第43話◇純情サキュバス?

 



 羊の亜人であるムフの頼みで、彼女の友人の人探しを手伝うことにしたディル。


 依頼人の部屋を尋ねると、ディルがかつて助けたサキュバスで、その人物が探していたのはディルだった。

 これで一件落着とは、どうやらいかないようで……。


「あぁっ! まさかわたくしの探し求めていた王子様がムフさんのお知り合いだとは! これはまさしく――運命でしょう!!」


「偶然だ」


「いいえ、必然と言うべきかもしれませんね! わたくしを悪漢共の汚らわしき魔の手から救い出してくださった王子様と、雨に打たれ震えていたわたくしに手を差し伸べてくださったムフさん、心優しき者は同じ心を持つ者同士で惹かれ合うのでしょう! 二つの希望に触れられたわたくしは、とんでもない幸運の持ち主ですわね!」


「お前、確か人を探して感謝を伝えたいんだよな? 充分伝わってきたよ。どういたしまして。依頼達成だな。じゃあ俺、そろそろ帰るわ」


「お待ちになって?」


 先程から、ディルの右手は彼女の両手に包まれている。

 その手に力が込められ、ディルが去るのを阻止した。


「……まだなんかあんのか?」


「こうして再会できたのも何かの縁、前回はろくにお礼もできませんでしたから、何かさせてくださいまし」


「いや、要らん」


「生憎と、今のわたくしに用意できるものなどこの身くらいしかございませんが……」


 ほぅ、と熱い吐息を漏らすサキュバス。

 瞳がとろんと潤んでいる。


「話を聞け」


「王子様も年頃の殿方ですから、わたくしのような美しい娘を貪り食らうとなれば、少しは無聊の慰めとなりましょう」


「なぁお前、俺の言葉が聞こえてないとかじゃないよな?」


「命を救っていただいた対価には到底見合いませんが、一度に全てお返しできない分の利子とでも思っていただければ幸いですわ」


「俺はお前が怖くなってきたよ」


 モネやアレテーも妙なところで押しが強いが、それでもまだ対話は成立する。

 しかし目の前の桃色サキュバスとは、そもそも会話が噛み合っていない。


「少しわたくしの部屋で休まれてはいかがでしょうか?」


 ディルは大きな溜息を溢した。


 そして次の瞬間、空いている方の手を彼女に伸ばし――脇腹を擽る。


「ひゃんっ」


 彼女が身を捩った拍子に、ディルの手を掴む力が緩んだ。

 その隙を逃さず、ディルは階段へ駆ける。


「体を対価に受け取る趣味はねぇよ」


 それだけ言って、ディルは『白羊亭』をあとにした。


 後ろで「それでこそ……本物の……」というサキュバスの呟きが聞こえた気がしたが、ディルは立ち止まらずに家に帰った。


 ◇


「あっ、おかえりなさいませ、先生っ!」


 自宅に戻ると、キッチンにアレテーがいた。


 白銀の長髪に赤い目をした少女だ。

 ディルは子うさぎと呼んでいる。


 エプロンを着用した彼女は、鍋の中身を混ぜている最中だった。


「おう。今日の飯はなんだ」


「ステーキと、お野菜のスープと、パンと――」


「ステーキ? お前にしちゃ珍しいな」


 アレテーの作る料理は家庭的かつ健康志向で、味はいいが刺激は足りないというものが多い。


「お肉屋さんにオススメされたのもありますが……。改めて、第二階層探索免許の取得でもお世話になりますということで、先生のお好きな料理をと考えまして!」


「あ? あぁ、そういやもうすぐだったな」


 探索者志望にとって、最難関は最初の免許取得に掛かる費用だろう。

 第一階層の免許さえ取得してしまえば、あとはそこで狩りをするだけで一般人とは比べ物にならない稼ぎを得られるのだ。


 ディルはアレテーと何度か共に探索し、二人で肉と果物を大量に確保。

 得られた金はきっちり半分ずつ分け合ったが、それでも第二階層の免許取得には充分。


 じきに新しいクラスが決まるのだった。

 そして彼女は引き続きディルの生徒として、リギル・アドベンチャースクールで免許取得を進めていく。


「はいっ! これからも先生にお世話になります!」


「まぁ、飯が豪華になるなら理由はなんでもいいけどよ」


 彼女の後ろから、そっとキッチンの様子を覗き込む。

 肉はどうやら、ディルが帰ってきてから焼き始めるつもりだったようだ。


「くんくん」


 アレテーが振り返りざま、ディルに顔を近づけ鼻を鳴らす。


「なんだよ」


 彼女は首を傾げた。


「女の人の匂いがします。ムフさんのとは別にです」


「子うさぎじゃなくて子犬だったか」


「依頼人のかたですか?」


 アレテーの様子は普段と変わらないように思えるが、声がほんの僅かに低くなったような気がした。


「気になんなら飯の時にでも話してやるよ。腹減った」


「急いで準備しますね!」


 テキパキと準備を急ぐアレテー。


 そんな気になるのだろうか。


 待っている間、ディルは着替えを済ませる。

 その際に自分の服の匂いを嗅いでみたが、他人の匂いなど感じられなかった。


 アレテーは嗅覚が優れているのかもしれない。


 ちなみに、彼女の焼いた肉は絶品だった。


 ◇


「うっそだろ……」


 ディルは頭を抱えたくなった。


「ディル様~!」


 王子様でなくなっただけマシと考えるべきだろうか。


「……なんでお前がここに」


 職場の講義室だ。

 第一階層探索免許取得の時と教室の規模は同じだが、埋まり具合は三分の一ほど。


 子うさぎことアレテーや、メガネを掛けたミノタウロスの青年タミルなど引き続きディルに師事する者もいれば、別の教官の生徒だった者もいる。


 そして、第一階層探索免許は別のアドベンチャースクールで取得したが、第二階層探索免許はリギル・アドベンチャースクールで取得することにした者も。


 少女は、最後者だ。


「あ、あの……先生? もしかしてこの人が……?」


 アレテーが控えめに尋ねてくる。

 彼女には桃色サキュバスの話はしてあるので、すぐに連想できたのかもしれない。


「あら? 貴女は? ディル様とやけに親しげだけれど」


「あ、アレテーです。先生には、第一階層の免許の時からお世話になってます」


「うっ、それは羨ましい……」


 サキュバスは胸を押さえたが、すぐにこほんっと咳払い。


「わたくしはパルセーノスと申します。第一階層の免許は他所で取りましたが、愛しのディル様を求めてこちらのリギル・アドベンチャースクールへとやって参りました。以後お見知り置きを」


 ディルの名前はムフあたりから聞いたのか。

 特に口止めしていなかったので、そこは仕方がない。


 そもそもディルの装備は特徴的なので、ムフを頼らずとも探し当てられるのは時間の問題だった。


 読み違えたことがあるとするなら、一度助けられたくらいで相手の職場を突き止めて生徒として接近しようとするほどの行動力が少女にあったことだ。


「イ、イトシノ……? そ、それはつまり、えと、先生を、その、あ、愛していらっしゃるという、そういうことでしょうかっ!?」


 アレテーが、愛というフレーズに顔を赤くしながら尋ねる。


「えぇ、お嫁さんになりたいという意味での愛ですわ」


 少女は堂々と宣言した。


「お、およめさんっ……!」


 サキュバス――名前をパルセーノスというらしい――が、ギラリと目を光らせる。


「……まさか貴女、恋敵ライバルでして?」


「らいびゃる!? い、いえそんなっ、先生にはとてもお世話になっていますし、た、大切な人ですけれども……っ!! およめさんになりたいとか、そういう恐れ多いことは決してっ!」


 アレテーがこれ以上ないくらいにテンパる。


「ならば問題ありませんわね」


 釘を刺すように、パルセーノスが言う。


「うぅ……」


 アレテーは何も言い返せず、しかしどこか釈然としない様子だった。


 他の生徒たちは――真面目なタミルでさえ――ディルがどう対応するのか気にしているようだった。


 ディルはチョークを手に取り、言う。


「それじゃあ授業を始めるぞ」


 ――『スルー!?』

 と、生徒たちの心の声が一致したのが分かったが、ディルは無視した。



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