第4話

 次の日、康子と学食にいる昼時間、携帯電話が鳴った。

 「あ、平瀬だけど……」

 「こんにちは」

 「今、学内?」

 「うん、学食に居るんだけど」

 「あ、それなら、すぐ行くよ、待ってて」

 携帯電話を切ると、康子が嬉しそうに言う。

 「何、旨くいってんじゃん」

 「康子のほうは、どうなの?デートいつだっけ?」

 「あさって。今度の日曜か」

 「頑張ってきてね。……私は、そんなに気合入ってないけど」

 その声を聞かれたか、食事をして座っている二人の後ろから、声がした。

 「やあ、琴ちゃん」

 振り向くと、平瀬が立っていた。

 「平瀬君、昼ごはん食べたの?」

 「まだだけど」

 「こっちで食べなよ」

 「いいの?」

 康子も振り向いて、平瀬に頷く。

 平瀬は、すぐに食券を買ってきて、トレイに定食を運んできた。

 琴の前に座ると、

 「改めまして、平瀬です。……飲み会のときは、あまり話せなかったね」

 「だって、沙織に夢中なんだもの……」

 「そんなこと、ないんだけどね……」

 しばらく、三人で、他愛の無い話をした。

 食事が終ると、三人で席を立ったが、康子は、前田にメールするからと言って、何処かに行ってしまった。

 学内のベンチに二人で座る。今日の空は雲が多くて、どんよりと薄暗かった。平瀬が、缶コーヒーを奢ってくれた。

 「琴ちゃん、どうして、俺を信用したの?」

 琴は、自分が半ばやけくそだったことを隠さねば成らなかった。

 「わたし、あんまり美人じゃないから……」

 平瀬は、コーヒーをごくりと飲んだ。

 「そんなこと無いよ、綺麗だよ、琴ちゃん」 

 「お世辞には、弱いのよね、私……」琴は左の額に、手をやる。

 「今度の日曜、どこかに遊びに行こうよ」

 琴は、山際巧のことを思い浮べた。

 「私、コンサートに行きたいなー」

 「誰の?」

 「山際巧」

 「誰それ?」

 「ビッグ・アーティスト」

 「とりあえず、ショッピングでも行こうか? そのアーティストのCD買ってあげるよ」

 「いいよ、持ってるから」

 一瞬、ベンチの上に、秋日が照らし出した。

「じゃ、ドライブでもしようか?」

 「車、持っているの?」

 「親のやつだけど。ブルーバード。借りてくるよ」

 「で、どこ行くん?」 

 「奥多摩湖に、紅葉とかどう?」

 「いいよ、別に」

 平瀬は、缶コーヒーを飲み干すと、

 「ありがとう、じゃ、明日また連絡するよ」

 丁度、始業のベルが鳴り響いた。

 二人は、またね、と言って、それぞれの講義室へ向かった。


 日曜日、大学で待っているように言われた琴は、朝からおめかしして、大学まで歩いていった。何を着て行って良いか、よく判らなかったので、茶系のボーダーのワンピースを着込んだ。秋向けだと思って、自分で選んだのだが、どう思われるか、琴は、少し不安だった。

 構内で待っていると、やがて白いブルーバードが入ってきて、すぐそれだと判った。

 「琴ちゃん、おはよう」

 助手席のウインドウを開けて、平瀬が言う。琴は、素直にドアを開けて、助手席に座った。

 「シートベルトしてね」

 「じゃ、お願いします」

 休日の朝の甲州街道は、結構混雑していた。行楽シーズンということもあり、郊外へ出かける車も多いのだろう。

 道すがら、平瀬と色々、話をした。

 平瀬は、東京の大学近くの市に住んでいて、父は公務員だそうだ。琴の父は中小企業の課長だったので、頭のいい家系なんですね、と言ったら、俺はそうでもないよ、琴ちゃんの方がいい学科じゃん、と言った。

 琴の髪型が、肩までのショートなのにも触れ、可愛いね、似合ってるよ、とも言ってくれた。

 嬉しくなった琴は、自分からワンピースの話をして、これは高校卒業したときに、記念に新宿伊勢丹で買ってきたものだ、と言った。

 そんなこんなで、車は八王子を過ぎ、国道16号を北上した後、青梅街道に入った。

 「私、軽いでしょ?」

 琴は、自虐的に、少々嫌味を込めて、平瀬に言ったものだ。

 「いや、別に」

 「でも、普通、おしとやかな女の子って、いきなりドライブの誘いを受けて、車に乗ったりしないと思うんだけど……」

 「それが、琴ちゃんの明るさじゃん。僕は好きだよ、琴ちゃんのそういうさばさばしたところ。嫌なことは、はっきり言ってくれそうだし」

 「違うのよね、……そうじゃなくて、なんだかぶち切れてるのよ、私」

 「何か、気に触るようなことでも言った、僕?」

 「いえ、人生に。……なんで、こうも、よりによって、下らない人生なんだろうかってさ」

 「わかる、わかる。僕も、理想が破れて、いろんなことに幻滅してきたよ。でも、投げちゃいけないと思うんだ。人生、まだまだ、これから長い。投げたら、後から泣くよ」

 車は、緑の山間部を走りぬけ、右左に蛇行を繰り返していた。

やがて、奥多摩湖に着くと、平瀬は車を駐車場に停めた。

 二人は車を降りて、景色を眺める。

 谷間に浮かぶ奥多摩湖は、赤茶色と淡黄色、濃緑色のモザイクを映えた鏡面の湖だった。

 「綺麗だね。ちょうど見頃だったかな」

 「付いてるね、私たち」

 そう言って微笑みかけたら、平瀬は嬉しそうに笑ってくれた。

 「少し、散策してみようよ」

 平瀬はそう言って、琴の手を取った。琴は嬉しくなった。二人で、車を離れて、少し散策する。

 遠くにアーチの橋梁が掛かった橋は、シンボリックで可愛かった。

 二人で手を繋いで、枯葉の色彩のトンネルの中、仲良さげに歩いた。

 他愛ないことを話し合い、平穏な時間だった。琴も、この時間がとても楽しかった。

 しかし、車に帰り際、平瀬は、琴に変なことを言い出した。

 「紅葉はとても綺麗だけど、琴ちゃんの瞳には叶わないな」

 「は?」 

 ――私、そんな美人じゃないんだけど?

 「好きだ、琴ちゃん」

 そう言って、平瀬は、強引に琴を抱き寄せ、キスしようとした。

 「ちょ、ちょっと待って、平瀬君。……私たち、そんな仲?」

 「好きなんだよ、琴ちゃん。顔は可愛いし、性格も抱きしめたくなる」

――何言ってんだ、この莫迦男は……?

 「性格っつっても、あなた、私の何を知っているの? 顔だって、私そんな美人じゃないよ。それに顔が好きなら、あなた、何でも良いわけ? 一日、デートしただけで、すぐキスしてセックスして……そんな軽薄な男?」

 見ると、平瀬のジーンズの股間が盛り上がっていた。

 ――こいつは、童貞だ。女なら誰でも良くて、とりあえず童貞捨てたくて、女体が欲しいだけの、飢えた狼。まっぴらごめんだ。

 平瀬は、琴がそう言うと、しょんぼり縮んでしまった。

 俯いて無口で、車に向かい、黙って乗り込んだ。

 ――悪いことしたかな……。

 ちょっと良心が痛まない琴でもなかったが、変な男に、自分を安売りするつもりは無い。

 「悪いけど、大学まで乗っけてってね」

 そう言って、図図しく、琴はブルーバードに乗り込んだ。

 白けた帰りは、車中、二人は殆んど口を利かなかった。

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