2-6
「ごめん、思ったよりも遅くなった」
放課後。タカムーからキャンプに関する補足説明を聞き終えて、俺は千波さんの教室まで足を運んでいた。
「大丈夫ですよ。ちょうど、数学の課題が終わりました」
開いていた教科書やノートを閉じながら、千波さんは嬉しそうな顔で答える。
教室に残っていたのは千波さん一人だけで、どこか寂しげながらんとした空間をぼんやりと眺めていると、ふとあの日の光景を思い出した。たかが一週間前のことだというのに、もう随分と昔のことのような気がして、懐かしい気持ちがこみ上げる。もっと夕陽に染められていれば完璧だったのに、と自分でもよくわからない感想が頭に浮かんだ。
「じゃあ、帰りましょうか」
気がつくと、帰宅準備を終えた千波さんが目の前にいた。
「そうだね」
千波さんと一緒に下校するのも、ほんの少しだけ慣れてきた。最初の頃はバクバクと五月蠅かった鼓動も、今では心地の良いリズムを刻んでいる。
五限目の休み時間に今日は遅くなるかもしれないから先に帰っててと千波さんにLINEをしたのだけど、『終わるまで待ってるので大丈夫ですよ(にっこりマーク)』と軽く流されてしまった。いつものLINEでは出現しない(にっこりマーク)がどこか意味深で、これ以上のやり取りは無意味だと言わんばかりの圧を感じたため、無駄な抵抗はせずに受け入れることにした。……待っててもらえることがほんの少しだけ嬉しいと思ったのは、きっと気のせい。
自転車を押しながら校門を出たところで、不意に千波さんが口を開く。
「えっと……清藤さんはどうしたんですか?」
「清藤さん? 説明が終わると同時に真っ先に部活に向かったよ。次期キャプテン候補らしいから忙しいみたい」
千波さんから清藤さんの名前が出てきたことが意外で、少し戸惑いつつ答える。
「そうなんですね」
それを聞いた千波さんはどこか満足そうにうなずいた。
質問の意図は不明だが、清藤さんのことで千波さんに伝えなければいけないことを思い出す。
「清藤さんといえば……昨日、彼女から俺と千波さんの関係について聞かれたから、とりあえず知り合いの悩み相談に乗ってもらってるってことにしておいたよ。正直に答えても信じてもらえないだろうしね」
「すみません……
「咄嗟に思いついたから通用するかどうか心配だったけど、とりあえず清藤さんはそれで納得してくれたみたい」
「あはは、そうですか」
千波さんは少し微笑んで、ちょっとだけ遠くに視線を向ける。
「もしかしたら、彼女は――」
そう言いかけて、まるで時間が止まったかのように言葉が途切れた。
「……清藤さんが、どうかしたの?」
俺は時間を進めるべく、千波さんに尋ねる。
千波さんは少し困ったような顔で笑った。
「……いえ。私の気のせいかもしれません。ごめんなさい」
「あ、いや、別に謝ることでは……」
気まずい沈黙が生まれる。昼休みの謎のやり取りが、何か尾を引いているのだろうか。
空気を入れ替えるべく、千波さんが乗ってきそうな話題を探す。
「そ、そういえばさ。一週間くらい経ったけど、俺の運命って今どんな感じなんだろう? ちゃんと死を回避するルートに入ってるといいんだけど……」
俺と千波さんが一緒にいる理由に関する話題を振る。狙い通り、難しい顔をしていた千波さんの顔がぱあっと明るくなる。
「大丈夫ですよ! 心配しなくとも、確実に良い方向に向かっています」
「そうなんだ、ならよかった。……そういえば、一つだけ気になっていたことがあるんだけど」
千波さんから余命宣告を告げられてから、ちょっとだけ……と言わず、かなり気になっていたことがあった。
「なんですか?」
「その……千波さんは俺の死因まで予知できているの?」
「死因、ですか。やっぱり、気になっちゃいます?」
「まぁ……回避する方向に動いているとは言え、気にならないと言えば嘘になるかな」
「ふふふ。関くんは、どっちだと思います?」
千波さんは夢を見ることで人の死が予知できると言っていた。それはつまり、漫画や映画でありがちなパターン――もう少しで死にそうな人は透けて見えたり、はたまた影が差して見えたりなど――言わば、感覚的に死を捉えるのではなく、映像的に死を捉えているのだと考えた。だとすると、夢の中でその人が死ぬ状況そのものを見ていてもおかしくはない。
「んー……死因まで予知できてるんじゃないかなあって思うけど」
「ファイナルアンサー?」
「……ファイナルアンサー」
その言葉、とても久しぶりに聞いた気がする。某司会者のそれとそっくりな発音の仕方に、思わず吹き出しそうになるのを堪えてとりあえず乗っかる。
千波さんの答えを、少しワクワクした気持ちで待つ。
「正解は――」
「正解は……?」
「――秘密、です!」
「…………」
……いつかの大塚みたいに盛大にずっこけたくなる気持ちを抑えて、平静を装った。下がアスファルトでなければずっこけてしまっていたかもしれない。
これだけ溜めておいて、そりゃないよ千波さん。
「仮に、ですよ」
「仮に……?」
「横断歩道を渡っている途中で、暴走トラックに轢かれて死んでしまいます! と私が告げたとします。関くんは、それを聞いてどうします?」
なにその異世界にチート転生できそうなシチュエーション。それならもちろん喜んで轢かれに行きますとも――
――まぁ、至って真面目な顔で話している千波さんに対してそんな冗談を言えるはずもなく。
「そんな風に死因がはっきりとわかっているのなら……横断歩道を渡らないようにする? いや……むしろ家から極力出ないようにする、かな?」
「そう考えちゃいますよね。理屈的には、それが正解です」
理屈的には、の部分を強調する千波さん。
「その言い方だと、実際は不正解ってことなんだね」
「ええ、残念ながら。関くんが家に引きこもっていたとしても、事故は必ず起きます。トラックが家に突っこむか、もしくはヘリコプターが家に墜落するか。事故だけとは限りません。強盗が入ってくるかもしれませんし、放火犯に放火されてしまうかもしれません。そして関くんは死んでしまいます」
……想像以上に、なかなかヘビーな結末だった。だけれど、千波さんのその言葉には妙な説得力があった。
「猫型ロボットの話、覚えてますか?」
「……福岡から東京に行く話、だよね」
「そうです。移動手段を変えることで、特に不都合なく当初の目的地である東京に辿り着けるという話をしましたが……それは、裏を返せば何をしても結局は〝死〟の運命に辿り着く、と言えなくもないんですよね」
「……たしかに」
――正直なところ、そのことには薄々気がついていた。移動手段を変えても当初の目的地に辿り着くことができるというのなら――どんな道を選んだとしても、当初の目的地である〝死〟からは逃げられないということになる。
「この話をしたときに、単純な話ではないと付け加えたのはこれが理由です。外出中に事故死する、だから家に引きこもる――このような安易な選択は却って危険で……もっと根本的なところから変えなければ、一度決まった運命は変えられません」
千波さんの言葉と悲しげな表情はまるで、どこかで実際に見てきたような重みがあった。いや……過去に四回、同じような夢を見たと千波さんは言っていた。もしかすると、今回と同じように何らかの形でその人達を救おうとしていたのかもしれない。そして――
「だから――私が見た夢について、詳しいことは教えることができません。その、ごめんなさい」
嘘のない眼差しで千波さんはそう告げて、頭を下げた。
唐突な謝罪に面食らってしまい、色々と考えていたことが頭から吹き飛ぶ。
よくよく考えると、お互いに謝ってばかりの一日な気がして、なんだかちょっとおかしかった。
そしてどうにもそのまま頭までおかしくなってしまったらしく……気がつけば俺は、昼休みに千波さんが俺にしてくれたのと同じように――千波さんの頭をそっと撫でていた。
「〜〜っ!」
千波さんの声にならない声が聞こえた気がした。指通りの良いさらさらな黒髪を通して、千波さんの体温が上がっていくのを感じる。
「謝る必要なんてないよ。俺は千波さんの提案に乗るだけだから」
ゆっくりと、優しく千波さんの頭を撫でながら、俺は励ましの言葉を
撫でる度に漂う椿のような甘い香りが、日々の疲れとか些細なストレスを癒やしてくれるような気がした。
「うう……も、もう、大丈夫ですから!」
撫でていた手を力なく掴まれる。途端に恥ずかしさがこみ上げて、慌てて手を引っ込める。
「ご、ごめん!」
撫でている間は全然平気だったのに、意識した瞬間ドキドキしてしまう。冷静になればなるほど、自分がやらかしてしまったことの重大さに恐ろしくなった。
これじゃあ、セクハラで訴えられても文句言えないぞ……。
「もう、謝らないでください。……嫌だったわけじゃ、なかったので……」
「……へ?」
「な、なんでもありません!」
ごにょごにょと言っていた部分がよく聞き取れなかったけど、セクハラで訴えられることはなさそうで安堵する。
……こういうことをして許されるのは大塚のようなイケメンに限ると昔から相場が決まっている。俺は千波さんの心の広さに静かに感謝した。
そして気がつくと、俺たちはいつもの別れ道に辿り着いていた。
少し名残惜しいような気がするけど、恥ずかしさが未だ冷めない俺は千波さんの前から立ち去りたい気持ちの方が強かった。そんなわけで、直ちに帰宅すべく別れの挨拶を切り出す。
「……それじゃあ――」
「――関くん」
……俺の熱い思いも空しく、遮られた。
千波さんは立ち止まってこちらを見つめながら――
「キャンプ、楽しんできてくださいね。でも、浮気したら……ダメ、ですからね?」
――イタズラっぽい笑みを浮かべてそう口にした。
浮気ってなんだよと心の中で突っ込みつつも、その姿と台詞がやけに胸に刺さって、心地よい苦しさに締め付けられた。
こうして――高校二年の、二度とは戻らない夏休みが始まった。
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