第8話◇子うさぎ育てるか、家賃を払うか




 その日の担当授業を全て終えたディルは、朝リギルに借りた金で夕飯を食い、帰路についた。


 ディルが住んでいるのは、プルガトリウムでは珍しくない賃貸の集合住宅だ。


 なんといっても、この都市は世界で唯一ダンジョンのある場所だ。

 そのダンジョンから得られる品々の価値もあって、都市は大いに栄えている。


 そうなると必然、土地代も高くなる。

 一戸建ての邸宅など、一部の成功者だけの夢となっていた。


 ちなみにディルの元パーティーメンバーは、ディル以外みんな自分の家を持っている。


 もっと言うと、ディルが住んでいるアパートは、丸ごとリギルの所有するものだったりする。


 そしてディルは、そこに家賃を払わず住んでいた。

 とことんまで幼馴染の厚意を貪って生きていることに、何の罪悪感もないディルだった。


 一階部分は雑貨店となっており、住居部分は二階から。

 一見レンガ造りの建物だが、強欲領域由来の建材を使っていて強度や耐火性はそのへんの建造物の比ではない。


 ディルの部屋は二〇三号室。

 彼は一瞬、角部屋の二○四号室に視線を向けてから、自分の部屋の扉を開いた。


「おかえりなさいませ、ディル教官せんせい!」


 何故か、玄関にアレテーとかいう少女がいた。


 ディルの脳内に色々が考えが駆け巡り、そして――面倒くさくなって思考停止する。

 彼はアレテーの首根っこを掴み、扉の外へ放る。


「あうっ」


 尻もちをついたアレテーが目を回した。


「えっ、えっ? 先生!?」


 まさか即追い出されるとは思っていなかったようだ。


「お前のような生徒は受け持ってない」


 この少女が自分の家にいた理由など考えたくもない。

 扉を閉めようとするディルに、アレテーが慌てて一枚の紙を取り出した。


「り、リギル所長からのお手紙を預かってきました!」


 ディルはそれを受け取り、読まずに破いた。

 これでもうリギルの用事は分からない。

 破けてしまったのだから仕方がないというものだ。


「……ディ、ディル先生なら破くかもしれないと、お手紙はもう一通預かっています」


 アレテーが破かれた手紙に同情するような視線を向けながら、もう一通の手紙を取り出す。


「……ちっ」


 さすがは幼馴染。ディルの行動などお見通しというわけか。

 ディルは渋々手紙を開く。


 内容は簡潔だった。


 ――『アレテー氏の担当教官になるように』

 ――『断った場合、来月から家賃を払ってもらう』


「あいつは悪魔か!?」


 家賃を払うのは当たり前ということを考慮せず、ディルは叫ぶ。


 リギルは周囲が本気で心配するほどにディルに甘いことで有名だが、実のところなんでもかんでも許容するわけではない。

 幼馴染だからこそ、ディルにはそれが分かっていた。


 ディルは、アレテーの指導を引き受ける面倒くささと、幼馴染を怒らせる面倒くささを天秤に掛ける。

 結果。


「…………アレテーだったか」


「! はい、アレテーです! 親しい人はレティと呼びます!」


「では、アレテー」


 ディルがそう呼ぶと、アレテーはしゅんとした。

 気軽にレティと呼んでほしかったのかもしれない。


「お前の指導を引き受けよう」


 ぱぁっと、彼女の表情が輝く。


「ありがとうございます!」


「ただ、勘違いするなよ。リギルの思惑は知らんが、特別扱いはしない。他の生徒同様に授業を受け、他の生徒同様に勉強しろ。俺はただ、担当教官ってだけだ」


「はい! 頑張ります!」


 とても良い返事だった。


 ――リギルのやつ、深淵目指してる世間知らずを俺にあてがって、何を狙ってやがるんだ……。


「それでは、晩御飯をお作りしますね」


「いや食ってきた…………ん?」


 どこからともなくエプロンを取り出して着用するアレテーに、ディルは首をかしげる。


 咄嗟に返事をしてしまったが、何故こいつが俺の飯を作るなんて話になるのだ? と。


「そうでしたか……。では、軽いお夜食でも」


「ちょっと待て」


「はいっ、先生!」


 ぴしっと姿勢を正して立ち止まるアレテー。


「生徒は、教官の飯の世話をする必要はない。帰れ」


 ディルは扉を指差して、帰宅を促す。

 アレテーは困ったような顔になった。

 困ってるのは俺の方だ、とディルは胸中で愚痴る。


「あの、お恥ずかしながら、わたしは受講料分を除いたお金を持っていなかったのですが」


「それは知ってる」


 あんなボロボロの格好でやってきた時から分かっていた。


「見かねたリギル所長が、ある条件で支援してくださると仰って」


 嫌な予感がするディルだった。


「その条件ってのは、まさか……」


「はい! ディル先生の生活環境の改善をお手伝いすること、です!」


 なんて親切で幼馴染思いの親友なのだろう。

 余計なお世話ともいう。


「……なぁ、お前、まさかここに住むとか言い出さないよな」


 ディルは頭痛を堪えるように額を押さえながら、おそるおそる尋ねた。


「所長が二〇二号室を貸してくださいました!」


 ディルの隣室だった。

 最悪ではなかったが、最悪の一歩手前くらいの状況だった。


「悪夢だ……」


「ご迷惑はおかけしないように頑張ります! 掃除洗濯料理、全てわたしにお任せください! 故郷では親の手伝いをしていましたから、基本はばっちり習得済みです!」


 えっへんとばかりに、小さな胸を張るアレテー。


「じゃあ、まず」


「はい!」


「うるさいから、帰れ」


 ディルは再びアレテーの首根っこを掴み、廊下に放り出す。


「あうっ。先生! 先生!? ……で、では、朝になったら朝食をお持ちしますね!」 


 その日を境に、ディルの自堕落な生活は破壊されていくことになる。

 白銀の髪をした、純真無垢な子うさぎによって。


 この出逢いが『反面教師のディル』を変えることになるとは、彼自身思いもしなかった。



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