第40話◇エピローグ・裏・後編

 



 翌日、ダンジョン第一階層・暴食領域・安定空間内の森林エリア。


「おい子うさぎ、そろそろ移動するぞ」


「あ、はいっ」


 ディルの周囲には、額を貫かれて絶命した一角イノシシが三体。

 アレテーは先日の件で気に入ったのか、傍らに水狼を待機させつつ、水リスで果物の採取に励んでいた。


「あまり一つのことに集中し過ぎるな。気づけばモンスターに囲まれてた……なんてことになったら最悪だろ」


「はいっ、気をつけますっ」


「……だが、複数の動物の使役も出来るようになっているようだし、成長はしてるみたいだな」


 その程度の言葉で、アレテーは世界中から称賛を浴びたみたいに、嬉しそうな顔をするのだった。


「ありがとうございます! わたし、頑張りましたっ」


 その後、何度か場所を移動し、肉も果物も成果は上々といったところで、その日は切り上げることにする。

 ダンジョンの入り口へ向かう途中、ふと会話が途切れた。


「……なぁ、子うさぎ」


「はい、先生。なんでしょう?」


 次の言葉が出てくるまで、ひどく時間が掛かった。


 喉が酷く乾いている気がする。唾を飲み込もうにも、口の中までカラカラで痛いくらいだ。ディルの体が、これから言おうとしていることを阻止しようと立ちはだかっているような、そんな錯覚さえ覚える。


 それでも、ディルは口を開いた。

 どうしても、聞きたいことがあったからだ。


「深淵、だが」


「…………は、はい」


 ディルの方からその話題を出すとは思ってもいなかったのだろう、アレテーの顔に困惑と緊張が浮かぶ。


「ない、とは、言わん」


 それは、実在の肯定に等しい。

 『深淵踏破のディル』が言うのだ、アレテーからすれば、希望の確定も同じ。


「は、はい」


 彼女の声が、興奮に上擦る。


「だが、もしそうなら、お前は一つ、不思議に思っていることが、ある筈だな」


 ディルが、本当に深淵を目指し、辿り着いたのなら。


「はい……でも、その」


「言ってみろ」


「せ、先生が生き返らせた、その人は、今どこにいるのでしょう……?」


「……あぁ」


「それとも、わたしはもう、その人に逢っていますか?」


 その可能性も、ある。

 ディルの周囲にその人物がいないなら、何故か。

 あるいはディルの周囲にいる誰かが、深淵で生き返った人物なのか。


「いや、逢っていない」


 アレテーが、目を伏せる。


「せ、先生は、たまに、その、お辛そうに見えます」


「そうか」


「でも、もし本当に、生き返らせたいほど大切な人が、一緒にいられなくてもどこかで元気に生きているのなら、優しい先生は、それを受け入れると思うのです」


「お前の中で俺がどんな聖人になってるか知らんが、そろそろ現実を受け入れろ」


「いいえ、先生はお優しいかたです。先生が否定されても、わたしはもう、それを知っています」


「……そうかよ。で、何が言いたい」


「先生が今も、何かに苦しんでいるのなら、それはやはり、深淵に関わることではないかと思いました。生き返った人がお近くにいないのは、先生から離れたからではなく……」


 アレテーがそこで言い淀む。


「なんだ、言ってみろ」


「し、深淵の蘇生が、わたしたちが思っているものとは違うものだから、なのかな……って」


 やはり、この娘は馬鹿ではない、とディルは再確認する。

 お人好しで、人の良い面ばかり見ようとし、戦いに向かない性格をしているが、頭はよく回る。


「何故そう思う」


「ダンジョンの性質を見て、です。このダンジョンは、意地悪だと思います」


「意地悪、ね」


 アレテーの表現は、やはりダンジョンに似合わず子供っぽい。


「暴食領域のお肉が美味しいモンスターは、人をその……食べようと襲ってきます。果物もです。怠惰領域は、人を眠らせたり、迷わせたり、騙そうとします。色欲領域は、え、えっちなモンスターが出てきますが、先生仰ってましたよね、誘惑に乗ると……その、干からびてしまうって」


「あぁ」


「憤怒領域は……こ、怖かったです。モンスターさんだけではなく、探索者も少しずつ怒りっぽくなりますし……先生が使っている剣、それはモンスターさんたちが持っているものと同じものなんですよね? 使っていると、心が不安定になるという……。先生のことだから対策もしっかりしていると思いますが、心配です……」


「俺の心配はいい。とにかく、お前の言いたいことは分かった。そして、良い目の付け所だ」


 ディルは一度深淵にたどり着くまで、その事実から目を逸らしていた。

 だが、アレテーはディルという経験者を通して、それを受け入れようとしている。


 では、彼女はどうするつもりなのか。


「それで? どうするんだ子うさぎ。お前はそれでも深淵に行くのか」


「はい、行きます」


 即答だった。

 迷いなく、強い意思を込めて、アレテーは言い切った。


「不完全な蘇生でも?」


「わたしには、それがどういうものか想像できません。

 生き返っても、期限付きの命なのでしょうか。

 生き返っても、わたし以外には見えなくて、そのことで苦しませてしまうのでしょうか。

 生き返っても、たとえば生前病に罹っていたらそれは治らないのでしょうか。

 生き返っても、姿形が変わってしまったりするのでしょうか。

 生き返っても、言葉を交わすことは出来ないのでしょうか。

 分かりません。でも、わたしがもう一度逢いたいと願う人は……あんな年で死にたくはなかったと思うのです」


「――――」


 ディルの脳裏に、幼い妹の姿がよぎる。

 病床に臥せる、未来を望む童女だ。


「不完全だとしても、生きてまた逢えるなら、それを諦めることは出来ません。そして――」


「なんだ」


 アレテーは一呼吸置いてから、続けた。


「現実を知らないからと怒られるかもしれませんが、わたしはそれでも、いつか完全な形で生き返らせる方法を、探し続けるのだと思います」


「探し……続ける」


 だめだとハッキリ分かったあとでも、諦めないというのか。


「必要ならわたしは、何度でも深淵に行くと思います。ちゃんとした形で逢えるよう、しっかりと命を取り戻せるよう、何度でも」


 狂気にも等しい覚悟だ。

 つい先日、第四層で震えていた少女とは思えない。


 どれだけ怖いか、しっかりと理解しているのに。

 諦めない強さを、ここで発揮する。

 一体何があって、誰を蘇生しようというのか。


 だが今は、そんなことよりも引っかかっていることがあった。


 ――何度でも……何度でも、、、、だと。


 ディルも、妹をすぐに諦めたわけではない。

 起こす方法を必死に探した。

 だが見つからなかったのだ。


 しかし、気づいたら愚かしいことなのだが、一つ試していないことがあった。

 深淵での経験を失敗として記憶したディルは、無意識的にそれを避けていたのかもしれない。


 精神のない、妹の肉体を起こす方法は、ない。

 ならば、妹の精神を取り戻す方法は、どうだ。


 検索する情報の違いが、結果に反映されるということはないだろうか。


 もし、深淵が死者を不完全に生き返らせるだけの階層ではなく。

 死した者の情報を取り戻すことが出来る階層なら?


 肉体と魂は得た。いや、魂は得ていないのかも。分からない、何が必要で何が欠けているのか、全部仮説だ。

 でも、この探索才覚ギフトを使えば、そんなことはどうでもいい。


 知りたいのは一つ。

 妹の精神の在り処だ。


 ――探索才覚ギフト、発動。


 ――まだ取り戻せるなら、俺をあいつのところまで案内しろ。


 ――経路ルート表示。


 その時、ディルの視界上に――ダンジョンの奥へと走る、己の幻像が映った。


「――――」


「……先生?」


 アレテーの声に応えるまで、しばらくの間が開いた。


「俺は言ったな、借りは返すと」


「は、はい」


「俺は今…お前に救われた。この借りは、一生掛かっても返せないくらい大きなものだ。だからアレテー、お前の願いを言え。俺は必ず、それを叶えてやる」


 アレテーには何が何だか分からない筈だ。

 いや、彼女なら察したかもしれない。


 これまでの会話、ディルの能力、急にダンジョン奥へ向けられた視線、そしてディルがここまで言うほどの借り。

 だからか、アレテーからはすぐにこう返ってきた。


「わたしは、深淵に行きたいです」


 白い髪と赤い目をした、貧相な体の少女が、そんなことを言う。


「いいだろう、アレテー。今ここに約束する。いつかお前がそれだけの力をつけた時……必ず俺が深淵まで、案内してやる」


 今日この日より、『深淵踏破のディル』は探索者業に本格復帰する。


 教官はやめない。

 この少女が深淵にたどり着けるよう、導く必要がある。

 それだけの借りが、今示された道にはある。


 ディルは、今すぐ飛び出したい衝動を堪え、いつも通りの声音で言う。

 面倒くさそうで、眠そうな声だ。


「帰るぞ、子うさぎ」


 そして、アレテーもいつも通り返事するのだった。


「はいっ、先生っ!」


 大罪ダンジョン教習所の反面教師は、妹を取り戻すため、最強の探索者に戻ることを決めた。

 そしてその傍らには、モンスターを殺せない、異端の探索者の姿があったという。



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