったのは、それが理由だ。
補充する前に、『落とし穴』に落ちてしまったのである。
ディルはその後も、『探索者に化け、親切ぶって偽の情報を与えるモンスター』や『移動中に構造変化が行われることで来た道を戻れなくなるエリア』など、第二階層探索に関して押さえておくべき基本を生徒に教える。
個別の対策や詳細に関しては、次回からだ。
まずは全体像をざっくりでも理解させる。
『こういう階層だから、こういう心構えでいなければならない』というイメージを持たせるのだ。
「微妙に時間余ったな。なんか質問あるやついるか」
「はいっ!」
パルセーノスのが手を上げた。
ディルは無視した。
「他に質問のあるやつは?」
手を上げようとする生徒はいるのだが、パルセーノスがギロリと睨んで牽制するとスッと視線を逸らし手を下げてしまう。
「はいっ! 質問がありますわ! はいはいっ! ディル様! あ、あれっ? もしや……見えていらっしゃらない?」
絶望したような顔になるパルセーノス。
「ちっ……じゃあそこのピンク」
「愛称……!! 心の距離が近づいた証ですわね!」
――こいつ無敵か?
髪色で呼んだだけだというのに、こうも前向きに捉えられるとは思わなかったディル。
アレテーといいモネといい、ディルのいい加減さに呆れずコミュニケーションを試みる者が最近多い気がする。
「ずばり、好きな女性のタイプを伺っても?」
「お前以外のやつ」
「素敵……!」
クラス中から『どこが!?』という心の声が聞こえてきた気がするが、ディルもまったくの同意見だった。
最早何を言っても好意的にとられてしまうのではないだろうか。
ディルを救うように、授業終了のチャイムが鳴る。
「次回は安定空間の情報、基本的な探索方針とそれに必要なもんの説明をする。第一階層で満足しなかったってことは、大物狙いの強欲なやつか、金以外の狙いがあるんだろう。どっちでもいいが、精々死なないように授業は聞いとけ。以上、終了、解散」
ディルは足早に教室をあとにする。
「ディル様! どうかお待ちになって?」
ぱたぱたと駆け寄ってくるパルセーノス。
彼女はそのまま、ディルにすすすと身を寄せ、ディルの腕に絡みつく。
柔らかい感触と、脳をとろかすような甘い匂い。
「……おい」
「――ディル?」
ディルを呼ぶ声。
「…………」
廊下の向こうからやってきたのは、金髪ツインテールのハーフエルフ、モネだった。
ディルの生徒であり、教官資格を持った職場の後輩でもある。
「随分と仲が良さそうね? その子が誰か、訊いてもいいかしら?」
ニコニコと笑っているが、その身から冷気のような漏れているような……。
ふと教室を振り返ると、扉の陰からこちらを見て、何故か悔しそうに頬を膨らませているアレテーの姿が。
ディルは溜息を溢し、天井を仰いだ。
――この職場、嫌になってきたな……。
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