第9話◇悪夢と白ウサギ

 



 これは夢だ、とディルはすぐに理解した。


 この悪夢とは、かれこれ十年来の付き合いになる。

 故郷の、ボロく狭い木造の家。

 その寝室。


 病床に伏せる、幼い妹。

 頬は痩せこけ、目許は弱々しく黒ずみ、肌は病的に白く、呼吸は酷く浅く、表情は苦しげ。


 元々は活発な妹だった。

 兄とその親友の影響か、いつも男の子たちの遊びに混ざりたがった。


 それが、ある病に罹ってから半年でこうなった。

 これは、半分記憶で、半分が妄想だ。分かっている。


『おにいちゃん……』


 ベッドから、妹が手を出してくる。

 ディルはそれを優しく包む。


 妹の体はとても冷たい。自分の体温全部あげてもいいから、彼女に温かさを戻してくれとディルは祈った。


 ここまでが、記憶。

 ここからが、妄想。


 分かってるのに、毎回怖くて。

 自分と同じ黒髪黒目。髪は肩くらいまであり、自分よりずっと長い。自分と違って、容姿に優れていると村でも評判だった。


 今となっては見る影もなく弱った、その妹が、こちらを見上げている。


『おにいちゃん――深淵に行って、わたしを生き返らせてくれるんじゃなかったの?』


 呪うような瞳で、偽物がそう言った。


『嘘つき』


 ◇


 美味そうな匂いで目が覚めた。


「……せい……せんせい……先生っ」


 瞼を開くと、子うさぎが心配そうにこちらを見ている。


「大丈夫ですか? 魘されているようでしたけど……」


 なんだったか。そう、アレテーだ。

 と、記憶を探りながら、ディルは上体を起こし、そしてアレテーの額を指で弾いた。


「あうっ。な、なんでですかっ!?」


 アレテーは調理器具を持っていない方の手で額を押さえる。

 涙目だった。


「不法侵入だ、デコピンなんざ軽いもんだろ」


 罰としては、軽すぎるくらいではないだろうか。


 ――ていうか待て、調理器具?


 おたまである。

 ちなみに、昨日追い出した時にも着用していたエプロン姿だった。


「ふ、不法侵入じゃないですよぉ。昨日言ったではありませんか。朝ごはんお持ちしますと……! どうせなら、こちらで作った方が早いと思いまして!」


「まず、俺は許可してない。よって不法侵入だ」


「えぇっ!? そんな……わたし、犯罪者ですか……!? つ、捕まりますか!?」


 本気で慌てるアレテーだった。


「突き出すのも面倒だ。デコピンで勘弁してやる」


「よ、よかったぁ……。さ、さっきのはそういうことだったんですね!」


 朝食を作りに来てデコピンされたにもかかわらず、安堵の溜息を漏らすアレテーだった。

 ディルは、今までよく無事に生きてこられたものだと心配になる。


 ――悪いやつに騙されそうで不安になる娘だ。


 寝癖だらけの頭をぼさぼさと掻きながら、ディルは鼻孔をくすぐる朝食の香りに意識が向く。


「何作った」


「卵とベーコンを焼いたものと、根菜のスープと、パンです!」


「材料は……ってあぁ、一階の雑貨屋か?」


 雑貨屋のくせに、野菜も肉も卵もパンも売っている。


 更にはダンジョン由来のアイテムまで販売しているので、もはや「雑貨とは?」という感じだが、店主がそう看板を掲げているので、客はみんな諦めて雑貨屋と呼んでいた。


 品は良いがその分割高だったりもするのだが、自炊しないディルには関係のないことっだった。

 そのあたりの金も、リギルが事前に渡していたのだろう。


 親友の金で飯を食う分には気も咎めない。


「まだ時間あるだろ、なんで起こした」


「え? 今から朝食をとって準備をしてと考えると、これくらいで丁度いいと思いますが……」


「あ? そんなわけ……いや、そうか。お前、俺が今日も一時間前出勤すると思ったのか」


「? 昨日お会いしたのは、それくらいの時間帯でしたよね? 普段は違うのですか?」


 その通りだった。


 しかしあれは親友に金を借りるために早めに顔を出しただけなのである。

 さすがに、そんな説明はしたくないディルだった。


「……昨日は、少し早めに家を出たんだ。たまたまな」


「そうだったんですね! いつもはどれくらいに起きるのでしょう。わたし、ちゃんと覚えておきます!」


 そもそももう来ないでほしいのだが、言っても無駄だろう。


「一時間後くらいだな」


「あ、あのー、先生」


 アレテーが控えめに手を上げる。


「なんだ」


「それだと、始業ギリギリになってしまいます。教官がたは、もう少し早めにアドベンチャースクールにいた方がよいのでは?」


「正論を言うな、言い返せないだろ」


「えっ。ご、ごめんなさい……?」


 アレテーは戸惑った声を上げる。


「ぶっちゃけ、授業開始までに教室についてれば問題ない。だから俺をギリギリまで寝かせてくれ」


「す、すみません。それはできませんっ!」


「あ?」


「うぅ……。先生の言うことは聞きたいのですが、ダメなんです。遅刻ギリギリの生活は健全とは言えません! しっかりとした時間に起き、ちゃんと朝食を食べて、余裕を持って家を出るべきだと思うんです!」


「そんなまともな人間みたいなことが出来るか」


「えぇっ。で、できると思います! 先生ならできます! 絶対! わたし、信じてますから!」


「簡単に人を信じるな。人は裏切る生き物だ。俺もお前の期待を裏切って二度寝する」


「えぇっ!? こ、困ります!」


 いちいち大げさな反応をする少女だ。

 これではまるで、自分がイジメているみたいではないか。


 眠気も消えてしまったので、ディルは渋々起き上がって食卓へと向かう。

 そんなディルの後ろで、アレテーが布団を整えていた。


「……そんなことまでしなくていい」


「いえっ、所長との契約ですから!」


 真面目なやつが張り切ると、怠惰な人間は憂鬱になる。

 ディルはまさに、それを感じていた。


 子うさぎを鬱陶しく感じながら、思えば随分と久しぶりに、悪夢の余韻がなかったことに気づく。

 いつもなら起きてしばらくは気分が落ち込んでいるのだが……。


 ――いや、こいつの所為で結局憂鬱だし、変わらんか。


 悩みのタネが悪夢か子うさぎかという違いしかない。


 出勤したら、一番にリギルに文句を言ってやろうと、ディルは心に決めた。

 ちなみに、アレテーの作った朝食は美味かった。



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