第二部

第42話◇ムフの頼み事

 



 パーティー再結成から数日後。

 仕事終わりに、ディルは『白羊亭』に寄っていた。


「ごめんね、ディル兄さん。お仕事終わりで疲れてるところ……」


 入ってすぐ、店の制服に身を包んだ少女が駆け寄ってくる。

 彼女はディルを見つけて一瞬嬉しそうな顔をしたあと、申し訳なさそうな表情になって喋りかけてきた。


 ディルは微笑を浮かべる。


「気にすんな」


 彼がこんなに優しくする人物などそういない。


 少女はその一人、ムフである。

 もこもこの髪に、羊の角を生やした大人しそうな印象の少女。


 彼女はリギル・アドベンチャースクールの受付と、実家である『白羊亭』の看板娘を兼任している。


 ディルとリギルは無名時代にここの亭主に世話になっており、ムフともその頃からの付き合い。

 彼女は二人を兄のように慕っている。

 人嫌いで他人を突き放すような言動をとるディルも、ムフには優しい。


 『白羊亭』は一階部分が酒場、二階部分が宿となっていた。

 酒場は、あと少ししたら本格的に混み始めるだろう時間帯。


 彼女に導かれるようにして、二人カウンターへ向かう。


「そんで? 頼みってのはなんだ? 誰かに付き纏われてるのか? なら俺に任せろ、そいつは二度とお前の前に現れない」


「ううん、ここのお客さんは常連さんがほとんどだし、みんな優しいから……」


 馴染みの客からすれば、ムフは娘のような存在。

 愛でることはあっても、傷つけることは有り得ない。


「それもそうか。でもなんかあったら言えよ?」


「ふふ、うん、頼りにしてるね?」


 ムフはくすぐったそうに笑った。

 二人は空いているカウンター席に並んで座った。


「それでね、お願いっていうのは友達のことなんだけどね」


 ムフの話はこういうものだった。


 先日、雨の中を歩いていると路地で膝を抱えて濡れている少女を発見。

 見かねて宿に連れ帰り、事情を聞くと金欠の新人探索者と判明。

 亭主と相談し、超格安で寝床と飯を提供することに。


 その少女は元気になったが、どうやら探し人がいるらしい。


「……さすがはオッサンの娘だな」


 ディルは懐かしさに、思わず頬が緩む。

 自分とリギルも、亭主の優しさに救われたのだ。


 その性質は娘のムフにも引き継がれているようだった。


「困っている人を見ると、どうしても放っておけなくて……」


「まぁ、ほどほどにな」


 困っている者が善人とは限らないのだ。

 人助けのつもりが、予想外の厄介事に巻き込まれることもある。


「それで、そいつが探してるやつってのは?」


「えぇとね、それが……」


 ムフは少し考え込むような顔をしてから、続けた。


「まずはね、種族は人間らしくて」


「ふむ」


「髪は黒くて無造作ヘアで」


「ボサボサってこったな」


「目も黒くて、遠くを見ているような、憂いを帯びている眼差しで」


「眠たげな目ってことだろ」


「身長はこのくらいで……」


 ムフが、探し人とやらの身長を示すように、腕を上げる。


「大体俺と同じくらいだな」


「それで、あっ、ダンジョンで逢ったから相手も探索者みたいで」


「候補が探索者に絞られるわけか」


「その人は、体にね、沢山の収納用具を吊るしてたって」


「…………ん?」


 ディルはその情報を聞き、首を傾げる。

 ムフは頷いた。


「うん、わたしもね、ディル兄さんじゃないかなって思うの」


 言われてみると、ボサボサの黒髪、眠たげな目の探索者という部分も当てはまっている。


「その、友達ってやつの情報は?」


「サキュバスの女の子でね。ダンジョンで困ってるところを、その人に助けてもらったんだって」


 ディルは記憶を探る。


 新人でおまけに金欠ということは、第一階層で満足に狩りが出来ていないのだろう。

 サキュバスと第一階層……と考えたところで、思い当たる記憶を発見。


 男二人組に襲われたサキュバスの探索者を、少し前に助けたことがあった。


 深淵を目指すにあたり、準備に鍛錬と莫大な資金が必要。

 鍛錬と並行して、肉を狩るべくダンジョンへ向かう機会が増えたのだ。


「そいつ他になんか言ってなかったか? 探してる理由とか」


「感謝を伝えたいって、言ってた」


「それだけか?」


「うん」


「そうか……」


「あっ、そういえば――」


 ムフが今思い出したとばかりに声を上げる。


「どうした?」


「自分を助けてくれた人は、とっても格好良かったって」


「じゃあ俺じゃないな」


 ディルは断言した。


「そんなことないよっ」


「ムフ、お前は良い子に育ち過ぎたな……」


「うぅ……嘘じゃないのに……」


 ムフは悔しそうに言う。


「自分のツラが大したことないって自覚くらい、ちゃんとあるさ」


「ディル兄さんは格好いい……よ?」


「はいはい、ありがとよ」


 ムフの頭をぽふぽふと撫でる。

 それからディルは立ち上がった。


「そいつの部屋を教えてくれ。直接逢って詳しい話を聞く」


「引き受けてくれるの?」


「当然だろ」


 見知らぬ人間からの依頼は本来引き受けていないが、ムフの頼みとあっては断れない。


「ありがとう、ディル兄さん」


 ムフがこぼれるような笑みを浮かべる。


「俺に出来ることならなんでも言え。出来ないことでも言っていいぞ、リギルになんとかさせるからな」


「ふふっ、その時は、二人に相談するね?」


「おう」


 ディルはムフに教えてもらった部屋番号を反芻しながら、木製階段を上がって二階の宿部分へ向かう。


 目的の部屋の前に到着。

 ノックすると、ほどなくして人の気配が扉の向こうに近づいてきた。


「ムフさん?」


「いいや、ムフに頼まれて来た。人を探してるって?」


「――――ッ!?」


「……聞こえてるか?」


「そのお声はやはり――ッ!」


 扉がバッと開かれた。


 話に聞いた通り、サキュバスだった。


 ウェーブ掛かった桃色の長髪からは、上向きに生えた一対の角が覗いている。

 背中からは蝙蝠を思わせる小さな翼が生えており、腰からは先端の尖った尻尾が伸びていた。


 上は肩を露出した白い服、下は丈の短い黒のスカート。

 腰の部分にベルトを巻いており、豊満な胸とくびれた腰が強調されていた。

 勝ち気そうな顔つきをしているが、ディルを視界に捉えた瞬間、熱に浮かれたように瞳が潤み出す。


 ――なんか見覚えあるな。


 ディルが以前助けたサキュバスに似ている……気がする。

 だがムフとの会話でこうあった筈だ。


 そのサキュバスを助けた探索者は格好良かった、と。


 自分は当て嵌まらないので、ディルはくだんのサキュバスとは別人が依頼人だと思っていたのだが……。


「あー、もしかしてお前、あの時の――」


 彼女の小さく白い手が伸び、ぎゅっとディルの手をとる。

 そして、陶然とした表情で上目遣いに彼を見上げて、言った。


「はいっ、お逢いしとうございました、わたくしの――王子様!」


「――はぁ?」


 ディルは思いっきり顔を顰めた。


 その時は想像もしなかった。


 この少女が、モネやアレテーに次ぐ、厄介な生徒になり。

 その上、アレテーにとっても重要な人物になるなどとは。



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