第7話

 正月も開けて街が活動しだす頃、琴は楽しみにしていた先行予約が当選落選のメールを受け取った。

 ――涸沢琴様。

   先日、御応募戴いたコンサートの先行予約の抽選の結果ですが、あなたは、当抽選に当選しました。以下の予約番号を持って、最寄のチケット販売店にて、チケットをお受け取り下さい……。

 「やったー」

 両手を挙げて、万歳した。チケット番号をメモ紙に控え、早速、近くのコンビニでチケットを手に入れる。

 「待ち遠しいな―。一ヵ月後、国際フォーラム。どんな服着て行こうか……」

 お年玉を貰ったばかりだった琴は、街に服を買いに行きたくなった。しかし、今年は成人式だ。親に、成人式用のスーツを買ってくるように言われていた。

 まだ、大学の講義は始まっていない。講義は成人の日が開けてからだ。

 とりあえず、新宿に出てみた。

 いつくかデパートを回り、小売店の間を練り歩いていると、あるショーウィンドウに、ひときわ目立つ、綺麗な濃いブルーのドレスが飾ってあるのが目に入った。黒い三段のフリルが付いていて、とても美しい。

 「綺麗なドレス……」

 これを着てコンサートに行ったら、山際さんに見付けてもらえるだろうか……。ひょっとしたら、目が合うかもしれない。そしたら、にっこり笑顔で微笑もう。

 値札を見た。十五万円。

 「桁が違うわ……」

 しかし、気付いたら買ってしまっていた。先日作ったばかりのクレジットカードを使ってしまった。来月になると払えるわけではないので、自然、リボ払いだ。五万を現金で払い、残り十万程度。月々五千の支払いで済む。それくらいなら、琴でもなんとかなる。

しかし、お陰でスーツを買いそびれた。お年玉も全て使ってしまって、もう残り金も無い。

 「成人式、どうするのよっ!」

 こういうのを後の祭りというのだろう。ともかく、琴はドレスを大切そうに抱えて家に帰った。帰ると、折りしも、一通の手紙が来ていた。

 差出人を見ると「山際巧」とある。

 「うっそ!」

  住所は、レコード会社気付になっていたが、肉筆で「山際巧」と書いてある。

 部屋のクローゼットに、ドレス丁寧に仕舞いこんだ後、手紙の封を鋏で切り取る。

 ――拝啓 仲冬の候、貴女には、相変わらず御清祥のことと存じます。

   お手紙、ありがとう。

   僕の音楽を聞いてくれているんですね。

   そのうえ、オリジナル曲まで、作ってくれて、ありがとう。

   曲は、僕の聴く限り、とても素晴らしい仕上がりです。

   ただ、やはり素人っぽさが残り、詰めが甘いようです。

   もう少し、細部に拘り、完璧を目指せば、ものになると思います。

   貴女には、光るものがある。若い才能を、駄目にはしたくない。

   僕には、作曲指導はできないけれど、ひとこと言わせて貰えば、自分の世界を大切にしてください。大切にして、広げていくと、自分の世界が確たるものになります。頑張って下さい。応援しております。

   コンサートは、来てくれるのかな。是非、会場でお会いしましょう。

   楽しみにしております。

   末筆ながら、貴女の今後御一層の御健勝をお祈りいたします。    敬具

 「凄い。……私って、天才かも……」

 嬉しくなって、琴は、何回もその手紙を読み返した。ひょっとしたら、自分がメジャーデビュー出来るかも、とも思いが高ぶった。

 「そうだ、返事書かなきゃ」

 琴は、便箋を出してきて、机に向かった。

 ――山際様

   謹んで申し上げます。

   先日は、いきなり恥気もなくCDなどをお送りして、申し訳なかったです。

   聴いて戴いた上に、お返事戴けるなんて、思ってもみなかったです。

   光栄極まります。

   コンサートを楽しみにしています。 かしこ

 琴は、生来、文章があまり旨くなかった。だから、感激しても、うまく言葉に表せなかった。しかし、とりあえず、それだけ書いて、すぐ封をして、投函した。

 成人式の日、琴は朝早く、Gパンにセーターという普段着に安物のダウンジャケットを着込んで、家を出た。

 「なんとかなるさ……」

 そう自分に言い聞かせた。

 会場のホールに着くと、康子が声を掛けてきた。

 「琴? なんか凄いカジュアルね」

 琴は、恥ずかしい思いを抑えながら、

 「スーツ買う金でドレス買っちゃったよ」

 沙織が横から笑いかける。

 「すっごい度胸ね、琴。私でも、出来ないわ」

 確かに、沙織の称えた度胸というのも本物のようで、普段着で成人式に来ていたのは、男女含めて、琴独りだった。

 琴は、ただの成人式じゃない、祝辞と抱負述べるだけでしょ、と敢えて自分を落ち着かせて、平静を装って式をすごした。

成人式も、終ってみれば若気の至りで、私服で出席したのも、青春の一ページになる思い出だった。だから、日が立つにつれ、恥ずかしさは失せていった。

 それよりも、来月初めの山際巧のコンサートが待ち遠しかった。日が近付くにつれ、胸が高鳴り熱くなっていった。

 もうすぐ、憧れの山際さんに会える、ひょっとしたら、言葉を交わせるかも、そんな想いで一杯だった。


 コンサートの当日。

 駅を降りて歩いて五分で会場に着く。

 入り口の前から列が付いている。琴も、列に加わる。

 やがて、開演時間になると、入り口が開かれ、ホールの中に、人混みが吸い込まれていく。

 琴の席は、二階席だった。前のほうだったが、舞台がとても小さく見えた。

 コンサートは、山際を中心として、バックバンドが居り、舞台の真ん中にグランドピアノ、左右後方に管弦楽が配置されていた。

 やがて、舞台の左から山際が姿を現すと、拍手と歓声の渦が巻き起こった。

 山際が一礼して、ピアノに座ると、劇的な清音がホールに響き渡って、幕が開けた。

 照明が青橙赤緑と舞台の上を滑り、そのなかで、独り鍵盤を叩く山際巧。

 琴の席からは、姿は点だったが、その雄雄しい演奏音は、山際巧を、音の神様と思わせるものがあった。

 リズミカルアンドクリアー。山際の音楽を、一言で表すと、そういう言葉になる。

 琴の想いは、サウンドに乗って、ますます高まり、憧憬は、音の神様の鎮座する舞台という天空を駆け巡り、胸を熱く痛く焦がした。

 そして、琴は、このとき、絶対、山際さんとちゃんと一対一で会うんだ、と思った。

 コンサートは、夢の時間だった。殺風景な砂漠の人生で通りかかったオアシスのような、儚く短時間的なきらめきだった。そのきらめきを、いつまでも味わいたくて、琴は、コンサートの音楽と山際の雄姿を、心の中に、焼き付けようと必死に聞耳立てた。

 夢幻の時間は、あっけなく終わり、ホールから客が出て行った。

 アナウンスで握手会が有るというので、琴もその列に付いた。

 やがて、自分の順番が来て、琴は山際と握手した。

 思ったよりも、暖かい感じの青年で、山際も神ではないことが判った。

 琴は、咄嗟に言った。

 「山際さん、私、CDを送った涸沢琴です。CD聴いて下さって有難うございました!」

 山際は、少し驚いたような目になって、

「ああ、あなたが涸沢さん。いい曲でしたよ。……諦めず、頑張って下さい」

 「有難う御座います。コンサート、最高でした!」

 「ありがとう」

 その短い会話であったが、琴の眼は青く輝き、目を離さずに見詰める山際の眼は、茶色かった。

 帰りの電車の中、琴は、幸せな気分に包まれながら、コンサートを反芻した。

 「よかった……。素晴らしかった……」

 ぼうっとしながら、家路に付き、帰ってからも、部屋でコンポを鳴らして、余韻に浸った。

 琴は、山際に、恋したのかもしれなかった。

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