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 「結局、あまり寝られなかった……」


 翌日、俺は眠い目をこすりながら駅へと続く道を自転車で走っていた。千波さんからのLINEに返信した後、寝よう寝ようとするもなかなか寝付けず、しょうがないのでスマホで『初デート 服装』や『初デート NG集』などを検索し、出てくるページを片っ端から読み漁っていた。ようやくうとうとしてきたなと思ったときにはもう朝方で、結果的に眠れたのは三時間ちょっとという凄惨たるものだった。


 そうして夜更かしをした結果学んだ、第一印象が大事です、清潔感が重要です、という使い古された決まり文句を意識しながら、今持っている服の中で最も無難な組み合わせをチョイス(シンプルなロングTシャツ+ジーパン)し、普段は多少の寝癖が残ったままでもよしとする髪のセットだって、それはもう時間をかけて寝癖という寝癖を根絶やしにした。寝不足からくる倦怠感さえ除けば、初デートに向けた準備はばっちり、のはずだ。


「……つーか、なんでこんなに気合い入ってるんだ俺は……」


 チカチカと青点滅だった信号が赤に変わり、俺はブレーキをかける。


 今日の日のことを、千波さんはデートと呼んでいる。確かに、デートの定義を〝日時や場所を定めて男女が会うこと〟とするのであればこれは立派なデートなのかもしれない。けれど、俺と千波さんは付き合ってもなければ好き合っているわけでもない。あくまでも、〝これから困ることになるおばあさん〟と〝それを助けようとする自己犠牲を厭わない神様的な存在〟という関係に過ぎないのだ。そんな二人が休日に時間と場所を決めて一緒に出かけることを、デートと呼んでしまっていいのかどうか俺はわからずにいた。


 ……と、なんだかんだ理屈はこねても、女子と休日に出かける事が初めてである俺は、言いようのない高揚感に包まれ、控えめに言ってこのデート(?)をすごく楽しみにしていることもまた事実だった。こんな事、大塚に知られたら憎たらしい笑みを浮かべながら馬鹿にされるに決まっている。


 ――一人で舞い上がって、千波さんにドン引きされないようにしなくちゃな。


 信号が青に変わる。俺は再び、待ち合わせの場所に向けて自転車を漕ぎ出す。


 今日の待ち合わせ場所である高校前駅は、去年、俺が高校に入学するちょっと前に、名前の通り高校の近く(前、というほど前ではない)に開業した出来立てほやほやの新駅だ。市内を走る唯一の鉄道で、西から東へと延びる線路の先にはこの地方で一番大きい繁華街やビジネス街が広がっていることもあり、平日は通勤で利用するビジネスマンや通学で利用する学生、休日は繁華街に遊びに繰り出す若者や家族連れで賑わっている。


 このことからもわかるとおり、俺たちが住むこの町は典型的な衛星都市、所謂ベッドタウンである。北は海、南は山に囲まれ、線路沿いに広がる住宅地を除くとあとは田んぼと畑ばかり。若者が集まりそうな場所――ショッピングモール、衣料品店、雑貨店、ゲームセンター、カラオケボックスの数よりも、駐車場をたっぷり備えたホームセンターの数の方が圧倒的に多い。


 そんな、若者にあまり優しくないこの町で誕生した学生カップルがまず考えなければならないことは、初デートの場所の確保とまで言われている。ちなみに、学生カップルに限定しているのは、車さえあればあちこちに点在する自然溢れる観光名所を巡ることができ、二人の間が縮まること間違いなしであるからだ。中でも夫婦岩と呼ばれる海に浮かぶ二つの岩が佇む場所は、海の向こうへと沈みゆく夕陽を一望に臨むことができる絶景かつ縁結びのパワースポットということで、県内でも有数の大人気デートスポットだったりする。


 まぁ、そんなわけでこの町の若者——とりわけ学生は、デートスポットを求めて電車に乗り、東に移動するのだ。今日の目的地はまだ知らされていないが、例に漏れず東に移動するのだと予想している。


 高校前駅に隣接する駐輪場に自転車を置いて、駅の改札口に向かう。授業があるわけでもないのに高校の近くにいることがどこか新鮮で、少し前まではこんな状況になるなんて想像もしていなかったよな、と苦笑いが漏れた。


 改札口へと続く階段を上りながら、腕時計で時刻を確認する。昨日、不覚にも千波さんに取られてしまった台詞――「大丈夫。俺も今着いたところだから」を言ってみたいがために、待ち合わせの二十分前には到着するように計算して家を出た甲斐あって、時刻は待ち合わせ時間の二十分と一分前を指していた。

 階段を上り切った先に、改札口が見えた。そして、一息つく暇もないまま


「あ、関くん! おはようございます。早いですね?」


 ……一人の少女から、そんな風に声をかけられた。夏を感じさせる涼しげな白いブラウスと水色のロングスカートがとてもよく似合う小柄な女性で、垂れ目がちで愛嬌のある顔――そう、端的に言うと千波さんによく似た顔をしていた。肩にかかるか、かからないか、そんな不安定なラインまで伸びた黒髪を耳にかけながら、はにかんだような笑みを向けられる。その仕草一つ一つに目が奪われてしまう。


「…………」

「あれ、関くん?」


 ……いや、よく似たも何もこれ千波さん本人なんじゃね? 顔どころか声もまんまじゃん。


 まずは、落ち着いて状況を整理しよう。たまたま俺の名前を知っている人違いだって可能性もまだ捨てきれないはずだ。


「……えっと、待ち合わせ時間って何時だったっけ?」

「十時ぴったしですね」

「……今何時だっけ?」

「今、ですか? えーと、あ、ちょうど九時四十分です!」

「……ちなみに、あなたのお名前は?」

「? 千波茉莉、ですよ?」

「……ごめん、待たせちゃったかな?」

「大丈夫です! 私も今着いたところなので」


 ――オーマイガッ‼


「……千波さん」

「なんですか?」

「次から待ち合わせ時間よりも早く来るの禁止ね」

「えー! なんでですかー!」


 俺からの理不尽な申し入れに、ぷくーっと頬を膨らます千波さん。その姿を見て、思わず笑みがこぼれてしまう。


 ……果たして、俺があの台詞を無事に言うことができる日は来るのだろうか。

 そんなこんなで、俺たちは予定よりも一本早い、東に向かう電車に乗り込んだ。

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