2-5
「……え? 今、なんと?」
千波さんから衝撃的な言葉が放たれた気がして、思わず聞き返す。
「――ん? ですから……私、関くんが明日のデート行けないこと知ってましたよ?」
……だめだ。聞き返したけれど上手く理解できない。だって、そんなはずはないのだから。
「えーっと……。俺、実は無意識のうちに千波さんに話してたりする?」
「ふふ。それもう何かの病気ですよね?」
千波さんは楽しそうに笑う。
「違いますよ。関くんのクラスに掲示してある週間行事予定に、大々的に書いてあるじゃないですか」
「……あ」
そう言われれば、そんな物が教室後ろの黒板横にあったような……。確か学級委員が毎週月曜日に更新することになっていて、今週はキャンプのことがでかでかと目立つように書いてあった……気がする。
つまり……あれ、どういうことなんだろ。
「えーっと……」
「――私、女優になれますかね?」
イタズラぽく上目遣いで見つめられる。そんな仕草にドキドキしつつ、そんな邪念を必死の思いで振り払って俺はようやくすべてを理解した。
「さっきのはすべて、演技だった、と……」
誰が言い出したのかは知らないが、女はみんな女優――そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
そして、千波さんの迫真の演技に対してこれ以上にないくらいの本音で答えていた自分を思い出してしまい――
「〜〜っ!」
声にならない声で叫んだ。本当のことを言うと、このどうしようもなく恥ずかしい気持ちを誤魔化すために滅茶苦茶に大きな声で叫びたかったけれど、僅かばかり残っていた理性が必死になって止めてくれた。俺としても、カップルどもの野次馬的視線を再度浴びるのは避けたかった。
それにしても千波さん、まさかキャンプのこと知ってたとは。俺のピュアッピュアな純情を弄んでくれやがって……
「――関くん。今、私に弄ばれたーとか思ってますよね?」
「ぎくっ。そ、そんなことは……」
……俺の周りはエスパーばかりなのかよ。
「今、図星突かれてぎくって自分で言っちゃいましたよね? もう……元はといえば関くんが悪いんですからね?」
拗ねたような顔をする千波さん。
「うう、それは……」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだと実感した。誰が正義で誰が悪なのか。時としてそれは明確に定義できないが、今回の場合はあまりにも明確で、綺麗に真っ直ぐな線が引けてしまう程だ。
「いつ、ちゃんと言ってくれるのかなあってずっと待ってたんですよ? それなのに、前日になっても全然そんな話にならないから……関くん、実はキャンプに参加しないのかなーとか、キャンプをキャンセルしてこっちを優先するつもりなのかなーとか、色々考えちゃってました」
「申し訳ございません……。ちなみに、キャンプのことはいつから……?」
「んー、週間行事予定が更新された日だから……月曜日、ですかね? 関くんは昨日気がついたって言ってましたから……私の方が早く気がついちゃってたみたいですね」
あはは、と自嘲気味に笑う千波さん。
月曜日ということは、映画デートの約束をした次の日ということになる。俺がぼけーっと脳天気に過ごしていた間に、週末の予定が確定しないままモヤモヤと過ごさせてしまったことに非常に申し訳ない気持ちになった。
……これは完全に俺の気のせいかもしれないし、大それた勘違いかもしれない。だけど俺は、それを十二分に踏まえた上で少し寂しそうな笑みを浮かべている(ような気がする)千波さんを見て、うじうじといつまでも迷っていたことに決心を付ける。
「千波さん。俺――」
「ダメです」
キャンプなんてどうでもよかった。リーダーなんて知ったこっちゃない。俺は千波さんとの映画デートを……って、
「……まだ何も言ってないのに」
一世一代の決心と言えばあまりにも大げさすぎるかもしれないが、それくらいの心づもりで発しようとした言葉が遮られる。それも、かなりの序盤で。
「関くんのことですから……キャンプをキャンセルして、私とのデートを優先する! とか言い出すじゃないかなと思いまして」
「…………」
ここまで脳内をエスパーをされてしまうと、自分の思考の単純さに嫌気が差してくる。それとも、思っていることがAR的な感じで俺の頭上に表示されてたりするのだろうか。
「キャンプはちゃんと行かなきゃダメですからね」
「でも……」
前々日まで完全に頭から抜けてたくらいだ。参加することにした理由も、ただ単に前に倣えをしたかっただけ。班のリーダーに至っては、そもそも了承した覚えすらない。何より今の俺には、前に倣えよりも大切な――
「もちろん、映画デートのことは残念ですが……それでも、関くんにはクラスメートと過ごす時間も大切にして欲しいですから」
「別に、クラスメートとの時間なんて、これからいくらでも……」
「――今この時は、どんなに願っても二度と戻ってきませんから。……それに、映画デートはまた別の機会にすればいいだけじゃないですか」
「……それはまぁ、そうだけれど」
千波さんは優しく微笑む。その微笑みにきっと嘘はないのだろう。けれども……千波さんの言うまた別の機会とやらは、永遠に訪れない気がしてならなかった。今この時は二度と戻ってこないように、明日予定していた映画デートもまた、二度とは戻ってこない。そんな気がした。
ふと、くだらない思考が頭の中を埋め尽くす。俺が〝死〟という運命を回避したその先に――果たしてそこに千波さんはいるのだろうか。今と同じように、隣で優しく微笑みかけてくれているのだろうか。千波さんが俺の隣に、あるいは俺が千波さんの隣に
「じゃあ、こういうのはどうでしょう?」
「……ん?」
良いこと思いつきました! 的なキラキラした顔で千波さんは口を開く。
「映画デートをドタキャンした罰として……来週の夏課外終了後、未開拓のカフェに付き合ってもらいます!」
「……少し前に話してた、学校近くに新しくできたところ?」
「ですです! ずっと気になってるんですけど、初めてのところって一人だと緊張して……」
……それって罰じゃなくて普通にデートじゃんむしろご褒美じゃんって心の中で思ったけれど、どうこう言える立場にないのは重々承知しているため、黙ってうなずく。
「わかった。じゃあ、ついでに罰としておごらせてもらうね」
男が女にデートでおごることくらい罰でもなんでもないとは思うけれど、こうでも言わないと千波さんはおごらせてくれないだろうからちょうど良い機会として利用させてもらう。
「うー、一緒にカフェに入ってくれるだけでいいのですが……」
「それくらいしないと、俺の罪悪感が消えそうにないからさ。これは千波さんのためというより、むしろ俺のためだから。というわけで……いいよね?」
「そこまで言うなら……仕方ないですね。関くんのため、ですもんね」
「あはは。ありがとね」
……ふう。なんとか丸め込めた。待ち合わせの時の『全然待ってないよ、今来たところだから』の台詞といい、これまで何一つ男らしいことできていないから、せめてこれくらいは格好付けたかった。
「……あ。もうこんな時間ですね。そろそろ教室に戻りましょうか」
「げっ。ごめん、俺がぐだぐだしてたせいで……」
お互いに弁当がまだ半分くらい残っている状態だったが、もうすぐで昼休みが終わる時間となっていた。そして――
「別に関くんのせいじゃないですよ。それに、一緒にカフェ行く約束もできたし――って、関くん何やってるんですか⁉」
千波さんが作ってきてくれた一口サンドウィッチが三個ほど余っていたので、慌てて口に詰め込む。雑な食べ方で非常に申し訳ないが、それでも格別に美味かった。驚いた顔の千波さんをよそ目に急いで咀嚼する。
「…………ん。せっかく千波さんが作って来てくれたものだし……それにその、すっごく美味しかったから。ごちそうさま」
「……もう、関くんたら。おそまつさまでした」
照れたような、けれどもとても嬉しそうな笑顔の千波さんを見てまた不覚にもドキドキしてしまう。それを悟られぬように慌てて後片付けをして、二人並んで校舎へと戻る。
教室への帰り道、昼からの授業は何があったっけと頭を無理矢理に切り替えている途中――
「あ、関君! やっと見つけた!」
不意に、少し聞き慣れつつある声で話しかけられた。声の方へと振り向く。
「……清藤さん。どうしたの?」
「なかなか教室に戻ってこなかったから、探したよー? ……関くんの
隣にいる千波さんを見ながら、清藤さんは〝知り合いさん〟の部分を強調してそう呟いた。
昨日、千波さんとの関係について誤魔化した時にはあまり食いついてなかったので聞き流してくれたことを僅かながら期待していたが、ばっちりと脳にインプットされていたらしい。
「……まぁね。それで、どうしたの?」
「今日の放課後、明日のキャンプで話したいことがあるからリーダーとサブリーダーはまた残って欲しいって、高村先生が言ってたよ」
「そ、そっか。了解。わざわざありがとう」
放課後の予定を昼休みに
これでこの話は終了、解散! ……となるはずなのに、何を思ったのか清藤さんは千波さんを真っ直ぐに見つめて口を開いた。
「――千波さん、やっぱりすっごく可愛くなったね」
昨日も聞かされたその言葉に千波さんは少し驚いたような顔を見せたが、すぐに無表情に戻って一言、
「……どうも」
と短く答えた。清藤さんに向けられた、会話を続けたくないと意思表示をしているかのような千波さんの無表情がとても新鮮で、この場を流れる緊張感と相俟ってドキドキしてしまう。
清藤さんも千波さんの意思を察してかどうか、それ以上会話を続けようとすることなく立ち去ろうとする――が、立ち去り際に千波さんの耳元で何かを囁いた。その囁きを聞いた千波さんははっとした顔になるが、そんな千波さんの反応を待たずに、俺に向けて一言――
「関君、放課後一緒に頑張ろうね!」
そんな爆弾を落として去って行った。
まるで嵐が去ったかのような静けさが訪れたが、その静寂を打ち破るようにして千波さんが口を開く。
「――関くん。今の人――清藤さんとはどういった関係ですか?」
……そうだよなあ、そうくるよなあ。
好意のあるなしに関わらず、あんな含みのある言い方されちゃあ俺だってなんか勘ぐりたくなるもんなあ。
つーか清藤さん、何がしたいんだよ……俺をいじめて楽しんでるのか? あんな顔して実はドSなのか?
昨日の〝バナナ好き〟発言が密かに脳裏をよぎり、容易にドSな清藤さんを想像できてしまう自分の邪念を押し殺して千波さんの問いに答える。
「……前にも言ったけど、清藤さんはただのクラスメートで……。今回のキャンプでたまたま班が同じになって、気がつくと俺がリーダー、清藤さんがサブリーダーになってた。ただ、それだけの関係だよ」
別に何もやましい関係ではないし、仮にやましい関係であったとしても俺と千波さんの関係のことを考えると決してやましくはならないよなとか色々考えつつ、シンプルに答える。クラスメート。キャンプの班のリーダーとサブリーダー。どうしようもなく揺るぎない事実で、それ以上でも以下でもない。
「そう、ですか」
キーンコーンカーンコーン――……
それを聞いた千波さんが短く相づちを打ったのと同時に、昼休みの終了を告げる聞き慣れたチャイムが学校中に鳴り響く。
そして、そのチャイムの音に合わせるようにして千波さんは小さく呟く。
「……負けませんから……少なくとも……だけは」
チャイムと重なった千波さんの小さな呟きは、所々虫食いのように欠けていて頭の中で正しく組み立てることができなかったけど、きっとそれは清藤さんから囁かれた何かに対する答えを告げたように思えた。
ゆったりと鳴っていたチャイムが止んだ後も――遠く聞こえる蝉の鳴き声は、止むことなく続いた。
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