第10話
後日、琴はプロデューサーの小諸に連絡を取った。
すると、一度話をしたいから、事務所に来てくれ、と言うことに成った。
吉日を選んで事務所に行くと、街中の立派なビルの三階だった。
受付の女の子に来意を告げると、やがて中年の紳士が奥から出てきた。
「どうぞ、お掛けになって」
恐縮して、ソファに座る琴。
「あなたのデモCD聴きました。かなり、いい線行ってますよ」
「本当ですか」驚いたように答える琴。
「私も、数々の新人を育ててきた。才能を見抜いて、それを育んで一人前にしてきた。そのプライドもありますが、あなたは、頑張れば、栄光を手に出来ます。ただ、あなた次第ですね。……やるか、やらないか」
「はい。やる気は充分あります。でも、本当に、私なんか、出来るのですか?」
「涸沢さん、貴女次第ですよ。だれも、人生は保障してくれません。自分で切り開かなきゃ」
琴は、自信がすこしばかり欠けていた。しかし、夢と情熱があった。
「じゃ、是非、CD作ってください。何曲でも書きますから」
「そうこなきゃ、ね。とりあえず、今度の二曲をデビューシングルとして出すことで、検討してみるよ」
「ありがとうございます」
琴は小諸と契約書を交わした。そのあと、プロダクションと音楽出版社を紹介された。
煩雑な手続きはよく判らなかったので、プロダクションと契約して、便宜を図ってもらうことにした。
家に帰ると、母が掃除をしていた。
「母さん、話があるんだけど……」
「何、後にして。今、取り込み中」
「ちょっとでいいから……」
「なによ。早く言って」
「私、契約しちゃった」
「何の契約?」
「レコード会社と契約しちゃった」
「は?」
「私のレコード、発売されるんだって」
「……本当?」
「本当。これが契約書の控えよ」
契約書を差し出す琴。雑巾を床において、その文面をじっくり読むと、母は、言った。
「こりゃ、今日は赤飯だわ。……おめでとう琴!」
父が帰ってきて、母がそのことを言うと、父は自分のことのように喜んだ。
「琴は、昔から、やるときはやる子だ。頑張れ。目指せ、ミリオンセラー!」
「そんな、ミリオンセラーなんか作れないよ、お父さん」
「何言ってんの。やる前からそんなことでどうする。なにごともチャレンジすることに意義があるのだ」
「……うん」
その夜は、琴は親にちやほやされた。
CDがリリースされると、音楽雑誌のインタビューやらCMの撮影やらで、やたら琴は忙しくなった。音大受験は諦めねば成らなかった。
鮫島先生は、そのことをある意味残念がったが、喜んでもくれた。
「私の教えたことは、絶対、君の人生に意味を持ってくるから。基本を忘れないようにね、涸沢くん」
そう激励された。
CDがリリースされるインタビューで、音楽を作った理由を訊かれたとき、琴は迷わず答えた。
「山際巧の音楽に魅了されたんです」
「山際巧って、あのジャズピアニストの?」
「ある時、街角で偶然、山際さんの演奏を聴いたんです。衝撃でした。こんな素晴らしい演奏する人、日本に居るんだ? って。そしたら、山際さんに一曲、捧げてました」
「それが、『ビッグアーティスト』ですね」
「贈ったら、返事来たんですよ。びっくり。喜び勇んで、もう一曲書きました」
「それが、『虹の雨露』ですね。このタイトルの意味は?」
「虹は、遠くで見ると美しくて綺麗です。それを現実に掴んでみたい。そんな想いを込めました」
「それは、山際さんのことですか?」
「そんなおこがましいことは言えません。そうでなくて、私自身のシンガーソングライターの夢です」
そんな遣り取りのインタビュー記事が、音楽雑誌に記載された。
CDは、順調に売れ行き、オリコンチャート五位にランクインした。
CDの売れ行きが順調に行き、世間に涸沢琴の名前が知れ渡った秋、プロダクションを通じて、ひとつの出演依頼が来た。
憧れの山際巧から、コンサートのゲストとしての出演依頼だった。
東京講演のみの限定出演で、ギャラはかなり高い。
琴は二つ返事で承諾した。こちらからお金を払っても、出演したいくらいだった。
山際巧のコンサートに出演できるというのは、まさに夢であった。
コンサートは冬の年暮れだった。
ひとつの目標が出来て、琴はみちがえったように、元気になった。
琴には、ひとつのアイデアがあった。山際のコンサート出演のお礼に、自分のCDアルバムをサプライズで持っていくというものであった。
小諸に話すと、
「コンサートまであと三ヶ月、ちょっと無理なんじゃない? ま、でもやるだけやってみな」と言われた。
小諸も、この企画を結構面白がっていて、一曲出来ることに、アレンジングとミキシングを、琴の作曲と同時進行でやってくれた。作曲の途中で、完成曲の確認のためにスタジオに呼ばれたりもし、琴は、相当忙しかった。午前中作曲で、午後から深夜に掛けてスタジオで、眠るのは移動中の電車だけ、という日もあった。
しかし、琴は頑張った。毎日、レコード会社と密に連絡を取って、作詞作曲に全てを捧げた。曲は、正にメロディーの神様が降臨したかのように、素早く出来ていった。山際のコンサート当日までに、アルバムを作るという目標の元、頑張って部屋に籠もって、作曲に費やした。
琴は、たいてい先にメロディーが出来、あとから歌詞を乗せるという作り方だった。曲作りのネタが尽きないというビギナーズラックもあった。また、なんとか、アルバムを仕上げて山際に捧げなきゃ、という志もあった。
毎日毎日、青く晴れていて外に出たい日も、雨風が強くて気分が憂鬱な日も、とにかくピアノにしがみ付いた。しがみ付いて、メロディーを創作し、リズムを修正し、伴奏を演出し、歌詞を添付した。痩せ馬の初産みたいな難産だったが、苦しさは若いエネルギーで貫通して、なんとか六曲仕上げた。
それまでの二曲と併せて、アルバム用の曲が八曲、出来上がった。
CDのジャケット撮影は、プロに任せて、琴はほっと一息ついた。本当は十曲のアルバムにしたかったが、時間が無いので仕方が無い。
かくて、なんとかコンサートの二日前に、デビューアルバムが完成した。
台風一過で、コンサートの前日、久々の休暇になった。
午前中、すっかり朝寝坊して、布団でごろごろしていたので、ベッドから出たのは昼過ぎだった。
遅い朝御飯を取り、テレビなど見ていたが、夕方頃になって、ふと気になって、琴は、大学時代の親友だった金沢康子に電話を掛けてみた。
「はい、金沢です」
「ああ、康子? 久しぶり。元気?」
「え、琴? 元気? 今、どうしているの?」
これから会う約束をした。大学近くの定食屋で、一緒に夕食を食べることにした。
窓から見ると、夕日が、殺風景な町並みをオレンジ色に染めて、暖かく彩っていた。
――もう、大学は辞めたんだったな……。なんだか、ちょっと寂しい……。
すぐに支度をして、時間に間に合うように、家を出る。
大学までの歩道を、故郷に帰ってきたかのような心持で、懐かしみながら歩いた。
定食屋の前に行くと、康子が立っていて、手を振った。
「元気そうだね、康子」
引き戸を開け、ふたりで、「ひょうたん」と書かれた暖簾を潜る。
奥の小上がりに座る。
「懐かしいな、ひょうたん。学食に飽きると、ここに来てランチしてたっけ」
「そうね、琴、結構裕福だから」
「でも、ここの値段、良心的でない?」
「そうだけどね」
琴は、うどん定食を頼んだ。すると康子は、蕎麦定食を頼んだ。
「前田君とは、うまく行ってる?」
「ばっちりよ。琴のほうは?」
「私、歌手デビューしちゃったんだ」
「知ってるわよ。学内で噂よ。うちの大学からも歌手が出るんだって」
「農大の歌手。どんくせー」
「農作業しながら、作曲するのよね」
「そうそう、田圃を鍬で耕しながらね……」
琴は、康子の笑顔をみて、ほっとした。まだ私は人間なんだと、安心できた。
あまり、べちゃくちゃ会話はできなかったが、琴は康子が好きなんだと気付いた。もうしばらく、話していたかったが、明日はコンサートだ。早めに帰って準備しなければならない。
食べ終わると、琴は康子の眼を見ていった。
「いつまでも、友達でいてね」
康子は、ちょっと間を置いてから微笑み、答えた。
「こちらこそ……よろしくね」
ひょうたんを出ると、冬の日暮れは辺りをすっかり暗くして、街の明かりを輝かせた。
琴と康子は、また会おうと約束して、定食屋で別れた。
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