第10話◇探索者の心得?

 



 ――とまぁ、そんな具合に、子うさぎの登場によって俺の平穏な日常は音を立てて崩れていったのだった……。


 アレテーを生徒にしてから一週間と少し。


 彼女が魔動熨斗アイロンをかけるので、ディルの服にはシワ一つない。

 しかも、服の組み合わせなど微塵も考慮しないディルに代わり、彼女がコーディネートを担当した結果、だらしのないダメ教官はまともっぽい姿に大変身。


 寝癖まで直そうとするのはさすがに阻止したが、遅刻癖も治ったことにより、周囲の評判は微妙に上向きになっていた。

 元の評価が低すぎるので、上がったところで大したことではないのだが。


 モネなどは、ディルがようやく自分の意見を聞き入れたのだと勘違いして上機嫌になる始末。

 ディルは居心地が悪いといったらなかった。


 そんなこんなで、アレテーに侵食された一日が今日も始まる。


「先生! おはようございま――す? えぇっ!? せ、先生が、わたしが起こすより先に起きてます!?」


 部屋に入るなり失礼な驚き方をするアレテーに、ディルはジト目を向ける。


「体調管理は探索者にとって重要なことだ。睡眠不足、体調不良、首を寝違えただけでもパフォーマンスには影響が出る。くだらないことで命を落とすことは充分有り得るんだよ。だからこそ、探索日に向けて完璧に体の調子を整える必要があるわけだ。寝坊で予定を崩すなんてのは論外だ」


 普段とあまりに違うディルの態度に、アレテーは戸惑いを隠せない様子。


 違うと言えば、格好もそうだ。

 いつものディルは上はくだびれたドレスシャツ、下は裾びろびろのズボンという格好。

 アレテーの登場によって小綺麗になったが、とても探索者には見えない。


 だが今日は違った。

 機能性重視の上下の衣装に、体をすっぽりと覆える外套。

 ちらりと覗くのは、体中に巻きつけられたベルトと、それにぶら下がる小袋だ。


 腰にはショートソードを差している。


「……あっ、今日は探索才覚ギフトを確認する日、だからですね!」


 少し遅れて、ディルの装備の意味に気づいたアレテーが声を上げる。

 それから、感動したような目を向けてきた。


「そのお姿が、『深淵踏破のディル』の探索装備なんですね!」


 瞳を輝かせる彼女の様子は、まるでお姫様に憧れる童女である。


「格好いいです!」


「初めて言われたわ……」


 ディルは呆れた声で言う。

 探索者は身軽が良いと言われる。


 できるだけ多くのものを持ち帰るためだ。

 高位のパーティーだと、荷運び用の人材を雇うこともあるくらいだ。

 見た目に反して多くのものを収納出来るダンジョンアイテムも存在するが、稀少な上に使用期間が限定されているものも多い。


 持ち帰った品が稼ぎに直結するのだから、そういう考えになるのも頷ける。

 戦闘だと足手まといになりかねないので、一長一短なのだが。


 とにかく、入る前から荷物の多いやつはアホだと思われる。

 ディルのように、探索才覚ギフトがサポート特化のくせに荷物が多いやつは論外だ。


 理解ある元仲間は受け入れていたが、それはそれとしてこの格好は控えめに言っても、格好良さとは縁遠い。


 だがアレテーは世辞を言えるほど器用ではないので、本気で言っているのだろう。


「えぇっ。こう、佇まいというか、プロ! って感じがします! 百戦錬磨! という感じもします……!」


 精一杯に感想を伝えようとするアレテー。


「分かったからそのへんにして、さっさと飯を食え。俺はもう食った」


 ディルは食卓を指差す。

 そこにはアレテーの分のサンドイッチが置いてあった。


 一階の自称雑貨店で買っておいたのである。


「えっ?」


「なんだ、お前まさか今日も料理するつもりだったのか? 調理中、万が一にでも火傷したらどうする。言っとくがな、『なんかだるい』ってだけでも探索は休むべきなんだよ。百点の自分じゃないならダンジョンには行くな。死因が『九十九点の自分だったから』とか死んでも死にきれないだろ」


 しばらくぽかんとしていたアレテーだったが、やがて「はい!」と大きく返事した。


「あのっ、食事の前に、先生の教えを頭の中で反芻してもよいでしょうか!」


「……教えじゃなくて忠告だ。まぁ、勝手にしろ」


「はい! ありがとうございます!」


 素直な生徒だ。


 もしディルがアレテーの立場なら「もっと早く教えとけよ」と文句を垂れるところなのだが、彼女の頭にはそんなことよぎってもいないようだ。


 一応、あとで他の生徒たちにも忠告するつもりではいる。

 だがきっと無駄に終わるだろう、とディルは考えていた。


 ダンジョンに潜れば大金が稼げる。

 『なんかだるい』で、一日の稼ぎを諦められるだろうか?


 特に新人にとっては、否であろう。

 こういうのは、一度痛い目を見ないと学べない。


 だがダンジョンで言う痛い目とは、多くが死だ。

 学びを活かす機会は永遠に得られないことが多い。


 それをなんとかするのが、アドベンチャースクールの役目。

 教官陣が監督した上で、ダンジョンに潜る講習だ。


 死にかける恐怖を体験しても、教官が守ってくれる。

 そこまでしてようやく、教官たちの言葉を少しは聞く気になるのが、探索者志望というもの。


 しかし、アレテーはなんでもありがたそうに吸収する。

 実に珍しいタイプといえた。


 彼女の目的が稼ぐことではなく、生きて深淵を踏破することだから、というのもあるかもしれない。


 もごもごとクリを動かしているのは、ディルの言葉を口中で呟いているのか。

 それが済んだあと、小さな口で小動物みたいにもぐもぐサンドイッチを頬張るアレテー。

 見届けることなく、ディルは家を出る。


「あっ、いってらっしゃいです、先生! また後程!」


 教官の方が先にアドベンチャースクールにいなければならないので、いつも別々に家を出ている。


「あー……面倒くさい」


 体調は万全に整えた。

 意識も研ぎ澄まされている。


 それでも、ディルはかつてとは違う。

 ダンジョンへのモチベーションというものが、欠片も残っていなかった。


 今はただ仕事として、自分が死なないために、生徒を死なせないために、かつての自分をなぞって準備を進めているだけ。


 アレテーと同期の者たちは、今日、自分の探索才覚ギフトを知る。

 それによって、個々人の訓練方針が決まる。


 だが、みんながみんな期待の力に目覚めるわけではない。

 少なくない人数が、期待はずれの能力に落胆し、苦労することだろう。


 このイベントが、ディルはあまり好きではなかった。


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