第4話◇今日も親友から金を借りる
深淵を目指す少女に、ディルは咄嗟に「やめとけ」という言葉を放ってしまった。
その真意を問われたディルは、どうでもよさそうに応える。
「そのままの意味だよ。深淵に人生懸けるほどの価値はない」
「……あの」
「今度はなんだ」
「貴方は、一体……」
深淵について、まるで知っているかのように語るのが不思議なのか。
確かにもっともな疑問だな、とディルは納得した。
よれよれの服にぼさぼさの髪、武器も所持していなければダンジョン由来の道具も持ってなさそう。
今のディルは、探索者だと言われても信じられない風貌をしている。
「一応、ここで教官やってる。んじゃ、俺も仕事があるから行くわ」
実際は幼馴染に金を貸してくれと頼むのだが、これ以上ここにいたくなかったので嘘をついた。
「あ……」
「それとお前、風呂入った方がいいぞ」
先程近づいて気づいたが、少々臭う。
少女は、煤けた顔でも分かるくらいに、頬を真っ赤にした。
体を清潔に保つ余裕などなかったのだろうが、今の状態で教習所内をうろつかれるのは勘弁願いたい。
ディルはポケットから硬貨を数枚取り出し、少女に握らせる。
「しばらくあっちにまっすぐ進んでくと、羊が描かれた看板出してる宿屋がある。そこでなら湯を出してくれるはずだ。なんならうちの紹介とでも言え」
「え、えっ、そ、そんなっ、受け取れません!」
「施しじゃねぇよ。そのまま入られたら迷惑だから言ってんだ」
「あぅ……」
面倒くさそうに言うと、少女はそれ以上拒まなかった。
「か、必ずお返ししますっ」
「気にすんな」
この分もリギルに借りるし、と脳内で補足するディル。
今度こそ職場へ向かおうとするディルだったが――。
「あのっ、お名前はなんというのですか?」
「……うちに入れたら教えてやる」
「あ、は、はいっ。わたしはアレテーと言います! ありがとうございました!」
「はいはい」
もしうちに入ってきたら、別の教官に押し付けよう。
根が真っ直ぐな人間が、ディルは苦手だった。
そんなことを思いながら、親友に金を借りるべく職場に足を踏み入れる。
◇
ディルとリギルは、同じ町の出身だ。
当時二人は、一つの目的を持って探索者となり、仲間を集め、共に戦った。
故郷の町を出たのは、ディルが十三、リギルが十二の頃だったか。
あのアレテーという少女は十四、五という年頃に見えたから、目算が合っていればディルたちの方が探索者を目指した時期は早い。
あれから十年、リギルはいまだに高名な探索者として名を轟かせている。
一方ディルは、無気力で自堕落な人間になっていた。
今のディルしか知らない者からすれば、教官をやっていることさえ奇跡的だ。
あんなんでも一応働いているんだ、という気持ちだろう。
「またかい?」
アレテーという少女に構っていた所為で少々遅くなったが、始業までにはまだまだ時間がある。
ディルは早速所長室を訪ね、幼馴染に金を無心した。
青の長髪を紐で束ねた、温和そうな顔の美丈夫だ。
加えて高身長かつ高収入という、隙のないこの完璧人間こそ、ディルの幼馴染だった。
彼が腰掛ける椅子の近く、机の横には、竜の首でも落とせそうな大剣が立てかけられている。
彼こそは、人呼んで『一刀両断のリギル』。
「あぁ、金を貸してくれ。頼むよリギル。な? 俺たち、フォーエバーにベストなフレンドだろ?」
「親しい友人だからこそ、金の貸し借りはしないという考えもあるようだけどね」
「そりゃ金で友情が壊れると思ってるやつの戯言だろ。俺たちの友情は不滅、永遠、完璧だ。だろ? だからなんの問題もない。そう思わないか?」
こういう時、ディルの言葉はとにかく軽い。
リギルもそれを分かっているので、苦笑気味だった。
「どうだろうね」
「なんだよリギル。分かったよ。靴でも舐めればいいのか?」
「そんな君の姿は見たくないな」
「そうかよかった。じゃあさっさと貸してくれ」
「こんな君の姿も、見たくなかったんだけどね……」
「諦めろ。人は変わる」
「……本当に、随分と変わった」
リギルは溜息をこぼしつつも、最終的には革袋に入った金をディルに差し出した。
しかし、ディルがそれを掴む前に、ひょいっと避ける。
「あん?」
ディルは、金を借りる立場ということを忘れてリギルを睨んだ。
「条件がある」
「いいぜ。面倒くさくないことなら、なんでもやってやるよ」
ちなみに、大体何を言われてもディルは「面倒くさい」と答えるつもりだった。
「これは何度か言っていることだが、君にクレームが殺到していてね」
「無視しろ。クレーマーの意見なぞ耳を傾けるだけ無駄だ」
「……という君の意見の是非はさておき。彼らはしっかりと受講料を払った元生徒たちだ。そして、試験の結果に納得ができないと」
「試験に落ちて文句垂れるやつはいつもいるだろ。別に俺だけ恨まれてるってわけでもない」
「それはその通りなんだが、君の元生徒からは特にクレームが多いんだ」
「うちは、金さえ積めば合格にしてやるようなクソ教習所じゃないだろ」
残念ながら、そういう教習所も存在する。
そして、そういう教習所で免許をとった者の多くは、すぐに命を落とすことになる。
「それもその通り。能力の伴わない者を死地に送り出すような真似はできないね」
「で? 結局、俺にどうしろって?」
「君は賢い。本当なら、落ちた者たちを納得させることも出来る筈だ。けれど、敢えて突き放すように接しているね」
「生徒のご機嫌とりをしろっていうなら、その分の労力を考慮して給料を上げてくれ」
「それで、君が生徒に親身になってくれるのなら」
「やっぱいい。面倒くさい」
「ディル」
「なんだよ」
「……君が辛いのは分かっている。けれど、もう少し生徒ひとりひとりに向き合うべきだ」
「俺を雇ったのはお前だろ。使えないと思うならクビにしてくれ」
「そのつもりはないよ」
まっすぐに自分を見つめる親友に、ディルは表情を歪めた。
「……自分で言うのもなんだが、こんなのを雇い続けるとか、お前大丈夫か?」
「そう思うなら、少しは改善してくれてもいいんじゃないか?」
リギルは、少し寂しそうに苦笑した。
「やだね」
ディルは一瞬の隙を見逃さす、リギルから金を奪い取った。
「百年後に返すわ」
「返す意思があるとは驚いたな」
リギルはそれ以上食い下がらず、所長室を出ていくディルの背中を見送った。
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