第5話
街は、冷たい風の吹き抜ける季節になった。
康子は、それから彼氏と旨く行き、何度もデートを重ねているようであった。男女の仲も出来たか出来ないか、学内でも二人でいることが多くなった。
そんなある日の、授業の帰り、久しぶりに、康子と沙織と三人で、歩きながら話した。構内の街路樹は、すっかり落葉して、黒い枝条を侘しげに見せていた。
「康子、前田君とは、どこまで行ってるのー」琴が訊く。
「地上の果てまで」
「何それ、まっじ!……あんな男と、死んでも果てまで行きたないわ」沙織が毒づく。
「いいねえ、仲良くって」と琴が好意を示すと、
「いいねえ、仲良くって」と沙織が嫌味を言った。
「琴も、ほかの男探せば良いのに……。平瀬君は、残念だったけど、まだこれから、先があるじゃん」
「てかさー、しばらく阿呆な男はいいわ」
「私も、思うよ。……世の中に、ろっくな男いねえなーって」
「だよねー、沙織。独りでいたほうがまだましかも」琴に、ちらっと、この前の占い師が想起された。
「そんなことないんだって……。そりゃ、前田君も、莫迦よ。……でも、その莫迦なところが、可愛くていいんだよ男は。セックスしたくて、女体が欲しくて、それで下心見え見えの優しさで気遣って、一生懸命、セックスまで持ち込む。セックスしたら、極楽にでも行ったかのような気分になって、独り舞い上がる。そういうのも、可愛いよ」
「何、前田とセックスしたの」
「……一度」
「……い、いつの間に!」
琴は、なんだかそら虚しかった。隣で幸福感に満たされている康子が、ことのほか愛らしい別の生き物に思えた。こんなに可愛かったら、男に持てるんだろうな、と羨ましがるこころがある反面、男なんてみな平瀬みたいな軽薄漢だ、あんなやつらとセックスしても得るところは無い、という、矛盾した嫌悪感も同居していた。
寂しい癖して、男を毛嫌いしていた。明らかに、平瀬の粗野な迫りが、繊細で気高い琴のこころを傷していた。ちょっとまえまで不思議がっていた、沙織と似たような女になっていた。
家に帰ると、虚しさのままに、山際巧の音楽を掛けた。部屋一杯に、クリアーサウンドを流した。そして、パソコンをを付け、ホームページを開いた。ブログを読んでみた。
過去の投稿を見ると、月一回くらいで、山際本人が、更新しているようだった。
「今日は、音楽の創作について話します。
音楽を創作するときは、こころをまっさらにします。
無から有を創り出せないといいますが、むしろ、こころは無にしたほうがいいです。全くの真っ白にして、ピアノの前に向かう。
このとき、予め、曲にしたい旋律の元になる、画像イメージがあります。
『岩風』の場合は、陽光のもとに雄雄しく屹立する孤峰のイメージです。
去年の夏、北アルプスに登ってきました。それまで、登山などしたことのない私にとっては、劇的な経験でした。そのときに、稜線で受けた快い山風を元に、孤峰が受ける卓越風を想像して、この曲ができました。
そういうイメージを、ピアノの前で思い浮かべ、映像に耳を澄ます。
すると、山の向こうから、旋律が流れてくるんですね。
不鮮明なそのメロディーを元に、鍵盤を叩いてみる。
なかなかイメージ通りにならない。それでも、改変しながら、何度も叩きなおす。
すると、これだ、という旋律に出会えるんです。
出会えた後は、その旋律の流れに従い、指が勝手に、動いてくれます。
多分、メロディーの神様が居て、その神様が曲を下賜くださるのでしょう。
私のやったことといえば、イメージして、メロディーを探しただけです。
あとは、メロディーの神様が、自然に指を動かしてくれる。
メロディーの神、なかなか出会いにくいですが、出会えたら、最高です。
皆さんも、メロディーの神を、探してみましょう」
「私も、メロディー作ってみようかな……」
パソコンを離れ、コンポを停め、ピアノの前に座る。
目を瞑った。ブログに書いてあるように、こころを白紙にする。すると、目の前には、山際の雄雄しい演奏姿が映った。
鍵盤を叩いてみた、
自然に、メロディーが出来上がっていく。まさに、メロディーの神降臨。
急いで、楽譜を探す。メロディー忘れちゃう。
バンドやっていたときの残った楽譜があった。
書き止めながら、鍵盤を打っていく。旋律が、伴奏無しの単音の概形が、なんとも出来上がってしまった。ありがとう、メロディーの神よ!
「歌詞つけなきゃ」
琴は、もう一度メロディーを弾きながら、歌詞を考えた。
――あなたは、遠いステージの上で、太陽のように輝いている
ひとりのファンに過ぎない、私のことなんか知らないくせに
その旋律は、ちっぽけな私のずたぼろのこころを、
そっと優しい指使いで、撫で上げる
私のこころはあなたのメロディーに打ち震えて琴になり、
愛しい恋歌を奏で上げる、
弾いてください、その繊細な指先で、
私は、あなたの名器になる
愛しい人、その雄姿が好きなのよ、ビッグアーティスト
届かぬ人、その旋律が好きなのよ、メロウメロディー
あなたは遠い人遠い太陽、そして私の愛しいグレートスター……
「なんか、軽薄な歌詞ねえ。もう少し、どうにか成らないかしら?」
琴は、歌詞を読み替えながら、何度か作り直した。
メロディーも何度も弾くうち、改変されてこなれたものになってきた。
試行錯誤していたら、あっという間に、時間が立って、下階から晩御飯のお呼びが掛かったので、その日はそこまででやめた。
その日以来、琴は、作曲に夢中になった。友達との付き合いもほどほどに、学校から急いで帰ってきては、楽譜とピアノに向かった。
何度も旋律を演奏して、何度も歌詞を歌った。
まだまだだとも思ったけれど、早く作品にしたいせっつきもあった。
一週間立つころには、伴奏もつけて、楽譜に一作品仕上がった。
「できたー! どうしようか……」
――やはり、思い描いていた山際巧に、ファンレターの代わりに、送りつけるのが良いんじゃないかな……。それだったら、デモテープ作ったほうが良いなあ……。
琴は、ミキシングマイクを押入れから探し出した。前に、バンドやっていたときに、買ったものだ。
それを繋いで、コンポで発声練習をしてみる。
「あ、あ……」
うまい具合に、声が出る。
しかし、ピアノの演奏が問題だ。マイクからだと雑音が入りすぎる。
――コンピュータで、楽譜を入力して、演奏を作れないものか……。
コンピュータを立ち上げ、ネットで無料の作曲ソフトを探したら、そういうのがあった。それをダウンロードして、使ってみた。
結構、使い勝手が難しくて梃子摺り、ソフトにメロディーを入れるのに一週間、そのあとコードを入れるのに更に一週間を要した。
出来たファイルをmidファイルから普通のCD音楽ファイルに変換して、完成。
出来た旋律を、コンポで鳴らしてみた。
「すっげー。快感。自分の作った曲だよ!!」
気を良くして、吉日を選んだ日曜日、そのCDにミキシングマイクで声を入れた。
真剣一発勝負、ミスは許されない。CD録音しながら、曲を歌った。
「届かぬあなた、グレートアーティスト……」
そんなエンディングだった。
出来たデモテープを一度、さらっと掛けてみて、これでいいやと、CDケースに入れた。
これをコンサートの日に楽屋に持って行こうかとも思ったが、この前応募した先行予約も、当選しているとは限らず、また、当日楽屋に入れるとも思えないので、また、何よりも待ちきれないので、ファンクラブ宛に送ることにした。
ファンレターを書く。
――山際様
涸沢琴
謹んで申し上げます。
寒くなってまいりました。山際さんには、相変わらず、御清栄のこと、お喜び申し上げます。
平素は、素晴らしい音楽を、有難う御座います。
いつも、山際さんの音楽に感動している女子大生です。
感動するけど、うまく言葉で表せません。
気付いたら、一曲出来ていました。
山際さんに、是非、聴いてほしいです。
一生懸命、作りました。
よろしくお願いします。
季節の変わり目、健康には、お気をつけ下さい。大切なお体です。
最後になりましたが、山際さんの御活躍をお祈りしております。 かしこ
「へったくそな手紙。ま、いいっか」
琴は、B5版の封筒に宛先を書き、CDと手紙を入れて、封をした。
明日、学校に行くときに投函しても良かったが、何だか待ちきれず、ジャケットを着込んだ。
自転車の鍵を取り出すと、封筒片手に部屋の外出る。
「ちょっと、出てくるよ」
階段を駆け下りて母に言い捨てると、玄関の外に飛び出した。
初冬の夜は、風が冷え込んで空気が冷たかった。
自転車に飛び乗り、籠に封筒を入れた鞄を入れて、駅前の中央郵便局向けて漕ぎ出した。まだ、息は白くなかったが、風を切る進行が寒かった。
少し欠けた月が、雲の合間に出ていて、街灯の侘しい夜道を照らしていた。
何か起るかもしれないという、青空のような期待感が、琴の胸に溜まっていた。
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