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「そう言えば、どこの駅で降りるの?」


 ちょうど二つ並んで空いている場所を見つけて、電車が発車すると同時に着席する。千波さんから漂うほんのりと甘い香りを感じられるこの距離感に相変わらず戸惑い、少しドキドキしてしまう。


「今日はですねー、学研都市駅で降ります!」

「ほう、学研都市駅ね。んじゃ十分もかからないか」


 学研都市駅は高校前駅から東に三駅進んだ先にある隣の市に位置する駅だ。有名大学のキャンパス移転と共に整備された駅だが、肝心のキャンパスは駅から五キロほど離れており、駅からはバスを利用して移動する必要があるという中途半端さを兼ね備えている。肝心の駅周辺には公共施設や公園、大学生向けのマンションや飲食店などが立ち並ぶ。そしてなにより、


「ということは、目的はイオンで買い物?」

「ピンポーン、正解です!」


 そう、学研都市駅には地方民にとってもはや欠かすことができないイオンモールが隣接しているのだ。残念ながら映画館こそ併設されていないものの、食料品店や衣料品店、雑貨屋などはもちろんの事、家電量販店や大型スポーツ用品店等もテナントとして出店しており、生活に必要な一通りのものはここで揃えることができる。ちなみに、一番近所のイオンモールというこもあり、俺もこれまでに何度か利用している。もちろん、一緒に行く相手は毎回家族だけれども。


「関くんの洋服、私が選びますからね!」


 澄んだ綺麗な瞳をキラキラと輝かせながら、そう宣言される。特に、洋服を買いたい気分というわけでもないし、洋服は基本的にユニクロでしか買わないのだけれど、


「あはは……コスパ重視でお願いします」


 気がつけばこう答えているから不思議だ。敬礼のポーズを真似て「ラジャーです」と答える千波さんがまた可愛くて、にやけそうになる口元を必死に〝へ〟の字に戻す。


「関くんは、どこか行ってみたいお店とかあります?」

「んー……あ、最近シャーペンの調子が悪いから、新しいシャーペン買おうかな」

「じゃあ文房具コーナーにも行きましょうか」


 そんな会話を続けている内に、電車は学研都市駅に到着した。ホームに降り立った俺たちは、改札口行きの下りエスカレータの左側に千波さんを前にして一列で並ぶ。そこで改めて千波さんの私服姿を眺める。ゆったりとした白いブラウスがふんわりとした千波さんにとてもよく似合っていて、学校の制服を着ているときとはまた違う雰囲気に見とれてしまう。


「……関くん、私の私服姿に見とれちゃってます?」


 気がつけば、千波さんがこちらを振り返って見上げていた。


「ばっ……ぼーっとしてただけだよ」


 うん、とてもよく似合っているよとでも言えればいいのだけど、素直に答えるのがなんだかとても恥ずかしくて、慌てて取り繕う。


「本当ですかー? ……惚れちゃっても、いいんですよ?」

「……はいはい。ほら、もうエスカレータ終わっちゃうよ」

「あ、本当ですね。……よっと」


 ちょうど良いタイミングで改札階に到着する。……危ない危ない。冗談でからかわれていると頭ではわかっているのに、このまま続けられたらいつしか本気にしてしまいそうな自分がいて、慌ててそいつを殺した。

 ICカード乗車券をかざして改札を抜け、そのまま導線に沿って外に出ると目的地であるイオンモールが右手に見えた。


「到着しましたね。とりあえず、中に入りましょうか」


 入り口入ってすぐのところに設置してあるデジタルサイネージを二人並んで眺める。一階から三階のフロア図が表示されており、所狭しと店名が並んでいた。すぐ後ろで営業しているたこ焼き屋の匂いに少し気をとられていると、千波さんが口を開いた。


「いろんなお店がありますね。とりあえず、関くんの洋服を見に行きましょうか」

「それ、やけに気合い入ってるね……りょーかい」


 そう言えば、あのリストにもそんなこと書いてたっけ。


「うふふ。一度、男の子の服とか一緒に選んでみたかったんですよね。まぁ……今日の関くんの服装も、その、十分格好いいんですけどね……あ、やっぱ今のなしです。ノーカンです」


 途中、小声でごにょごにょ何かを言っていたが、館内のアナウンスと重なってあまり聞きとれなかった。何がノーカンだったんだろ。

 まぁ、俺が普段絶対に選ばないような洋服を千波さんに選んでもらって着ることも、運命を変えるための選択の一つなのかもしれないな。うん、そうに違いない。


 男物の洋服を扱っている店舗を数店回る。千波さんはあーでもないこーでもないと言いながら、ハンガーに掛かったままの洋服を取っ替え引っ替え、俺の体に合わせる。途中、持ってきてくれたTシャツの値札を見ると千二百円と書かれていたので、高そうな店構えなのに案外良心的なんだなと感心していたら一桁少なく読んでいたことに気がついて戦慄が走った。


「大丈夫です、このお店では買うつもりありませんから」

「え、じゃあなんでこの店に入ったんだ?」


 この店の店員に聞こえてしまっていないかヒヤヒヤしながら、小声で千波さんに尋ねる。


「洋服の流行を手っ取り早く知る方法って、何だと思います?」

「んー……ファッション雑誌を読む?」

「もう、それだったらクイズにしませんよ。ヒントは、百聞は一見にしかず、です」

「あ……実際に店に行けばいいのか」

「ピンポンピンポーン! そういうことです。低価格を売りにしている大衆向けの衣料品店よりも、この店のようにおしゃれな人をターゲットにしているお店の方が、今の流行を掴むのに適しているんです」

「なるほどな……勉強になる」

「ふふふ。このお店で関くんに似合う洋服を探して、あとでそれと似たような洋服をもっと安いお店で買えば、流行を捉えつつコスパの良いお買い物ができちゃうってわけですよ」

「お、おう……」


 千波さんの主婦力の高さに脱帽すると同時に、俺の知らない千波さんがまだまだいるのだなと感じる。


「千波さんって、なんか良い奥さんになりそうだね」


 何気なく、思ったことが口に出てしまう。


「え……おく、さん……?」


 その言葉を聞いた千波さんは、見る見るうちに顔が赤くなり……はわわわ、とわかりやすく混乱状態に陥ってしまった。千波さんのことだから、てっきり「なんなら結婚してあげてもいいですよ?」的な冗談が返ってくる事を期待していたのに、予想もしていなかった反応でキョドってしまう。


「ご、ごめん! 俺なんかに褒められても嬉しくないよな。今の発言は、なかったことに……」


 精一杯の誠意を込めて謝罪する。


「い、いえ……私の方こそ、取り乱してしまい、すみません……」


 そう言うと千波さんはそっぽを向きながら、


「……次のお店、行きましょうか。不意打ちは、反則ですよ……」


 ぼそっとそう口にして、そそくさと店を出て行ってしまった。……一瞬見えた千波さんの赤く染まった顔が、にやけているように見えたのは気のせいだろうか。

 今のやりとりをにやにやしながら見ていた店員さんに軽く会釈をして、続けて俺も店を出る。


「待って、千波さん!」

「……待ちません!」


 ――拒絶の言葉であるはずなのに、どこか楽しそうに答える千波さんを、俺は慌てて追いかける。俺たちの初デートは、まだ始まったばかりだ。

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